再会
突然目の前に飛びこんできた黒髪に、一瞬思考が止まるのがわかった。
「生きてるか?」
こんな時だというのにどこか面白がっているような、その声。
そしてふり返ったその瞳が猫のように悪戯っぽく細められるのを見て、フレンはこみ上げてきそうになる感情をなんとか飲みこんだ。
生きていたとは、報告で聞いている。
だけど、この目で見るまでは信じられなかった。
だからいま目の前にいるかけがえのない親友の姿すら、本当に現実にそこに存在しているのだろうかと疑ったほどだ。
それでもなんとかやり取りをして、そして肩を並べて走る。
触れるか触れないかの位置にある、同じ高さの肩。揺れる長い髪。
──ああ、本当に君がここにいるんだ。
ようやく、じわりと染みこむようにしてやってきた実感。
だけどまだまだ、信じられない。
戦場ではありえないことが起こると聞く。
もしかしたらいま目の前で剣をかまえ、お先になんて軽口を叩いて魔物の群れに飛びこんでゆくユーリは、危機に陥っていた自分を救いに来てくれた幻なのかもしれない。
「そこ、くたばんないように気をつけろよ」
飛びかかってきた魔物に向かって一太刀振るい、楽しげに憎まれ口を叩く。
のびのびと剣を振るうその姿はとてもしなやかで美しく、それでいて肉食獣の残忍さをその奥にひそめている。
自分のよく知る、ユーリの太刀筋。
はやく目の前の敵を蹴散らして、彼に触れたかった。
触れて抱きしめて、そして確かめたかった。
* * *
とりあえず野営の準備を整えてユーリを探すと、珍しく一人だった。
彼が自分の所にやってくるときは大抵一人だが、自分からユーリに会いに行くときには、たいてい彼の隣には誰かがいることが多いから、珍しいなと思った。
フレンの顔を見て、ユーリの傍らにくっついていたラピードは大きく一度尻尾を振ると、すたすたと夜の中に消えていった。それをなんとなく二人で見送ると、フレンは無意識のうちにユーリの身体を抱きしめていた。
「フレン……?」
怪訝そうなユーリの声に、フレンはさらに抱きしめる腕に力をこめた。
頬に触れる髪の、少し湿ったような感触がくすぐったい。甘く清しい香りが鼻孔を掠める。腕の中の身体にはたしかに体温があって、そしてしなやかな感触が抱きしめた腕に伝わってくる。
「おい、痛いって」
背中を叩いてくるユーリの手のひらの感触すらも、心地よく感じてしまう。そうやってずっと抱きしめていると、最後には諦めたようにユーリの手が髪を撫でてきた。
「……心配、させちまったな」
「あたりまえだ」
「悪りい」
軽い謝罪に少し腹が立つと同時に、なんてらしいと思わず苦笑する。だからいつものように自分も少し怒った顔をしようとして、たぶん失敗した。
奥底に紫紺の色を隠したユーリの黒い瞳が、まるで子供の頃のように丸くなる。
だけどその姿も、なぜか不意にぼやける。
燃えるように熱いのに、まるで氷を飲みこんだときのように、冷たいものが喉に引っかかっているような気がする。だから上手く息が出来ないのだろうか。
まるで自分のいまの状態がわからなくて、思考が混乱する。そうしているうちに、少しかさついた肌が目尻を拭うようにして頬を滑りクリアになった視界に、少し首を傾げるようにしてユーリがこちらをのぞき込んできているのが見えた。
吸い込まれそうな深淵をたたえた瞳が一瞬だけ柔らかく細められ、すぐにまたいつもの少しからかうような目つきに変わる。
「……泣き顔は、ガキの頃とかわんねえのな」
「なっ…!」
その一言に、ようやく自分が泣いていることに気がついたフレンは、慌てて手の甲で頬を拭った。それを下からのぞき込んでいたユーリは、面白そうに唇の端をあげた。
「いつも一方的にこっちの顔見られてるからな。たまにはお前のそういう顔を見るのも悪くねえな」
「ユーリっ」
「お前のそんな顔見るの、久々だからな」
からかいの言葉に声を荒げれば、小さな笑い声があがる。
全く、口ではこの親友にいつまでたってもかなわない。口が立って皮肉屋で、おまけに本人は認めないだろうが頭の回転がすこぶる速いから、いつだって先回りして言葉を押さえられてしまう。
それでも何か言い返してやろうと口を開きかけたところに、不意にやわらかな感触が唇を掠める。だが、なんだと疑問に思うよりも前に、フレンにはそれがユーリの唇の感触なのだとわかっていた。
「……っ!」
言葉もなくそのままもう一度しなやかな身体を抱きしめると、今度はなんの抵抗もせずにすんなりと腕の中におさまってくれる。
本当は、どんなに心配したのかどんなに不安だったのか言ってやるつもりだった。
だけど無事に生きて目の前にいる彼を見たら、それでもう何もかもがどうでも良くなってしまった気がする。
でも本当はどうでも良いことなんかなくて。せっかくこうやって抱きしめることが出来た彼が、またすぐに自分の腕の中からいなくなってしまうことを、フレンは知っている。
それでも今この瞬間だけは、この喜びを感じていたい。
君がいま、自分の腕の中にいるこの幸せを。
END(初出08/09/29)(08/10/24)
「生きてるか?」
こんな時だというのにどこか面白がっているような、その声。
そしてふり返ったその瞳が猫のように悪戯っぽく細められるのを見て、フレンはこみ上げてきそうになる感情をなんとか飲みこんだ。
生きていたとは、報告で聞いている。
だけど、この目で見るまでは信じられなかった。
だからいま目の前にいるかけがえのない親友の姿すら、本当に現実にそこに存在しているのだろうかと疑ったほどだ。
それでもなんとかやり取りをして、そして肩を並べて走る。
触れるか触れないかの位置にある、同じ高さの肩。揺れる長い髪。
──ああ、本当に君がここにいるんだ。
ようやく、じわりと染みこむようにしてやってきた実感。
だけどまだまだ、信じられない。
戦場ではありえないことが起こると聞く。
もしかしたらいま目の前で剣をかまえ、お先になんて軽口を叩いて魔物の群れに飛びこんでゆくユーリは、危機に陥っていた自分を救いに来てくれた幻なのかもしれない。
「そこ、くたばんないように気をつけろよ」
飛びかかってきた魔物に向かって一太刀振るい、楽しげに憎まれ口を叩く。
のびのびと剣を振るうその姿はとてもしなやかで美しく、それでいて肉食獣の残忍さをその奥にひそめている。
自分のよく知る、ユーリの太刀筋。
はやく目の前の敵を蹴散らして、彼に触れたかった。
触れて抱きしめて、そして確かめたかった。
* * *
とりあえず野営の準備を整えてユーリを探すと、珍しく一人だった。
彼が自分の所にやってくるときは大抵一人だが、自分からユーリに会いに行くときには、たいてい彼の隣には誰かがいることが多いから、珍しいなと思った。
フレンの顔を見て、ユーリの傍らにくっついていたラピードは大きく一度尻尾を振ると、すたすたと夜の中に消えていった。それをなんとなく二人で見送ると、フレンは無意識のうちにユーリの身体を抱きしめていた。
「フレン……?」
怪訝そうなユーリの声に、フレンはさらに抱きしめる腕に力をこめた。
頬に触れる髪の、少し湿ったような感触がくすぐったい。甘く清しい香りが鼻孔を掠める。腕の中の身体にはたしかに体温があって、そしてしなやかな感触が抱きしめた腕に伝わってくる。
「おい、痛いって」
背中を叩いてくるユーリの手のひらの感触すらも、心地よく感じてしまう。そうやってずっと抱きしめていると、最後には諦めたようにユーリの手が髪を撫でてきた。
「……心配、させちまったな」
「あたりまえだ」
「悪りい」
軽い謝罪に少し腹が立つと同時に、なんてらしいと思わず苦笑する。だからいつものように自分も少し怒った顔をしようとして、たぶん失敗した。
奥底に紫紺の色を隠したユーリの黒い瞳が、まるで子供の頃のように丸くなる。
だけどその姿も、なぜか不意にぼやける。
燃えるように熱いのに、まるで氷を飲みこんだときのように、冷たいものが喉に引っかかっているような気がする。だから上手く息が出来ないのだろうか。
まるで自分のいまの状態がわからなくて、思考が混乱する。そうしているうちに、少しかさついた肌が目尻を拭うようにして頬を滑りクリアになった視界に、少し首を傾げるようにしてユーリがこちらをのぞき込んできているのが見えた。
吸い込まれそうな深淵をたたえた瞳が一瞬だけ柔らかく細められ、すぐにまたいつもの少しからかうような目つきに変わる。
「……泣き顔は、ガキの頃とかわんねえのな」
「なっ…!」
その一言に、ようやく自分が泣いていることに気がついたフレンは、慌てて手の甲で頬を拭った。それを下からのぞき込んでいたユーリは、面白そうに唇の端をあげた。
「いつも一方的にこっちの顔見られてるからな。たまにはお前のそういう顔を見るのも悪くねえな」
「ユーリっ」
「お前のそんな顔見るの、久々だからな」
からかいの言葉に声を荒げれば、小さな笑い声があがる。
全く、口ではこの親友にいつまでたってもかなわない。口が立って皮肉屋で、おまけに本人は認めないだろうが頭の回転がすこぶる速いから、いつだって先回りして言葉を押さえられてしまう。
それでも何か言い返してやろうと口を開きかけたところに、不意にやわらかな感触が唇を掠める。だが、なんだと疑問に思うよりも前に、フレンにはそれがユーリの唇の感触なのだとわかっていた。
「……っ!」
言葉もなくそのままもう一度しなやかな身体を抱きしめると、今度はなんの抵抗もせずにすんなりと腕の中におさまってくれる。
本当は、どんなに心配したのかどんなに不安だったのか言ってやるつもりだった。
だけど無事に生きて目の前にいる彼を見たら、それでもう何もかもがどうでも良くなってしまった気がする。
でも本当はどうでも良いことなんかなくて。せっかくこうやって抱きしめることが出来た彼が、またすぐに自分の腕の中からいなくなってしまうことを、フレンは知っている。
それでも今この瞬間だけは、この喜びを感じていたい。
君がいま、自分の腕の中にいるこの幸せを。
END(初出08/09/29)(08/10/24)