海を見て




はじめて見た海は、親友の瞳と同じ色をしていた。
思わずその場から動けなくなるほど感動していたエステルほどではないが、ユーリもその時十分目の前にひろがる海原に心を奪われていた。
こうやってあらためて結界の外に出て世界を見てみると、今までいかに自分が狭い世界で生きてきたのか思い知らされる。
フレンがなにかというと五月蠅く小言を言ってきてたのも、この海を見ているとわかるような気がした。多分彼は、自分にこの世界の広さを知って欲しかったのだ。

「追いついて来いなんて、簡単にいってくれるぜ……」

いつのまにか自分たちの間には、こんなに開きがあったのだ。
ユーリは、胸の奥の方が微かに疼くように痛むのを感じた。それはこれまでも漠然と感じていた感覚だったが、今になってそれがなんなのかわかったような気がした。
それは、焦燥と羨望。
一歩先を歩いていたと思っていた親友が、本当はもっとずっと先を歩いていたことを知ってしまったから。
もちろんそこには、フレンに対する純粋な感嘆の思いもある。
だけど自分が鳥籠の中で囀っていただけの鳥だと知ってしまったいまとなっては、先に籠から飛び出してこの空に翼を広げた親友が、ただひたすら羨ましかった。
ようやく結界の外に飛び出した自分と顔をあわせたら、あの親友はどんな顔をするだろう。
たぶんまず嬉しそうに笑って、それからちょっと自慢げな表情を見せるに違いない。誰にでも公平で優しいフレンもたしかに彼の本質だが、幼なじみのユーリに対してはかなり素が出てしまうのだ。
早くフレンに会いたい。
会って無事を確認して、そしてこの世界を目にした感動を伝えたかった。


* * *


「なーんて、可愛らしいこと思っていたのに、これはないよな」
「何か言ったかい?」
「いーや、何にも」

激しいつばぜり合いの合間にユーリは呆れたように呟くと、一度力で押し戻した。 剣が離れるが、すぐに間髪入れずに重い一撃がおりてくる。
そういえば、フレンとまともに打ち合いをするのは久しぶりだ。
フレンの一撃は、王子様然とした穏やかな容姿に反してなかなか重い。何度も打ちかかられると、その分衝撃で腕が痺れてくるのが難点だ。

「……ったく、相変わらず重いくせに速いな」
「ユーリ!」

フレンはざっと剣を引くと、切っ先で壁に貼られた手配書を指し示した。

「これを見たら、君が帝都を出たことを素直に喜べなくなった……」

まったく相変わらず頑固な奴めと呆れながらも、彼が本気で自分のためを思って怒っているのだとわかっているので、さてどうしたものかと考える。
そこにタイミング良くエステルが現れ、フレンは何度も自分と彼女を見比べてから、やがて諦めたようにエステルを引きずって行ってしまった。
それを見送りながら、ユーリはがりがりと鬱陶しそうに濡れた髪を掻いた。
気のせいか、なんだかどんどん悪い方向へと転がり落ちていっているような気がする。
そして、あのエフミドの丘で見た青く美しい海を見たときの感動が、だんだんとこの街の灰色の雨に押し流されていってしまうような気がする。

「さて、先にカロルたちを拾っていくとするか……」

感動の再会を思っていたわけではないし、多分お小言の一つも飛んでくるだろうとは思っていたが、いきなり斬りかかられるとはさすがに思っても見なかった。

「熱烈な歓迎ってことにしておくかね」

心配してくれているのだということは、ユーリにも良くわかっている。あんな事を言ってはいたが、結局は自分の減刑のためにフレンが奔走してくるだろうことも。
だけど、なんとなくそれはそれで複雑な気持ちになる。
同じ所からスタートしたはずなのに、それではなんだかフレンの方だけがいつの間にか親鳥にでもなってしまったような感じではないか。

「焦る、かな……」

ユーリはまだ、この世界を知らなさすぎる。
だけどまだ決定的な一歩を踏み出せずにいる自分に気がついているユーリは、小さく舌打ちした。
小さな世界に固執し続けるのは、他に踏み出す場所を探せなかったからだ。でももしかしたら、この旅の間にそれが見つけ出せるのだろうか。

「空が見たいな」

それも、とびきりの青空を。
ユーリはしばらく雨の降りしきる灰色の空を見あげていたが、やがてゆっくりと歩き出した。


戸惑いから抜け出す道は、まだ見つからない。



END(08/10/30)