クリスマスの奇蹟を




消しゴムをちぎって窓に投げつけても、返事はなかった。
フレンは自分の部屋の窓から真っ正面にあるユーリの部屋の窓をじっと見つめながら、もう一度、ちぎった消しゴムを投げつけた。
それでもまったく反応のない窓に、実力行使とばかりに二つの窓の間にある植木に飛び移ると、フレンは今度は自分の手で窓をノックした。

「ユーリ、いるんだろ」

返事はない。それでもめげずにフレンはノックを続ける。

「いるのはわかっているんだから、窓を開けてくれないかな。このままだと凍えそうなんだけど」

やはり暗くなった窓からは何の答えもない。フレンはため息をつくと最終手段を出した。

「ヴェルダンティーのスペシャルガトーフレーズ、1ホール。無駄になるってことかな?」

それでも最後の抵抗のように、暗い窓は答えなかった。だがそれから一分後、渋々というように静かに窓が開く。

「やっぱりいたね」

フレンは窓の隙間からのぞいた不機嫌顔に、にこりと笑いかけた。しかしユーリはただそんなフレンの顔を不機嫌そうに睨むだけで、口を開かない。

「それよりも早く中に入れてくれないかな? 冗談じゃなくて凍えそうなんだけど。じゃないと、指が小声でこれも落としちゃいそうだし」

器用に抱えていた箱をしめすと、フレンはさらに追い打ちをかけるようににこりと笑いかけた。だが、やはり反応が鈍い。

「……わかったよ。そんなに君が嫌なら無理にとは言わないから」

はい、じゃあこれだけでも。と、ケーキの箱を差しだしながら少し眉尻をさげながら見あげると、ユーリは忌々しそうに深くため息をついてから窓を大きく開いた。

「ありがとう」

ユーリの気が変わらないうちにと、余計なことは一切言わずに、フレンは器用にケーキの箱を抱えたままユーリの部屋の窓をくぐった。

「……何の用だよ」

相変わらず不機嫌さを隠さずに、そっけなくユーリが言う。だがフレンはそれにもめげずにケーキの箱を差しだすと、ユーリに手渡した。

「メリークリスマス。一応これが僕からのプレゼント」
「って、おまえ、自分で買ったのかよ!」
「あたりまえだろ、プレゼントなんだから。ユーリ、前にここのケーキを1ホール食いしたいって言っていたじゃないか」

ようやく不機嫌以外の表情を顔に浮かべたユーリに、フレンは内心ホッとしながら笑みを浮かべた。

「お茶入れてくるから、待ってて」

勝手知ったる他人の家だ。フレンは何か言いたそうに自分の顔を見ているユーリにそういうと、さっさと階下に降りていった。



お茶の用意をととのえて上に戻ってくると、ユーリはまだケーキの箱を抱えたまま床に座っていた。
フレンはそんな彼になにも言わずローテーブルの上に茶器ののったトレイを置くと、ユーリの手からケーキの箱を取り上げた。

「ほら、持ったままだと温かくなっちゃうよ」
「フレン」

ぽつりと名を呼ばれて、フレンはそれに応えるように少し首を傾げた。

「……なにも聞かないんだな」
「聞いて欲しいの?」

無言のまま首を振るユーリに、フレンは緩く笑みを浮かべた。

「あれは母さんのおせっかいだからね、別に気にしなくて良いよ。それよりもほら、食べなよ。なにも食べてないんだろ。今日」

フレンはケーキの箱をあけると、ホールのままのケーキをユーリの前に押しやった。そしてそちらは見ないまま、紅茶を入れはじめた。
花の匂いに似た紅茶の香りが、ふわりとあたりに広がる。まだ暗いままの部屋の中で、その香りだけが妙に際だって感じられる。
それでも、フレンは灯りはつけようとはしなかった。ちょうど窓から自分の部屋の灯りがわずかにだがこちらを照らしているし、通りの街灯の明かりでぼんやりとだが部屋の中の様子もわかる。
何より、いま灯りをつけるのはユーリを追い詰めることになることが、フレンにはわかっていた。自分を部屋に入れてくれただけでも、ユーリにとっては大きく譲歩してくれたと言っていいだろう。

「なんでケーキなんだ?」
「これならまだ食べられるかも知れないと思って」

フレンは紅茶のカップを持ってくると、ユーリの隣に座った。そしてユーリのカップをテーブルの上に置くと、自分は素知らぬ顔で紅茶を飲みはじめた。
しばらくすると、隣でユーリが動いた気配がした。指で上のクリームを掬い口元に運んでいるのが見える。甘いな、とぽつりと呟いてから、ユーリはおもむろに手でケーキを掴むと、そのまま口元に運んだ。
まるで貪るように次々とケーキを口元に運んでゆくユーリを、フレンはただ黙って見つめていた。



ユーリのたった一人の身内である祖父が亡くなったのは、夏休みの終わり頃のことだった。
高校生になったばかりの彼にとってそれはあまりに重すぎる出来事だったが、表面上の彼はいつも通りのしっかりとした少年を装っていた。
まだ未成年ということで昔からの隣人であるフレンの父親がユーリの後見人になったが、ユーリはこの家を離れようとはしなかった。
もっとも、昔から行き来をしているので食事に誘えば家にやってくるし、時には泊まってもいく。だけどそれは以前と変わらぬ頻度を超えることはなく、だからこそ両親は気がつかなかったのかも知れない。ユーリが、本当はとても打ちのめされていたことに。
母親から前日にクリスマスの食事にユーリを誘ったと聞いたとき、フレンは正直言うと、なんてことをしてくれたのだろうと少しだけ母親を恨みたい気持ちになった。もちろんそれが母親の純粋な好意からの行為だとはわかっていたが、今のユーリには断ることさえ辛かったに違いない。
冬休みに入り学校がなくなったぶん家にいることが増えて、ユーリの戸惑いが日に日に深まってゆくのを、窓越しにフレンは見ていた。
もちろんユーリ自身にも自覚がなかっただろうし、たぶん気がついていたのは、ずっとユーリを見ていた自分くらいだろう。それほどまでに、ユーリは自分の弱さを上手く他人の眼から隠し通していた。
だけど、それももうそろそろ限界だろうと思っていたところにこれだ。そうは言っても、フレン自身そんなユーリを一人にしておくことが出来るわけもなかった。
一緒にいても平気なのは、たぶん幼なじみの自分だけだ。
自惚れでも何でもなく、フレンにはそうわかっていた。自分と二人きりなら、ユーリは弱いところを見せられる。だから、夜まで待ったのだ。



最後の一欠片を口に入れたユーリの指を、フレンは無言で自分の方へ引き寄せて口づけた。
クリームとスポンジでベタベタになった指を丹念に舐めて綺麗にしてやり、空いた方の手でそっとユーリの頭を抱き寄せる。いつもならなんだよとくすぐったそうに笑うユーリが、なにも言わずにされるがままになっている。
頬にユーリの冷たい髪が触れ、甘い匂いが鼻先を擽る。そのまま抱きしめても、ユーリはされるがままになっていた。いや、逆にまるで甘えるようにフレンにすり寄ってくる。
灯りもない暗く寒い部屋の中で、いつもの彼らしくなく小さく丸まっている身体を抱きしめる。
クリスマスの奇蹟を信じなくなってからもう随分とたつけれど、今だけは祈りたい。
いまこの腕に抱いている愛しい人に、クリスマスの奇蹟があることを。





END(08/12/25)