Cream Kiss




浴室からの水音が止まったのに視線をあげると、ちょうどユーリが髪を拭きながら出てくるところだった。
一足先に浴室から追い出されていたフレンは、その姿を見て思わず苦笑に似た笑みを浮かべた。
腰のあたりを覆うタオル以外になにも身につけていないのに、ユーリは恥ずかしがる素振りひとつ見せない。つい先程まで乱れに乱れた姿を見せていたというのに、そんなことがあったのかとでも言いたげな風情だ。
だがそんな態度とは裏腹に、その身体には先程フレンが刻みつけた所有の印が無数に散らばっている。
湯を使って温められたせいか、その色は情事の最中と同じくらいの鮮やかさでフレンの目を射た。

「……ちょっと、目のやり場に困るね」
「はあ? なに言ってんだお前」

切れ長の黒水晶の瞳を細めて、呆れたようにユーリが言う。何しろ彼は自分の放つ魅力にまったくと言っていいほど無頓着なので、本気で意味がわかっていないのだろう。
そんな無防備な彼だからいつだって心配でたまらないのに、本人は一向に自覚してくれない。しかもあちこちに放っておけない精神での優しさをふりまくから、知らない間に色々なものを引っかけても来る。今のフレンにとっては、それがなによりも一番頭の痛いことだった。
ユーリはベッドに腰をおろすと、乱暴に髪を拭きはじめた。シャワーを浴びっぱなしで出てきたのだろう、ぽたぽたとシーツの上にいくつも染みが出来る。

「ユーリ、ちゃんと水気を切ってから出ておいでって言っているだろう?」
「うっせえな。ちゃんと拭いているんだから良いだろ」

子供みたいに小さく唇をとがらせるのに呆れながら、フレンは手を伸ばすとユーリからタオルを奪ってかわりに彼の髪を拭きはじめた。
小言を言ってはみたが、実のところフレンは知っている。普段のユーリならそんな子供っぽいことはしない。自分の前だから甘えているのだとわかっているから、髪を拭く手もなんとなく嬉しそうにリズムをきざむ。
それに、ユーリの髪はまるで絹糸のように触り心地がいいから、いつまででも触っていたくなる。だから髪を拭いてやるというのは、願ってもない口実でもあった。

「相変わらず綺麗な髪だよね」
「あんま嬉しくねえけど、ま、褒め言葉ってことにしておいてやるよ」
「嘘、本当は結構嬉しいくせに」

わざと一筋髪を引っ張ってやると、満足した猫のように目を細めていたユーリがムッとした顔になる。お返しに思いきり肘鉄を打たれ、予想していた範囲だったとはいえその衝撃に思わず一瞬手が止まる。まったく、こんな時でも容赦ないのだから。

「……痛いなあ」
「お前がつまらねえこと言うからだろ」

フン、と小さく鼻をならしながらも、ユーリはさっさと続きをしろと目で促してくる。そんなところも猫のようで、つい苦笑してしまう。

「まったく、せっかく君のために用意したものがあるんだけどどうしようかな」
「ん? なんだよ」
「君の好きそうなもの」

じっと、黒葡萄色の瞳が探るようにフレンを見つめてくる。それに小さく笑いかえしながら髪を拭き終えると、フレンはベッドサイドの引き出しから薄い箱を取り出した。
それに興味をひかれたのか、ユーリが身体を伸ばしてフレンの手元をのぞき込む。
それは紙の薄い箱で、表には飾り文字で書かれた商品名らしき言葉と白いクリームが描かれている。
それを目にした途端、目に見えてユーリがそわそわしはじめたのがわかった。頭の上に、見えない猫耳がぴこんと跳ねあがったような感じだ。

「もらい物なんだけどね。最近発売されたお菓子らしいよ」
「ふうん」

気のないような返事をしながらも、ユーリの目がちらちらと箱とフレンを見比べるのがわかる。

「食べてみる? 甘いもの欲しいでしょ。疲れているんだし」
「……」

ちろりと横目で睨みつけてくる目が、誰のせいだと訴えている。それに苦笑を返しながらフレンは箱を開いて中の包みを開くと、中から細長いものを取り出した。
ふわりと、甘い匂いが箱の中からたちあがってくる。甘そうなバターとチョコレートと、バニラの匂いだ。
フレンの指には鉛筆のように細長いものが摘まれていて、ほとんどが白いチョコレートで覆われている。芯はココアクッキーなのだろうか、フレンが摘んでいるあたりだけは黒い。
思わず無意識に手をのばしたユーリは、その手を軽くはたかれてムッと顔をしかめた。

「なんだよ」
「だめだよ、ちゃんと食べ方があるんだから」
「食べ方?」

怪訝そうに眉をひそめるユーリの前フレンはなぜか嬉しそうに頷くと、摘んでいたその菓子を口にくわえた。

「あ──っ!」

思わず声をあげると、フレンは菓子を横にくわえたまま笑い出した。

「おまっ! ふざけんなよなっ!」
「ふざけてなんかいないよ」

フレンはすました顔のままユーリの方に顔を近づけると、はいとそのまま止まった。

「何の真似だ……?」
「何のって、ほら、ユーリも」
「は?」
「だから、ユーリもそっち側から食べて」

一瞬の沈黙が降りる。
その時のユーリの顔は、もし他人がその場にいたらなかなか見物だった。呆れたというか、なんだか困ったものを見るような、そんな顔だ。

「フレン……おまえ」
「ほら、早く」

そう言って笑ったフレンの青い目が楽しげに細められているのを見て、ユーリはがくりと肩を落とした。もう、怒る気もしない。

「いいからさっさと一人で喰え。俺はそっちの箱をもらう」
「駄目だよ、ユーリ」

のばした手を逆に掴まれ、そのまま引き寄せられる。

「ほら」

すっと細められた瞳が、落ちた声のトーンとともに甘い艶を帯びる。そう、まるであの時の声のように。その声の響きに身体の奥底にまだ残っていた快楽の火を揺らされて、ユーリはざわりとした感覚が背筋を駆け抜けるのを感じた。

「ユーリ」

名を呼ばれる。
馬鹿と突き飛ばしてしまえば簡単なことだけれど、ユーリは小さく息を吐くと自分の方にさしだされた白い部分に口をつけた。
やわらかなホワイトチョコレートの風味と、少し苦いココアクッキーの味が口の中にひろがる。チョコレートは予想以上にやわらかく、少し口の中で転がすとそのまますぐに溶けていってしまう。
それに誘われるようにもう一口をつけ、さらにもう一口。甘いチョコレートの味と少し苦いクッキーの味が交互に口の中で混じってゆく。
それにしたがって、青い瞳が間近に迫ってくる。
吸い込まれそうな空の青。それに誘い込まれるようにもう一つ囓ると、不意に、距離が詰められた。

「……んっ」

口移しに押し込まれたココアクッキーが、口の中をざらりと撫でる。甘いチョコレートと交じり合った少し苦いクッキーの味が口いっぱいにひろがると同時に、ぞくぞくと背筋を震わせるような深い口づけが施される。
そのまま口の中を舐められ、ざらざらとしたクッキーの破片がフレンの舌と共に口の中を擦り、いつもとは違う奇妙な感覚を与えてくる。

「んっ……っふ」

歯列を舌でなぞられ、最後に下唇を軽く噛むようにして唇が離されると、ユーリは大きく息をついた。甘い味とキスの余韻に、頭がクラクラしている。
ぼんやりとあげた視界の中で、青い瞳が楽しそうに笑う。そして、そっと唇をフレンの白い指が撫でた。

「ごちそうさま」



END(08/10/30)


素敵絵を描かれたお二人と、楽しい場を設けていただいた主催者様にこっそり捧げます。