星を砕く男




自分について考えることをやめたあの日から、こういう日がいつかやってくると分かっていたはずだった。


渡された鍵で部屋の扉を開くと、その音を聞きつけたのかベッドの上から鋭い視線がレイヴンを射抜いた。
その視線が一瞬、自分の姿を捕らえて揺らぐのがわかる。だが、すぐに強さを増した視線が自分にむけられるのを感じて、レイヴンはかすかに唇の端をあげた。

「……何の用だよ…おっさん……」

張りのない掠れた声がまだ自分を仮の名の時の呼びかけで呼ぶことに、レイヴンの笑みはさらに深くなる。それ以外にどういう顔をすればいいのか、わからない。
無言のままベッドに近づいたレイヴンは、その惨状に複雑そうに目を細めた。
ぐしゃぐしゃに乱れたシーツの上には、そこで陵辱というにふさわしい行為が行われたことが一目でわかるほど、大量の精液と血の痕が散らばっている。そして、ベッドがすえられた壁から伸びた二本の鎖によって両手を捕らえられたユーリが、倒れこむことも出来ず中途半端な姿勢でその上にうずくまっていた。
身につけているのは肘のあたりまで引き上げられた黒い上着だけで、それ以外の衣類はすべてはぎとられている。肌の上にはおびただしい数の赤い跡が散らばっていて、なまじ白くて美しい肌だけに、その色彩は鮮烈で痛々しい。
つけられた跡は、吸われて作られた愛撫の跡と薄い切り傷が半々くらい。それが薄い刃物で面白半分につけられた傷であることは、すぐにわかった。
だが一番ひどいありさまになっているのは、下肢だった。
力が入らないのか開かれたままになっている足の間には、無数の赤茶色の筋と白い跡が残っている。そしておそらく無理矢理足を開かされでもしたのか、白く滑らかな腿の内側には内出血でもしたかのような赤い指の跡が残っていた。

「ずいぶんと、酷い目にあったみたいね……」

あの男が容赦のない男であることは、レイヴンもよく知っている。そして、この気位の高い美しい獣のような青年が、簡単に屈しなかっただろうことも。
だが、それこそあの男のもっとも喜ぶ獲物でもあった。どうりで今朝は機嫌がよかったはずだ。

「はっ……人のこと、見物にでも…きたのかよ」
「そんなことあるわけないでしょ。団長のことだから、ユーリが酷い有様になっているだろうと思ってね」
「余計な…せわ…っ」

ユーリはそこですこし咳きこむと、辛そうに顔を歪めた。咳の振動が身体に響くのだろう。声も、無理矢理啼かされたことがはっきりわかるほど枯れてしまっている。
どれだけ酷く弄ばれたのだろうかと思うと、痛むはずなどない偽物の心臓がかすかに軋むような錯覚を感じた。だがすぐにレイヴンは自嘲すると、かすかに首を振った。今の自分には、このかつて仲間と呼ぶこともあった青年に同情する資格などない。

「いいから大人しくしてなさい。傷の手当て、してあげるから」
「……断る」
「そういわれても、勝手にさせてもらうから」

レイヴンの手から逃げようと身体を動かしたユーリの動きは、いつもの彼らしなく緩慢で弱々しいものだった。なんのかのいいながらも、痛めつけられた身体のダメージは酷いのだろう。
まだきつい眼差しで自分を睨みつけているユーリを無視して、レイヴンは傷を調べはじめた。
刃物で切られた傷はどれも浅く、血の滲んでいるものはすくない。切られたと言っても、おそらくこれも愛撫の一つなのだろう。
かなり悪趣味な愛撫ではあるが、そうやって手に入れた獲物をいたぶりながら快楽に突き落とすのが、あの男のもっとも好む遊びだった。
レイヴンは持ってきた薬を取り出すと、上半身につけられた傷の一つ一つに丁寧に塗りはじめた。
薄い傷だからこそ染みるのか、時折ぴくりと小さく反応が返ってくるのを、指先に感じる。おそらく、傷をつけられたところもすべて感じる場所なのだろう。そこをあらためて指で辿られるのはユーリにとって苦痛だろうが、レイヴンはつとめて考えないようにした。
一番深い傷に薬を塗るとき、まるで感じているかのような声がユーリの唇からもれたのも気付かないふりをした。
上半身につけられた傷をあらかた手当てし終えると、レイヴンは弱々しい抵抗をしめすユーリを無視して酷く傷ついた下肢を大きく開かせた。

「……つっ」

まだ中に残っていたのか、開かせた足の間からどろりと赤の入り交じった白いものがシーツの上に流れ出す。それらをすべて湿らせた布で拭き取ってやってから、レイヴンはユーリの足を抱えあげてそこが見えるように折り曲げると、熟れたように真っ赤になっているそこに指をはわせた。

「……つっ! ……ん、う…」

ユーリの唇から苦痛の声が漏れるが、レイヴンは薬を指で掬うとふたたびそこに指をはわせた。時々傷に酷くしみるのか、その度にびくりと小さくユーリの身体がはねる。

「……すこし、我慢しろよ」

レイヴンはユーリの背に手をまわして腰をすこしあげさせると、薬をつけた指を中にもぐりこませた。

「……う、あっ……!」

びくびくと震える身体を押さえながら、奥を探る。
内壁に指を擦りつけるようにしてまわし、まんべんなく薬を塗りつける。そのたびにひくつくユーリの内壁のうねりと熱さに劣情をくすぐられながらも、レイヴンはつとめて事務的にそれらの作業をすすめた。

「……ん、うっ……」

最後に指を引く抜くとき、まるで引き留めようとでもするようにレイヴンの指をくわえ込んだユーリの中に、ざわりと首筋の産毛が逆立つような感覚を覚えてレイヴンは薄く苦笑した。
たぶん本人はまったくそんな自覚はないだろうが、これはその手の趣味の者にはたまらない身体だろう。まるでそんな気のない自分でさえ、これだけそそられるのだから。
どうりでこれだけ酷く痛めつけられたわけだ。

「……食べ物は、食べられそうにないわね」
「これ…外してくれたら、食べられるかもしれねえぜ」

じゃらりと鎖を鳴らして挑むような笑みを浮かべるユーリに、レイヴンは小さく首を振る。

「それは無理。あとで柔らかいもの持ってきて食べさせてあげるから、少し寝てなさい」
「寝るなら横になりてえんだけど」
「ユーリが頷けば、いつでもおっさんが団長に頼んであげるけど」

軽い調子に軽い調子で返せば、きつい視線がかえってくる。その瞳から逃げるようにレイヴンは視線をそらすと、ベッドから降りた。

「……あんたが、背くっていうのはないのかよ」

追いかけてきた言葉に、レイヴンは一瞬うごきをとめてからふり返った。
怖いくらいに澄んだ黒水晶の瞳が、まっすぐ見つめてくる。闇の色なのに、まるで星のような瞳だと思った。

「もう、遅い……」

呻くような声でそれだけ答えると、レイヴンは部屋を出た。



後ろ手に閉めた扉に背をあずけながら、深いため息をもらす。そう、もうなにもかも遅いのだ。
もっと早くにユーリたちに会っていれば、もしかしたら違う道があったかもしれない。でも、もう運命は加速をあげて転がり落ちはじめている。
命令されていたエステルだけでなくユーリも一緒にさらってきたのは、レイヴンの独断だ。
あの時レイヴンは隙を見てユーリに薬をかがせ、昏倒させてからエステルを捕まえた。そして意識を失った彼を使ってエステルに道を開かせミョルゾを抜け出したときには、もう覚悟は決まっていた。
ユーリを連れ出したのは、後から追っかけてくるであろう彼らを押さえつけるためだった。リーダーであるユーリの不在は、自分とエステルが抜けるだけよりもはるかにあのパーティにダメージを与えたはずだ。
エステルだけでなくユーリを連れてきたことに、アレクセイは面白そうな顔をしただけだった。
だがレイヴンは、彼がこの青年に少なからず興味を持っていることも知っていた。
そう、知っていて彼にユーリを渡したのだ。
レイヴンは扉から背を離すと、のろのろと歩きはじめた。
迷いながらも真っ直ぐに生きようとするあの青年が、レイヴンは好きだった。
自分の信念を貫くために手段を選ばない覚悟を決めたくせに、それでも心のどこかでそれを間違っていると知っていた彼が好きだった。
自分をからかったり時には意地悪をしてきたりするのに、肝心なときにはかならず手を差し伸べてくれる人の良さが好きだった。
それなのにそのすべてを裏切って、自分は彼をここに連れてきた。
アレクセイに彼を渡すことがどういうことなのか分かっていて、それをした。
だから、自分が彼を愛しいと思うのはもう間違いなのだ。
きっとユーリは壊れてしまう。
アレクセイは人の壊しかたを知っている人間だ。優しさを知っていて絶望を知っているから、人を壊すことが出来る男だ。
だが自分はそれを止めることが出来ない。
自分は、あの男の道具であることを選んだのだから。


レイヴンは段々と足を早めると、彼が『シュバーン』にもどるための場所へと急いだ。
それがいまの彼に残された、たった一つの道だった。


END(初出08/12/13)(改稿08/12/27)