絶対幸福論    ミコト様




「よぉ、マスタング中佐、元気にお仕事頑張ってるかい?」
「…ヒューズ」


セントラルの司令室で書類の山に囲まれていたロイは、陽気に登場した親友を脱力しつつ見やった。
日は傾き、もうすぐ夜の帳が下りる時間帯。
そう、就業時間は間近だが、ロイは昼間自主休憩を取ったせいで残業が決定していた。怒った副官に終わるまで外に出さない宣言をされたせいだ。
まばらな髭にメガネが特徴のヒューズは、瞬時にそんな成り行きを見破ったようで「すっげー量じゃねーか。こりゃ今日中には帰れそうにないな」などと的確な突っ込みを入れている


「何の用だ?」
ロイは再び書類に視線を落としながら尋ねた。くだらない用事だったらすぐさま放り出す、と態度で告げる。
そんな親友に苦笑しながら、ヒューズは口を開いた。
「実は俺、これからデートなんだよ」
「グレイシアとか?」
「あったりまえだろ!他の女性とデートなんざしないっつーの!」
お前じゃあるまいし、と一言付け足したのは、本命が居るくせに頻繁に別の女性との逢瀬を重ねている親友への厭味でもある


「ならさっさと行ったらどうだ?」
自分は(自業自得だが)これから仕事三昧なのに、麗しい恋人とデートするのだと宣言しに赴いたヒューズにロイは鬱陶しそうに手を振った。
まるでワンコを追い払うような仕草に「つれねーの」と思いつつ。
「あのな、今日は思い切って彼女にプロポーズしようと思ってんだ」
少佐に昇進したことだし。
そう打ち明けた途端、ロイの手が止まった。
書類から顔を上げて、マジマジとヒューズを見詰める。
「…そうか、やっと結婚する気になったのか」
「なんだよ、やっとって」
「付き合いが長いくせに何時までもタラタラしているからだ。グレイシアは魅力的な女性なのだから、その内誰かに取られるんじゃないかと心配してやってたんだぞ?」
「…普段の態度はとてもそうは見えなかったデスガ?」
「それはともかく」
コホンとわざとらしい咳払いが為される。
「まさかその格好で行く気ではないだろうな?」
ロイが見咎めたのは、ヒューズが派手な色合いのシャツに黒のスーツ、そして胸ポケットにはサングラスというどこのチンピラだよおい、という服装をしていたからだ。
「性質の悪いギャングのようだぞ。しかも三流の」
「三流かよ!」
裏手で突っ込みを入れてから、ヒューズは自分の身体を見下ろした。
「そんなに酷いか?せっかく一張羅着てきたのに」
「…それがか?お前のセンスの悪さは知っていたが…」
時間があるのなら一度帰って着替えろ、とロイはアドバイスした。
「シャツは新しい白いのが箪笥の奥に入っていただろう?ネクタイもちゃんと締めろよ?右から三番目にかかっているモスグリーンのアレがいいな」
第三者が居れば、どうして人の家のことなのにそんなに詳しいのだと突っ込みが入っている場面だったりするが、この友人達は頻繁に互いの家を行き来していたので当然のことなのである。


「あと、花束の用意はしているだろうな?」
「あ、忘れてた」
「…ヒューズ」
「しょうがないだろ!コレだけ準備すんので精一杯だったんだって!」
言い訳しながらヒューズが印籠のように出したのは、深い紫色をしたビロウドの小箱。
プロポーズ目的の男が持ち歩いているその箱の中身なんて確認するまでもないだろう。
「まぁ、それを忘れなかっただけでも上出来か。どうせお前が食事に誘う店なんて『Cluster』だろ?近くの花屋で適当な花束作ってもらうよう頼んどいてやるから、デートの前に受け取りに行け」
「悪いな、ロイ」
さすがに誑しなだけあって、細かなところにまで気が回る。
ヒューズは内心そう感心しながら、…口に出すと絶対怒る…片手で拝んでみせた。
「全くお前は、普段しっかりしているくせに肝心なところで抜けているな」
お前の肝心は女性関係だけか?と思いもしたが、肯定されるのは必至なので追及はせずに。
「ところで、プロポーズの台詞なんだけど、聞いてくれるか?」
ヒューズは一転して真剣な表情を浮かべた。
「あぁ、何だ?」


「『君を愛している。結婚してくれ』」


親友の両手を握り締めて真っ直ぐに見詰める。
普段おちゃらけた感の強い男が真面目な表情を浮かべると、それだけで十分なインパクトだったが。
しかしロイは一瞬だけ漆黒の瞳を瞬かせてから。
「…10点」
「辛っ!」
「普段口が回るくせに、何だその直球ぶりは?もう少し捻れ」
「って言われても、緊張しちまって全然言葉が浮かばないんだって。お前ならどう言うんだよ?」
ほら、あの坊やに。と、どんな時でも親友を揶揄う機会は逃さないヒューズである。
ロイは最近己の部下である金髪碧眼の准尉と付き合いだしたばかりなのだ。しかもどちらかといえば、この親友の方がメロメロだったりする。
あれだけ女性限定で恋人を取っ替え引っ替えしていたというのに、全くもって人生何が起こるか分からない。


ロイはフフンと鼻で笑った。
「生憎だがな、ヒューズ。私は求婚される側だ」
「…すんのかね、あの坊やが」
「やかましい!プロポーズの台詞だな?『君の居ない人生なんて考えられない。君は俺の乾いた人生の中でたった一つ見つけたオアシスだ。結婚してくれ』」
「…あんたら、何してんですか?」


その時、手を取り合っていた親友達に、乾いた声が聞こえた。
何時の間に現れたのか、噂の准尉が扉を開いた姿勢で固まっている。両手を書類で占拠されている所を鑑みるに、どうやら仕事の追加のようだ。あまりに荷物が多くてノックができなかったというところか。


「ハボック…」
「よぉ、番犬。お邪魔してるぜ」
ロイは瞬時に腕を振り解き、ヒューズは朗らかに挨拶した。
「いらしてたんすか、少佐」
ハボックは煙草を銜えたまま柔らかに笑いかける。
彼は上司の親友に懐いているので、この反応はいつものこと。そしてロイがそのことを面白くないと顔に出すのも最早日常茶飯事だ。


「聞いてくれよ、番犬!」
ヒューズはここぞとばかりにハボックに抱き付いてみせた。ロイが険しい眼差しを向ける様を心地よく受け止めつつ。
「俺、これから恋人にプロポーズしようと思ってんだけどさ、ロイ君ってば俺のプロポーズの言葉を10点だって言うんだぜ?」
「はぁ、それは大変ですね」
「だろ?俺はこうさ」
と言いながら、先ほどロイにしたように両手を握り締めて顔を寄せる。


「『愛している、結婚してくれ』」
「……」


「ヒューズ!ハボックに気安く触るな!!」
求婚の言葉を練習(?)されてもどうしていいか分からないハボックは、ただ固まっただけだったが、ロイは二人の近さが気に食わなかったようだ。遠慮なく引き剥がして、守るように抱き付く。
「全く、油断も隙もない」
しかしガードする親友を押し退け、ヒューズは再びハボックに迫った。
「なぁ番犬、今の言葉どう思う?10点なんて酷過ぎると思わないか!?」
「いや、それだけでは芸がない。やはりここは『君の居ない人生なんて考えられない。君は俺の乾いた人生の中でたった一つ見つけたオアシスだ。結婚してくれ』の方が…」
「かー、痒いぞロイ君!それは痒い!」
「何だと!芸がないよりマシだ!」
プロポーズの言葉に芸を求めてどうする?とか、ロイの台詞をヒューズが言うのは確かにちょっと…、などという問題があることはあったが、とりあえず。


「番犬、俺のがいいよな?」
「いいや、私のだ!そうだな、ハボック?」

俺を巻き込むのは止めてくれないだろうか?

ハボックは両側から引っ張り合いされながら困り果てた。
どっちも選びたくない、が正直な本心ではあったけれども。ここは、これから人生最大の賭けに出る男の方を応援してやるべきだろう

「大丈夫ですよ、少佐。それならきっと恋人もOKしてくれます」
「そう思うか?」
「はい、頑張ってくださいね」
ニッコリ笑いかけられ、ヒューズは安心したようだ。先ほどまでの緊張感も今までのくだらないヤリトリですっかり解れてしまったようで。
「あ、やべ、早く行かないと遅刻する!」
時計を確認して、忽ち蒼白になる。

「じゃぁな、ロイ君、番犬!結果は明日教えるから!」
「お気を付けて」
「花束を忘れるなよ?」
「おう、またな!」
慌しく去っていく髭の少佐を、ロイとハボックの主従は揃って見送った。



ヒューズが出て行った後、当然山のように残った仕事がロイの前には横たわっていた。
それでも真っ先に親友の為に花屋に電話してやった彼に、ハボックは煙草を銜え直しながら話しかける。
「少佐、うまくいくといいですね」
「いくに決まっている。相手はグレイシアだぞ?あの二人が何年付き合っていると思っているんだ」
「それもそうか」
会う度に惚気られるのは、ハボックも上司と同様。おかげで会ったこともないのに、グレイシア=天使の図式が頭を回るくらいである。
おまけに、あの食えない男の代名詞であるヒューズがぞっこんなのだ。よほどできた女性なのだろう。
「そうだ、彼女が断るなんてありえないのにあんなに緊張しやがって。しかもお前はヒューズを選ぶし」
「最後の何の関係があるんですか?それに俺が少佐を選んだのは験担ぎみたいなものですよ?」
「うるさい!お前が選ぶのは私だけでいいんだ!」
きっぱりと言い切られて、ハボックは口にした煙草を落としそうになった。
どこまでも真剣な上官は、自分がどれほど熱烈な愛の告白をしてくださったのかまるで自覚がないようだ。

「あーー、スミマセン」
嬉しくなってしまいながら、ハボックはごまかすように天井を仰いだ。
何だか自分までプロポーズされたような気分に陥りつつ。

「『貴方の居ない人生なんて考えられません』」
「ハボック?」
「『貴方は俺の乾いた人生の中でたった一つ見つけたオアシスです』」
結婚してください。
そうして、手の甲に恭しくキスを落とす。

「何点ですか?」
目線を上げてニヤリと笑った年下の恋人に、ロイは耳まで赤くなりつつ答えた。
「…100点だ」



次の日。
ヒューズはそれだけでプロポーズの結果など聞かなくても分かるというほどの清々しい笑顔でロイとハボックの前に顔を出し。
暫く中央の軍司令部では、「ハボック准尉がマスタング中佐とヒューズ少佐にプロポーズされ、少佐を選んだ」という噂が流れたそうだ。


END