可愛いのは




「お……」

フレン、と続けるはずだった言葉をのみこむと、ユーリは気配を忍ばせて窓から部屋の中に降り立った。
テーブルの上に置かれた、小さなランプの明かりだけが灯った部屋の中。その隅の方におかれた大きなベッドの上に、部屋の主であるフレンがほとんど行き倒れたような状態で転がっているのが見えた。
ユーリはかるく腰のあたりに手をあてて嘆息すると、今度は気配を消さずにベッドの方へ近づいていった。

「……起きねえし」

ベッドの上に転がっているフレンの横顔を見下ろしながら、思わずユーリは呆れたように呟く。普段の彼なら、気配も消せずにここまで近寄れば、眠そうな顔はしていてもとりあえず起きて声をかけてくる。
ユーリほど敏感ではないが、フレンもかなり人の気配には聡い方だ。
もっとも、フレンがユーリに完全に気を許しているから気がつかないという可能性もあるのだが、その辺はあえて考えないでおく。
ユーリは身を屈めてフレンの顔を近くで観察しながら、前よりもその顔がやつれていることに気がついて、顔をしかめた。これは、もう何日もまともに寝ていない顔だ。

「また無茶してんだろ、おまえ。人のこと言う前に、てめえがしっかりしろってんだ……」

見た目よりもふわふわとしたタンポポ色の髪を撫でながら、ユーリは独りごちる。目指していた高みに登り詰めた、自慢の親友。どうせ自らが先頭に立って、あれこれと手を広げているのだろう。
それが悪いとは言わない。上がきちんと動けば、下も動く。
だけど、もともと真面目で融通の利かない性格が災いして、限度というものを知らないから困る。また厄介なことに、ある程度の無茶も出来れば無駄に有能なので、ついまわりも止め時を逸してしまうのだ。
ユーリはそっとフレンの髪を撫でながら、久しぶりにゆっくりとその寝顔を眺めた。
フレンは、子供のころから天使もかくやと言わんばかりの綺麗な顔をした子供だった。
下町育ちとは思えないノーブルな顔立ちと、優しい表情。そして誠実で正義感の強い性格。それこそ童話の王子様をそのまま具現したような彼は、成長してからは少女たちの胸をときめかせる理想の王子様として騒ぎ立てられていた。
だけどこうやって眠っているときの彼は、どこかあどけなくて、王子様というよりは子供のころによく言われていた天使のような顔をしている。

「人のこと童顔とか言うけれど、おまえだって十分そうだろうが……」

そう言って頬をつつきながら、ユーリはため息をついた。普段はあまり思わないが、こうやって眠っていると本当に子供のころと変わらない顔だ。
それが何となく懐かしくてついぺたぺたと顔を触っていると、くすぐったかったのか寝ぼけたのか、フレンが小さく唸るような声をあげてユーリの手を掴んだ。

「おいっ……」

慌てて掴まれた手を引き戻そうとするが、がっちりと掴まれてしまってふりほどけない。何度か引きはがそうと四苦八苦するが、そうしているうちに今度はうるさいとばかりに抱きつかれて、あっという間にユーリはベッドの上に転がされていた。

「おい、フレンっ!」

さすがに焦って声をあげるが、ほとんど抱き枕のように抱きつかれてしまい、身動き一つとれなくなる。キスをするときと変わらない距離に顔をよせられてぎょっとするが、フレンからはすっかり寝入ってしまっているのか寝息しか聞こえてこない。
それでもしばらくの間は引きはがそうとユーリももがいていたが、やがて諦めると、ころりと横になったまま自分にしがみついているフレンを見つめた。
これだけ自分が騒いでも目を覚まさない親友に、つい苦い笑みが浮かぶ。
そう言えば子供のころも、なにかあるとよくフレンはユーリに抱きついて寝ることがあった。そうやって眠ると安心できるのだと、いつか言っていたことがある。

「ったく……」

心なしか先ほどよりも落ち着いた表情になったフレンに、ユーリは苦笑を深めた。必死にしがみつくように抱きついてくるのも、安心しきった寝顔も子供のころと全然変わらない。それがいまや騎士団の頂点に立ち、大勢の騎士たちを指揮している騎士団長様だなんて、ちょっと想像がつかない。

「こうやって寝ていりゃ、可愛いもんなんだがな」

いや、普段だってわりと可愛い。真面目で誠実で、ちょっと天然がはいっているところとかじつにからかいがいがある。
しかも自分なんかに愛を囁いて、すごく一生懸命にアプローチしてきたりするのも、なんだか犬が飼い主に最大限の愛情表現をしてきているようで、うっかり可愛く思ってしまったりすることがある。
さすがに人前ではもうやらないけれど、子供のころはそう思うたびに何度も頭を撫でたものだ。いまだって時々、たまらずこのひよこみたいな色の頭を撫でてみたくなることがある。
がっしりと抱きつかれながら、ユーリはくしゃくしゃとフレンの頭を撫でた。だから最近では、もっぱら眠っている時にだけ頭を撫でる。もちろん内緒でだ。
ユーリは深いため息を一つつくと、あやすようにフレンの背中を軽く叩いた。
どうせこんなにがっしり抱きつかれていては、逃げだすことはかなわない。諦めて今日はここで寝るしかなさそうだ。
そう覚悟を決めたら、温かい身体に抱きつかれているせいなのか、急速に眠気が襲ってくる。ユーリはそんな自分の身体の要求に逆らわず、そっと目を閉じた。



しばらくして、やわらかな寝息がフレンの頬をくすぐるようになると、彼はそっと目を開いた。
目の前には、あどけない寝顔で眠っているユーリの顔がすぐ近くにある。フレンはゆるく笑みを浮かべると、抱きしめていたユーリの身体をもう一度彼が楽なように抱きしめなおした。
もしいまこの瞬間にユーリが目を覚ましていたら、きっとタヌキ寝入り野郎と怒られるだろう。だけど無駄にそんな技術を向上させた張本人は、ユーリなのだ。
年を取るにつれて、ユーリは人前でフレンの頭を撫でたり抱きついてきたりとかの、スキンシップをあまりしなくなっていった。フレンはずっと昔からユーリに褒められて頭を撫でられたりするのが大好きだったのに、ここ何年も起きているときにはしてもらえないでいる。
だから時々こうやって寝たふりをして見せたりするのだけれど、とりあえず今のところ一度もばれていない。
隙がないようでいて、ユーリは自分の身内と決めた人間にはとことん甘い。それが彼の可愛いところではあるのだけれど、時々こんなふうに簡単に騙されてしまう彼が心配でたまらなくなる。

「あまり、他の人には騙されないでよね……」

騙されてくれるユーリはとても可愛いけれど、他の人に騙されている彼を見るのは許せないから。
フレンは愛しげにユーリの髪を撫でると、そっと額にキスをした。
そしてもう一度眠りの裾を掴むために、ゆっくりと目を閉じた。





END(09/09/08:再録)
*MEMOより再録〜