ハニードロップ




 その日、朝から出かける支度をしていたアッシュは、そわそわと自分にまとわりつく半身を追いやることに苦労していた。
 アッシュの誤算は、朝に弱いルークが今日に限ってこんなに早く起き出してきたことだ。
 もっとも、それぞれ部屋をあてがわれているとはいえ、共同の居間を挟んで部屋が繋がっているのだから、ばれる可能性は全くなかったわけではない。
 だが、普段から自分がベッドから蹴落としても眠っているこの半身が、まさか今朝にかぎってこんなに早く起き出してくるとは夢にも思っていなかったのだった。



「なーなー、どこに行くんだよ」
「おまえには関係ない」
 アッシュは器用に長い髪を編みながらまとめると、ピンで留めて帽子の中に入れた。
 いつもはあげている前髪もおろし、軽くながす。
 そうするとやはりすこしはルークに似た顔になるのが、当たり前のことなのだが違和感があった。
 今日のアッシュの支度は、いつものきっちりとした上品な服装とは違って、かなり砕けたものになっている。それだけで今日の外出がお忍びのものだとわかるので、なおさらルークも食い下がってくる。
「お忍びで街に出るなら、俺も行きたい!」
「ダメだ」
「なんでだよ、アッシュのケチ!」
「なんだと?」
 帽子をなおしながらぎろりと横目で睨むが、ルークはひるむ様子ひとつ見せずにらみ返してくる。頬をふくらませているその顔は、いったいいくつの子供だとつっこんでやりたくなるが、実年齢8歳には言ってもしかたがないことかと思いとどまる。
 何より怖いのは、自分と同じ顔のはずなのに、ルークがそういう顔をしてもあまり違和感がないことだ。
「拗ねても無駄だ。おまえは連れて行かない」
「いいよ、だったら勝手について行くから……」
「それもダメだ」
「なんでだよ!」
 さらに頬をふくらませるルークに、アッシュは心底呆れたようなため息をもらした。
「なんでそこまでついて来たがるんだ」
「アッシュと二人きりで出かけたい」
「珍しくもねえだろう」
「それでも、一緒に出かけたい!」
 服の裾を掴んでこようとする手をいち早くはたき落とす。された方のルークは大きく目を瞠ると、あからさまに落ちこんだ顔になった。うっかりすると、その頭に垂れた子犬の耳まで見えそうな錯覚を覚える。
 その落ちこみっぷりが、出かける主人にまとわりつく子犬が目の前でドアを閉められて、小さく鳴いている姿を思いおこさせるせいだろうか。少々罪悪感は覚えるが、ここで甘い顔を見せてはならない。
「……今度おまえに付き合ってやるから、今日は諦めろ」
 それとも、俺が言ったことを守らねえとでも思っているのか?そう無言の威圧をこめれば、それでもまだ不服そうにアッシュを見ていたルークは慌てたように頭を横に振った。
 アッシュにとって約束は絶対的なものだ。滅多にしてくれないかわりに、一度口にした約束は必ず守ってくれる。
「……わかった」
 ルークはしぶしぶ頷くと、最後の抵抗とばかりに上目づかいにアッシュの顔を睨みつけた。
 だけどその子供っぽい抵抗に、アッシュは小さくひとつ鼻を鳴らしただけだった。




 アッシュが戻ってきたのは、夕食のはじまるすこし前のことだった。
 置いて行かれたことに拗ねていたルークは、当然のことながら迎えにはでなかった。それどころか、朝からずっと部屋にこもりっきりだった。
 だが、さすがに夕食には顔をださないとまずいだろうということは、さすがにルークもわかっている。そうしないと、二人の息子をことのほか溺愛している母親がまたあれこれと気をもむからだ。それに、置いて行かれたからと丸一日閉じこもっているのは我ながら子供っぽいということは、さすがに自覚している。
 もっとも、ルークの実年齢から考えればそういうこともあるのかもしれないが、曲がりなりにも身体的には成人に近い年齢をもっているだけに、背伸びをしたい子供としてはそのあたりは複雑だ。
 それでもぐずぐずとベッドの上に転がっていると、ドカンと大きな音を立ててドアが叩かれる。
「いつまで拗ねてやがる。さっさと出てこい」
 先に行っているぞ、とその声は言い置くと、そのまま本当にドアの閉まる音が聞こえた。
 ちょっとぐらいは待っていてくれてもいいのにと思いながらも、そうされればされたで複雑な気分になることは間違いなくて。
 そんな余計なところだけは、なまじ同位体なせいなのか読まれてしまっている気がする。
 そんなこともあって、その日の夕食はじつにひっそりとしたものだった。
 しかしそれもここ最近では珍しいことではないので、母親のシュザンヌもメイド達も慣れたものだ。
 はじめの頃は派手に喧嘩をくり広げる二人にハラハラとしたものだったが、今ではそれも仲の良すぎる二人のコミュニケーションの一つと彼女たちもわかっているからだ。
 どうせ長くても数日でまたもとのようになるのがわかっているのだから、気をもむだけ無駄になる。
 もっとも、その間はアッシュへの風当たりがいささか冷たいものになる。何のかの言いながらも、同じ姿形をしていても子供っぽい(実際、実年齢も下だ)ルークに対して、屋敷の者たちは甘かった。




 さっさと夕食をおえて席を立ったルークは、すぐにアッシュが後を追ってきたのに気づいて足を速めた。
 走りはしない。ここで走ったら負けだという、わけのわからない強迫観念があるからだ。
 実際逃げていることには変わりないのだが、そのあたりは複雑なプライドの問題だ。
 だかだかとものすごい足音をたてながら早足で廊下を歩いていゆく二人に、警護の白光騎士団やメイド達がすれちがいざまに目を丸くする。
 そのままの勢いで中庭をつっきり共同部屋の前までやってくると、ルークは先にドアの取っ手に手をのばそうとした。しかし後ろにいたはずのアッシュの手が先に取っ手を掴む。
 ふり返ろうとしたところを背を押されるようにして部屋にはいると、ルークはふてくされた顔のままあらためてアッシュの方をふり返った。
「んだよ……」
「いつまでもガキみてえに拗ねてんじゃねえよ」
 低い怒りをこめた声とともに、拳が頭に落とされる。その容赦のない痛みに呻きながら、ルークも反撃を試みる。
「あいかわらず単純だな」
 小馬鹿にしたような口調とともに、ルークの拳は片手で止められる。続いて繰り出した足も空振り、それどころか逆に引っかけられてまともに顔面から床の上ダイブすることになった。
「……って──!」
 したたかに鼻を打ったルークは、鼻の頭をさすって起き上がりながらもアシュの膝にむかって蹴りをいれようとした。しかしそれすらもひょいと軽い身のこなしでよけられ、ルークは殺意の籠もった視線をアッシュにむけた。
「てめっ……!んっ、んんんっ?」
 思い切り叫ぼうと大きく口を開けたところに、何かを放り込まれる。とっさに飲みこみそうになったのを慌ててもどすと、ふんわりと口の中に甘い味とかすかな薄荷の味がひろがった。
「……はに…?」
「あめ玉だ」
 床の上に座り込んだままのルークに手をのばすと、アッシュは面倒くさげにそうこたえた。差しだされた手を掴んだルークは、ふと思いついて逆にその手を強く引っ張った。すると、あっけないほど簡単にアッシュがバランスを崩して倒れこんできた。
「痛って──!さっさとどけよおまえ!」
「おまえが急に引っ張るからだろう!」
 そんな低レベルな言い争いをひとしきりしてから、二人は顔を見合わせてからふいっと互いに顔をそらした。
「なんだよこれ……、こんなんで機嫌をとったつもりかよ」
 もごもごと口の中に放り込まれたあめ玉を舐めながら、ふて腐れたようにルークが言う。
「なんでおまえの機嫌なんかとらなくちゃなんねえんだ。ガキ」
「あー!ガキって言った!」
「本当のことだろうが」
 むーっとルークは頬をふくらませたが、すぐに思い直したようにがしがしと勢いよく頭を掻いた。
「で、なんなわけこれ?」
「お返しだ」
 予想していなかったこたえに、ルークはきょとんと目を瞠った。
「お返し?」
「……おまえ、明日が何の日か忘れてンじゃねえだろうな」
 アッシュは呆れたようにためいきをつくと、上着のポケットから小さな紙袋を取り出した。
 差しだされた紙袋の中をのぞいてみると、白っぽい粉がまぶされた丸いものがいくつも入っている。ふんわりと甘い匂いがするところを見ると、どうやらこれがいま口の中に放り込まれた飴とおなじものなのだろう。
「明日は、ホワイトデーだろうが……」
「へ?……ああああっ!」
 やっぱり忘れていたなといいたげなアッシュの視線を受けて、ルークはがっくりと肩を落とした。
「わ、忘れてた……」
「そんなこったろうと思っていた」
 呆れ半分なのは、予想の範囲内のことだったからなのだろう。
「あ、で、これって……」
「おまえへのお返しだ」
 だからついてくるなって言っていたのかとようやく思い当たって、ルークはばつの悪そうな顔になった。
「あ、ありがとう…」
 ころん、と口の中であめ玉を転がしながら礼を言う。そうしたら、不思議と幸せな気持ちになってきた。

「えへへ」
「文句はないのか?」
「なんで?」
「そんなあめ玉だけだぞ」
「アッシュが俺のために買ってくれたものなんだから、これでいいんだよ」
「あのダアトのガキには三倍返ししたぞ」
「アニスだもん、しかたねえよな」

 いまは何を言われても起こる気になれないルークは、自然と緩みっぱなしになる頬をそのままにしている。
「それに……ん、あれ?」
 もごもごと口の中で飴を転がしながら、ルークは小さな違和感をおぼえて首を傾げた。
 その様子を見て、アッシュがちいさく笑う。
「口から出してみろ」
 一度口に入れた飴を出すのはすこし気が引けたが、言われたとおりに出してみる。そしてつまみ上げた指先にあるその色を見て、ルークは思わず目を瞠った。
 袋の中にある飴は、どれも白い色をしている。それなのに、いま口から出したばかりの飴は綺麗なスミレ色をしている。
「変わり玉っていう飴だそうだ。舐めていくうちに味も色もすこしずつ変わっていくものらしい」
「へえ…」
 ルークは飴を口の中にもどすと、指先をぺろりとなめた。
「本当は、もっといいものを買ってやろうかと思ったんだがな」
「ううん。すげえ嬉しい」
 それ以上は何も言わないけれど、きっと一日中歩き回って選んでくれたのだろう。
 高級な飴や焼き菓子も大好きだけれど、言葉は悪いが新鮮味はない。
 もちろんアッシュがくれるものならなんでも嬉しいけれど、きっとこれは自分が一番喜ぶだろうと思って選んでくれたもの。そうやって悩んでくれたことが一番嬉しい。
 えへへと笑み崩れたルークに、アッシュはまんざらでもなさそうな笑みを浮かべた。



「ところでおまえは、明日のお返しを用意したのか?」
「……う」
 ホワイトデー自体を忘れていたルークが、もちろんそんな手配をしているわけがない。
 そして、だれよりも恐ろしいのはアニスだ。
「やべえ……」
 三倍返しね、と念を押されていたのに忘れたなんて言ったら、どれだけの嫌味をくらうかわかったものではない。
「んなこったろうと思って、あのガキとティアにはおまえの分も手配しておいた」
「アッシュ…」
 おもわずぎゅっと手を握って上目づかいに見あげれば、なぜか怒ったような顔になった。しかし、心なしか耳のあたりが赤くなっているようにも見える。
「……っの…!まあいい。ナタリアと母上の分は、明日自分で選べ」
「うん。わかった」
 こくこくと頷きながら立ち上がろうとしたルークは、なぜかまた引き戻されて腰をおろした。
「なに…?」
「残りのお返しだ。朝言ったとおり、一日おまえに付き合ってやる。……明日な」
「それって…」
 もしかしなくても、ホワイトデー・デートというものだろうか。
「わかっているな?おまえに付き合ってやるんだからな。それを忘れるな」
 あくまでもルークに付き合ってやるのだと主張するアッシュに、おもわず噴き出してしまう。
 しかしそれが気に入らなかったのか、ぴくりとアッシュの片眉が跳ねあがった。
「……わかっているな、『一日中』だからな」
 くくっとあがった不穏な笑い声に、さあっと音を立てて血の気がひいたような気がした。
「や、やっぱりいいよ。アッシュ忙しいんだろう?」
「いや、明日も一日休みをもらってある。安心しろ」
 ありえないくらいに優しく、手をとられる。
 その手に抵抗する術を、もちろんルークは持っていなかった。



 そしてホワイトデー当日、城下を喧嘩しながら歩く二人の赤毛の姿が見られたのはいうまでもない。



END
(07/03/14)


単なるバカップル