放課後のナイショ話




「そこ、間違ってるよ」
トン、とフレンが指先でついさっきユーリが書いた公式を指さすと、上目づかいに睨まれた。
「だったら先に言えよ」
「気がつくかなって思ってたんだよ。だって、どう見たって答えが変だろう?」
「ンなことに俺が気付くわけねえだろ。お前とは違うんだよ、優等生」
ユーリはさらにブツブツとフレンへの文句を呟きながら消しゴムをかけると、うーと一言唸りながら机の上に突っ伏した。
「ダメだわかんねー」
「諦めるのは早いよ、ユーリはやれば出来るんだから」
「それは普段からある程度勉強している奴に言うことだろ。ダメだ、俺は数学には向いてねえ」
「自己分析はいいから早く終わらせなよ。そうじゃないと、帰れないよ?」
そう、ユーリは現在数学教師からさぼりの代償として、教室での居残りをさせられている真っ最中だった。
「こんなんやらなくても別にかまわねーだろ」
「ダメだよ。これは救済措置なんだからね。君だって僕と違う学年になりたくないだろう?」
「……おまえ、さりげなくひでーこと言うな」
あんに落第をほのめかされて、ユーリはげんなりとした顔になる。フレンはそんなユーリの前髪をそっと撫でると、にこりと笑みを浮かべた。
「ひどくなんかないよ、ちゃんと付き合っていてあげているでしょ?」
「付き合ってくれるより、手伝ってくれた方が愛を感じるけどな」
前髪を撫でる指を捕まえながら、上目づかいに見あげてくるユーリの瞳が悪戯っぽく細められる。
「ユーリ、自分でやらないと……」
「なっ、ちょっとで良いから」
「ユーリ」
フレンが真剣な目で睨むと、おお恐いとわざとらしくユーリが肩をすくめる。その動きにつれて髪が一房、大きく開いたシャツの胸元あたりにこぼれ落ちた。
「おまえなあ、家ではちゃんと教えてくれるくせに……」
「宿題や予習は手伝ってあげるけれど、これは君の自業自得だろう」
「でも、これ終わらねえと帰れねえんだけど」
「だから待っていてあげているじゃないか」
なんと言われようと、答えは教えてやらない。そう言外に匂わせながら、フレンはわざとらしく窓の外に目をやった。
放課後の校庭では、陸上部が走り込みをやっているのが見える。すこし遠く聞こえるかけ声は、野球部だろうか。風に乗って特別棟から歌声が聞こえる。まだ始めたばかりの曲なのか、同じメロディを何度もなぞるその歌声が時間が止まっているかのような錯覚を感じさせる。
本当は、今日はひさしぶりに生徒会もなにもなくて早く帰れるから、ユーリとどこかに寄って帰ろうかと話していたのだ。
特に先週はフレンが生徒会に方にかかりっきりになっていたので、家に帰ってからもユーリとは窓越しに寝る挨拶を送るのが精一杯で、ゆっくりと話せるのは本当に久しぶりのことだった。
それなのに、ユーリがいきなり今日になって居残りを命じられてしまったので、予定していたことはすべて台無しになってしまった。しかたなくフレンもそれにつきあうことにしたのだが、今さらになってフレンは自分が思った以上にそのことに落胆していることに気がついた。
だから、ついユーリにさっきから意地悪な口をきいてしまうのかもしれない。
何となくそんな自分が子供じみたように感じられて、フレンは自嘲をこめてため息をもらすと顔をユーリの方へ戻そうとしたが、それよりも前に伸ばされた冷たい指に強引にふり向かされた。
「ゆ、り……っ?」
思わず名を呼んだ唇に、温度の低いぬくもりが触れてくる。見開いた視界いっぱいに、笑みをたたえた黒紫色の瞳が映る。
蠱惑に満ちたその瞳に意識を奪われている間に、あわせられた唇の隙間から温かな舌が入り込んできた。自在に動き回るやわらかな熱に、ぞくぞくとした感覚が背筋から腰のあたりまでを駆け抜ける。
「んっ……」
微かに鼻にかかった甘い声。そして緩く伏せられた長い睫に誘われたように、フレンは自分の口の中で甘い感覚を振りまいているユーリの舌を絡めとった。一度感じてしまった甘い感覚に逆らえず逆に強く求めると、いつの間にか首筋に絡みついてきていたユーリの指が微かに震えるのがわかった。
時間はそれほど長くはなかったが濃密なキスを終えると、まだ呼吸のわかる位置でユーリが甘く瞳を細めた。
「報酬先払いでどうだ?」
「……まったく、君は」
「受けとっちまったもンは今さら返せねえよな?」
呆れたように息を吐くと、してやったりと言わんばかりにユーリが笑みを浮かべる。その笑顔が、中学の英語の教科書に載っていたチェシャ猫の笑いに似ているような気がするのは、きっと気のせいじゃない。
「……これだけじゃ、前払い分しかないと思うけど?」
「おっと失礼。そんじゃ残りは後でサービスするってことで」
「まさかここで?」
ぎょっとした顔で身を引きかけたフレンに、ユーリも一瞬目を丸くさせてから、弾けたように笑い声をあげた。
「生徒会長様がお望みなら?」
「冗談はよしてくれ」
「なんだよ、定番だろ放課後の教室でイケナイことってのは」
なんの定番だ、と激しく突っ込んでやりたくなりながら呆れた目を向けると、やたらと色っぽい目で笑みを返される。挑発とわかっていてもその眼差しにドギマギしてしまうのは、仕方ないだろう。
「おっと、とりあえずこれを終わらせてからな」
思わず誘われるようにもう一度唇をあわせようとすると、非情にもユーリの白い掌で押しとどめられる。それにすこしだけ恨みがましい瞳をむけると、笑いながらユーリは素早く頬にキスをした。
「イイコトは、また後でな」
そう言って細められた葡萄色の瞳に、かなわないなとフレンはため息を落とした。
なんのかの言って、結局はユーリに甘くなってしまうのだ。自分は。
本当に、なんで恋ってものはこんなにも厄介なものなのだろう。
きっと一生、このフィールドでは自分は彼に勝てないに違いない。
それは、確信に近かった。



END
(08/11/10)



*良かったら、凄く好きって言ってくれたHさんへ。ラブ!