咲かないつぼみ




マルクト帝国の首都グランコクマは、ルーク達の旅の重要な拠点の一つである。
破天荒な皇帝直轄の首都は安全性が高く、おまけに物価も安いときている。しかも宿泊場所として使える場所が宿以外にもあるため、仲間達の会計を預かるアニスにも大変受けが良い。
なので休息や補給を兼ねて寄ることが多い街なのだが、ジェイドにっとては休息とはほど遠い現実の待ち受ける街でもあった。
ジェイドの職務は、本来マルクト国軍の大佐である。
現在は皇帝勅命でルーク達と行動を共にしているため代行を立てているが、それだけではまわらない案件もある。だからグランコクマに戻ったときは、ここぞとばかりに上からも下からも仕事が回されてくこととなる。
そのため、ジェイドだけ別行動になることが多い街でもあった。



軍本部から王宮へと向かう途上、王宮の前庭のところに見慣れた赤い頭を見つけてジェイドは足をとめた。
どちらかと言えば色素の薄い民族的特徴を持つマルクト国内で、ルークの鮮やかな赤い髪はとても目立つ。それは短くなった今も変わらない。
どうやら今日は一人らしく、彼の周りには他の仲間達は見あたらない。
しかも、いつもは好奇心のおもむくままにふらふらと歩き回っている彼が何かに見入っているらしく足をとめているらしいのを見て、ジェイドは少し迷ってからルークの方へ足を向けた。

「何を見ているのですか?」
「うわぁっ!」

出し抜けに後ろから声をかけてやると、予想通りジェイドの気配に全く気がついていなかったらしいルークが大げさに飛び跳ねてふり返った。

「……ンだよ、脅かすなよ」

ルークはジェイドの顔を見てあからさまにホッとした顔になったが、驚いたことがバツが悪かったのかムッとした表情にかわった。

「おや、失礼。別に脅かすつもりはなかったんですが。で、何を見ているんですか?」

欠片も悪いと思っていない口調でからかいながら、ジェイドはルークの見ていた方へ視線をむける。
そこに広がっていたのは、いくつもの幾何学模様を描く花壇だった。
そういえば前にガイが最近ルークが花に興味を持っているようだと言っていたが、そこに咲いているのは別に珍しくもない四季咲きの薔薇の花である。しかもまだほとんど咲いておらず、蕾ばかりが目立っている。

「薔薇でしたら、中庭の方になにやら大層な名前のついている花があったように思いますよ」
「いや、別に薔薇を見ていたわけじゃねーし」
「じゃあ何を見ていたんですか?」

あらためて問うと、ルークはアレと薔薇の株の間を行ったり来たりしている庭師を指さした。

「さっきからさ、ああやっていくつも蕾を摘んでるんだよな。何で咲く前に摘むのかなって思って」

咲くかもしれねーのに、と不思議そうにルークが首を傾げる。

「あれは、薔薇の手入れのひとつなんですよ。薔薇はいくつも蕾をつけますが、それが全部咲くと色も悪くなるし花の勢いもなくなります。だから選んだ蕾だけ残して摘んでしまうんです」
「え? じゃあ、摘んだ蕾はそのまま捨てちまうのか?」
「ええ。綺麗な花を咲かせるためにはそれが一番ですから。残った蕾が少なければ、他にまわる栄養もすべてそっちに回るようになりますからね」
「……ふうん」

心なしか元気のない相づちを打ったルークに、ジェイドは苦笑を浮かべる。

「可哀想だと思いますか? でも、薔薇にとっては余計な蕾がある方が負担になるんですよ。それに摘んだ蕾もただ捨てるだけじゃなくて、色々活用法もありますから」
「そうなのか?」
「そうですね、お茶に入れたりジャムにしたり色々とね」
「そっか。咲かなくても色々と役には立つんだな」

ようやく納得がいったという顔になったルークにつられたように、ジェイドも微かに笑みを浮かべた。

「さて、私はこのまま王宮に向かいますがあなたはどうしますか?」
「そうだなあ……。別に行くあてがあるわけじゃねえけど」
「一緒に来ますか? たぶん歓迎されますよ。主に陛下に」

少しの間迷うような顔をしてから、ルークはちいさく頷いてジェイドの横に並んだ。
見下ろす位置に来たルークの赤い頭を見て、ジェイドはふと先ほど自分が言った中庭に咲いている薔薇の花のことを思い出した。
そう言えばあの薔薇の花は、こんな色をしていたかもしれない。
しかしそんな連想をしてしまった自分がなんとなく奇妙に思えて、ジェイドは気付かれないようにそっとルークの髪から視線をそらせた。
それはまだ夏薔薇の季節をむかえる、すこし前のことだった。




ローレライ教団本部の高い天井を見上げながら、ジェイドはそっと息を吐いた。
つい先ほどこの中にある一室で交わされた会話を思い出し、かすかに表情を歪める。

『私は…もっと残酷な答えしか言えませんから』

こんな時ほど、理性が先に立ってしまう自分の性分が苦く思えることはない。だけど、以前からそう思っていただろうか。
そう考えて、ジェイドはそっと自分の表情を隠すように口元を被った。
たぶん確実に、自分は変化している。
それはおそらく人としては必要な変化なのだろうけれど、それがこんなにも苦しいものだとは想像したこともなかった。
障気を中和するために、レプリカを犠牲にする。
それは人というひとつの花を美しく咲かせるために、他の蕾を摘んでしまうことに似ている。
もしかしたらその摘んでしまった蕾こそ、綺麗に花開く運命を持っていたのかも知れないのに。



たぶんもう少ししたら、ここにあの子供はやってくるだろう。
これから花開くかもしれなかった、小さな蕾。
ほら、足音が聞こえてくる。
こんなにも自分はあの蕾を楽しみにして愛していたのだと、今更のように思い知る。
それがいま、ひどく哀しかった。



END(07/12/04)


レムの塔前