シャルロットは語る・1




「おまえら、俺に何か隠していることがあるだろ」
 銀のスプーンを口の端にくわえたまま、ルークはぽつりとそう漏らすとじとりと自分の目の前に座っている二人の使用人を睨みつけた。
 季節は初夏。
 手入れの行き届いたファブレ公爵家の中庭ではバラが咲き初め、生け垣を作る野バラの甘い香りも爽やかな風に混じる、気持ちの良い午後のお茶の時間のことだった。



「突然なにを言い出すんだか……」
 先にそれに答えを返したのは、二人の使用人のうちの一人、髪と瞳にこの初夏の庭の緑を思わせる色をのせたやや小柄な少年の方だった。
「そんな余計なことを考えている暇があるんだったら、さっき僕が出した二次関数の応用問題の答えでもさっさと考えてよね」
 ちくりと返された攻撃に、藪蛇とばかりに顔をしかめたルークに、もう一人の使用人ガイはまあまあと宥めるような笑みを浮かべた。
「なんだってまた、突然そんなこと言い出したんだ?ルーク」
「否定はしないんだな……」
「誰にだって秘密の一つや二つ、あるだろ?」
 にこにこと人当たりの良い笑みを浮かべるガイをさらにジト目で睨み返してから、ルークはくわえていたスプーンで目の前のケーキをつついた。
「このケーキ。俺が作って欲しいって言ったとき、シンクは面倒だって作ってくれなかったじゃねーか」
「気が向いたんだよ。悪い?文句言うなら食べさせないよ」
 言葉だけではなく、実際に伸びてきた手から皿をかばうようにして自分の方に引き寄せると、ルークは口をへの字に曲げた。
 本日のおやつは、シャルロットのグレープフルーツのせ。
 微かにレモン味のするババロアの背にふわふわの食感のビスケットのようなモノがならべられ、表面には彩りよく並べられたグレープフルーツの実とよくぞここまで細かくと唸りたくなるような繊細さで作られたクリームのバラの花が乗っかっている。
 シンクの菓子作りの腕は公爵家のパティシエにもひけをとらないほど素晴らしいもので、その味もさることながら飾り付けにも神経質な質が良くあらわれている。
 そんな彼に、以前この菓子を食べたいとねだったときには面倒だからと一言の元に却下されたのに、なぜ今日になって午後の茶の席に並べられたのかがルークにとっては疑問だった。
 なぜこのタイミングなのか。
「俺の機嫌取りなんじゃねーの?」
「あんたの機嫌なんかとっても仕方ないだろ?僕らの給料はアッシュの奴が決めてるんだから」
「……うう」
 そうなのだ。たしかに二人ともルークの使用人ではあるのだが、アッシュの使用人でもある。いや、ガイだけは一応ルーク専用の騎士なのだが、その雇用についてはアッシュが一切の采配をふるっているのだ。
「……っと、そうじゃなくてっ!本当はなんか隠してんだろ、お前たち」
 いつもならそのまま流されてしまうくせに、なぜか今日のルークは引き下がらなかった。
 我関せずとお茶をすすっているシンクから、彼よりも確実に自分に甘いとわかっているガイに視線を移すとにこりと微笑まれる。精悍で甘い顔立ちゆえに、世の女性たちに大いなる誤解を抱かせると同時に煙に巻いてしまう笑みだが、当然ルークには通用しない。
「ガイがそうやって笑うときは、なんか隠し事してるんだよな。たいてい」
「そうかな?」
 しかし、敵はルークの育ての親を自負する使用人だ。少しばかり拗ねた様子を見せるくらいでは、びくともしない。
「くだらないこと言ってないで、さっさと食べな。この後、ガイと手合わせするつもりなんだろ」
 馬鹿馬鹿しいとばかりに肩をすくめたシンクに、ルークはちいさく唸った。
「だいたいさ、おかしいと思ったんだよなこの間から……」
「は?」
「ここ四日、お茶の時間の菓子は俺の好物ばかり」
 まず一つ、と指を折る。
「歴史の書き取りで綴りを間違っても、シンクが殴らなかった」
 もうひとつ、とまた指を折る。
「最近伝書鳩がやたら行き交っている」
 最後の一つを言葉にして指を折ったルークに、さすがに二人は驚いたようにルークの方を見た。
「……お前、そんなこと見てたのか」
「ガイ。おまえ今、思いきり俺のこと馬鹿にしただろ……」
 いやいやと笑って誤魔化しながらも、ガイは内心舌を巻いていた。
 ルークはたしかに鈍くてしかも注意力散漫なところがあるが、元来頭の回転が悪いわけではない。
 それに、ルークは人の感情の動きに鈍いところがある一方で、自分のまわりの空気の動きには敏感なところがある。それは悲しいかな、あまりプラスな経験の産物ではないのだが、不穏な空気を読み取ることには長けている。
「アッシュのことだろ、どうせ……」
 むすっとルークが顔をしかめたのには、わけがある。
 こちらに帰ってきてからの二人は、まるで本当の兄弟のように仲良く暮らしている一方で、じつにくだらないことで毎日のように衝突している。しかしそれはコミュニケーションの一種のようなもので、たいていはじゃれ合いの域を外れることはない。
 しかし一週間ほど前、彼らはその滅多にない大喧嘩をやらかして、そのまま仲直りもせずにアッシュは視察へとでかけてしまったのだ。
 当然出立の朝には、まだ大喧嘩中だったルークは見送りにも出なかった。
 まわりもどうせアッシュが戻ってくるまでには互いにほとぼりも冷め、離れていた間の寂しさもあってすぐに仲直りするだろうと特に騒ぎたてるようなこともしなかった。
 はじめはぷりぷりと怒っているばかりのルークだったが、日が経つにつれて少しずつ違和感を覚えはじめていた。
 いつもならそれとなくフォローを入れてくるはずの使用人二人が、今回はなにも言ってこないのだ。
 しかもそんなことがあったことさえ忘れているかのようにいつも通り振る舞うだけでなく、さりげに自分の好きなものや興味のあるものばかりが目の前に差しだされてくる。
 そして、それが一番最初のルークの台詞へとつながるのだった。
「いま思うと、アッシュの奴も出て行くときの様子がおかしかったんだよな。どうせまた、三人で俺になんか隠してんだろ……」
 拗ねた口調を隠さずにそのままで言いながら、ルークは視線を落とした。
 それに、ガイとシンクはそろって気まずそうな顔になった。
 ルークのそういう態度はもちろん演技も少し入っているのだが、大部分が本音だったりするので始末におえない。
 なまじ三人とも標準より様々なことに秀でているだけに、どうしてもなにかと先回りしてしまう。しかも、その後を追いかけてくる形になってしまうルークに対しての保護欲を三人が三人とも必要以上に持っているために、彼を安全な場所に置き去りにしてしまう傾向があるのだ。
 それがルークには心外であると同時に、みそっかす扱いされているように感じてしまって、結局はおちこませてしまうのだ。
 そんな顔をさせたいわけではないのに、結果としては傷つけてしまうようなことになってしまうこの状態が、実はルーク以外の三人にとって一番やっかいな瞬間だ。
 あるはずのない子犬のような耳がしゅんと垂れている幻覚を見てしまったら、もう負けは決定づけられたようなもの。
 思わず空を仰いだガイと、ため息を落としたシンク。
 勝敗はすでに決していた。




→NEXT(07/07/20)


ちょっと短めの連作予定。