最初の夜




夢の中から蹴り出されたようにぽっかりと目が覚めて、ユーリは暗がりの中で何度も瞬きをした。
すこしずつ闇に目が慣れてくると、ぼんやりと部屋の中の輪郭が視界に浮かび上がってくる。なんでこんな時間に目が覚めたのだろうと無意識に自分の隣に手を伸ばして、ユーリは空ぶった手にようやくハッとした。

「……ったく」

眠っていたとはいえ、すっかり忘れてしまっていた自分にユーリは小さく舌打ちする。そしていつもは出来ない寝返りをうつと、反対側の壁にくっつけておいてあるソファの方をふり返った。
今夜はそれほど月も明るくないのか、見えるのはぼんやりとした影だけ。だけどその中でもはっきりと白っぽく見える小さな塊を見つけて、ユーリは小さく唇をとがらせる。
自分で無意識に探したくせに、見つけてしまったことが気に入らない。そんな自分でも理不尽だとわかっている気持ちが、胸の中に苦い味を流しこむ。



きっかけは、本当に些細なことだった。
自分を頼ってきた他の子供たちの手助けをしたら、それを後でフレンに怒られたのだ。どうして怒られなければいけないのかわからなかったし、たぶん同じ事を頼まれたらフレンだってやってあげただろうと思えることだった。それなのにいきなり頭ごなしに怒られて、当然ユーリは反発した。
フレンと喧嘩になることは、実はあまり珍しくない。
小さな言い合いから取っ組み合いの喧嘩まで、それこそあらゆる種類の喧嘩をいままでやってきた。
もちろんその中にはお互いの言いがかりに近いものや、単に機嫌が悪かったからというようなどうしようもない理由の喧嘩もたくさんある。だけどこれほど納得のできない喧嘩をしたのははじめてだった。
気まずいまま家に一緒に戻って、でも食事は別々に食べて。こんなとき、一緒に暮らしているのは色々と不都合だ。
それでもどちらかが出て行くなんて考えもしないのも、同じくらいに意地っ張りだから。これでどちらかが自分が悪いと思っていればすぐに謝ったり、一晩だけ誰かの家で世話になったりするのだけれど、互いに譲らないときはこんなふうになってしまう。
だけど、別々に眠ったのはたぶん初めてだ。
どんなにひどい喧嘩をしていても、一緒に暮らし始めてからは家の中にあるものは二人のものと決めてきた。喧嘩をしたなら背中合わせに眠るのがいつものことで、そして一晩そうやってお互いに気まずいままで背中をくっつけて眠っていれば、次の日にはどちらかが謝って喧嘩は終わり。
それがいつものことなのに、今夜は違う。

(なんだよ、フレンの奴……)

ふて寝とばかりに先にベッドに入ったのは、ユーリの方だ。
ちょっと意地悪をしていつもよりも大きな面積を取って横になったけれど、後からフレンがすこし乱暴に自分を押しのけてベッドに入ってくると、その時までは疑ってもいなかったのだ。
それなのに、ちょっとウトウトしかけた頃に灯りが消されたので身構えていたら、フレンはなぜかベッドには入ってこずに反対側の壁にあるソファの方で寝支度を整えてしまった。
それをこっそり盗み見しながら、ユーリは自分でも良くわからないなりにひどいショックを受けていた。
なんだろう、今日は何かが違う。
喧嘩の原因もなんだか良くわからないし、フレンの態度も変だ。
わけがわからなくて頭がぐるぐるしそうだ。だからだろうか、なんだか鼻の奥が泣き出す寸前のようにつんとしくてる。
だけどそうしているうちに、今度はなんだかだんだんと腹が立ってくる。フレンのバカ野郎とユーリは心の中で叫ぶと、そのまま意地になってソファに背をむけたまま目を閉じた。
それが、数時間前のこと。



ユーリはしばらくじっと暗闇の中でうっすらと見えるフレンの頭を見つめていたが、もう一度そちらに背をむけると布団の中にもぐり込んだ。
最近では二人で寝るにはちょっと狭くなってしまったけれど、ずっと当たり前のようにくっついて寝ていたから、なんだか背中がすうすうする。
その頼りない感覚が、先ほど自分の目を覚まさせた原因なのだということはユーリもよくわかっている。だけどそれで眠れないなんて、自分でも認めたくなかったしフレンにも知られたくなかった。
心の中で何度も悪態をつきながら、布団の中で丸くなる。だけどそうやって意識すればするほど、眠りは遠ざかってゆく。

「ユーリ」

いいかげん焦れて叫び出しそうになっていたユーリは、突然背中にかけられた声に、びくりと跳ねあがった。

「ねえユーリ……起きているんでしょ?」

ユーリは一瞬このまま寝たふりをしようかとも思ったが、さきほど思いきり反応してしまっている身としてはそれもきまりが悪く、しかたなく渋々上掛けの中から目を覗かせた。

「やっぱりこっちで寝かせてくれる? 眠れなくて」
「……」

月明かりの中にぼんやりと見えるフレンの顔がなんだかずいぶんと苦しそうで、ユーリはその表情にぎゅっと心臓のあたりを押さえられたような気がして、黙ってフレンの場所をあけてやった。
それでもまだ怒っているのだと主張するためにすぐにくるりと背をむけたが、その後ろでフレンが隣に横になったのがわかった。
ふわりと、先ほどまでなにか抜け落ちているような感じだった背中のあたりが、温かくなる。自分でも悔しいがそれにほっとしていたユーリは、ふいに後から腕をまわされて抱きしめられ、ぎょっとして肩越しに後ろをふり返った。

「フレン? なんだよ、おまえっ!」
「……ごめんね」

首筋に鼻先を埋められるようにして謝られ、ユーリは目を丸くしたまま自分の肩のあたりにあるフレンのつむじをじっと見つめた。

「な、なんだよ」
「昨日の喧嘩。僕が悪いから」
「い、いきなりなんだよ!」
「本当にごめんね」

フレンは顔を伏せたままそういうと、ユーリの肩に額をすりつけるようにしてきた。その仕草がなんだか飼い犬が主人に甘えているように見えて、ユーリは思わずため息をついた。

「……いいよもう。オレもちょっと熱くなりすぎた」
「ありがとう、ユーリ」

さらにきゅっと後から抱きしめられて始めはじたばたしていたユーリだったが、所詮力ではフレンにかなわない。しかたなく諦めて身体の力を抜けば、しだいに背中にくっついてくるフレンの体温にウトウトと眠気を誘われる。

「ねえユーリ……」
「んー?」

眠気が混じりはじめた声で返事をかえすと、かすかに背中でフレンが笑った気配がした。

「このあいださ、道具屋のおじさんがベッド一つ余っているって話していたじゃない? あれ、もらってこない?」
「フレン?」

ユーリは何となく違和感を覚えて背後のフレンをふり返ろうとしたが、しっかりと抱きしめられてしまっていてつむじしか見ることができない。

「なんだよ急に。このあいだはいらねーって言っていたじゃねえか」
「……うん。でもさ、やっぱりちょっと狭くない? まだこれから僕たち背も伸びるだろうし」
「あ〜、まあなあ……」

たしかにこのベッドで一緒に寝るには、そろそろ二人ともおおきくなりすぎている。フレンが言うのももっともだが、なぜいきなりそんなことを今言いだしたのかがわからない。

「明日からは、別々に寝ようね」
「オレは、別にかまわねえけど……」

そういいながらも、ユーリはなぜかすこしだけ裏切られたような気持ちになっていた。
なんで、どうしてそんなことをいきなりフレンが言いだしたのか、理解できない。そう思ったら、いままで何でもフレンのことならわかっていたはずなのに、急に自信がなくなってきた。

「おやすみなさい。ユーリ」

抱きしめてくるフレンの腕に軽く力がこめられる。
その腕が、本当は離れたくないと言っているように感じる。
だったら最初からそんなことなど言わなければいいのにと思いながらも、ユーリもなにも言わずにそのまま目を閉じた。
あのわけのわからない喧嘩も、そして急にフレンが別々に寝たいと言いだしたことも、なにもかもが良くわからない。
だけど聞いてもこれは教えてくれないこと。そして、きっと聞いてはいけないこと。それはなんとなくわかる。


それが、お互いが本当の秘密を持つようになった夜だった。




END(08/12/07)