シャルロットは語る・2




 軽やかな小鳥の声が、空をかけてゆく。
 スプーンを片手に見えない犬耳を垂らしているようなルークに、シンクは軽くこめかみの辺りを押さえた。
「ガイ、あんたから説明して」
「俺かよ!」
 ガイ不満の声をあげたが、こちらを見ているルークの目と目が合ってしまい、力なく肩を落とした。はいはい、所詮は俺は説明係ですよと心の中でいじけながら。
「お前も何となくわかっているとは思うけど、お前ら二人については、キムラスカ・マルクト両国の上層部の一部で色々な思惑が渦巻いている。その中には、おまえらの存在自体快く思ってない奴等もいる。……馬鹿馬鹿しいけどな」
 最後は吐き捨てるように言うと、ガイは軽く顔をしかめた。
 世界を救った英雄達。その中でもルークとアッシュはその身を犠牲にしてまで世界を救おうとしたということで、両国民の間での人気は特に高い。
 それを、快く思わない連中がいる。
 ガイにしてみれば、喉元過ぎればなんとやらの勝手な思惑で動こうとするそう言う連中に対して、呆れを通り越して憎悪と憤りしか感じない。自分たちがいま生きてこの大地を踏みしめていられるのは誰のおかげだ、といっそ愛刀を突きつけながら問いただしてやりたくなる。
 あの時感じた絶望と引きちぎられるような悲しみを、ガイは一度たりとも忘れたことがない。元から大事な親友でありご主人様でもあったけれど、本当に失うかも知れないと思ったあの瞬間に、ルークが自分にとってかけがえのない存在なのだと改めて気がつかされた。
 だからこそ余計に強くそう感じるのかも知れないが、正当な理由さえつけられれば、ガイはそういった連中を排除することに自分が欠片もためらわないだろうことを、自覚している。
「思っているだけの小者なら別にかまわなかったんだけどさ。なにを考えたんだか、こっちにしかけてこようとしている馬鹿がいてね」
 ちらりとガイの様子を一瞥したシンクが、言葉を引き取るようにして続ける。
「あんたは気がついてなかったかも知れないけど、ここ数週間、あんたやアッシュのことつけ回している連中がいたんだよね。で、あの直情単細胞が切れたと言うわけ」
 少なくともファブレ家の関係者の中で、アッシュを単細胞呼ばわりできるのはシンクくらいだろう。最近ではファブレ公爵の補佐として国政の一端にも加わっているアッシュは、外部では冷静沈着な切れ者として通っている。
 しかし彼をよく知るもの達の間では、シンクの評を否定しきれる者は誰もいない。
「アッシュの奴、切れやすいもんなあ」
 と、同じく単細胞その2であるところのルークが呟く。
 切れやすさはどっこいどっこい。ただし自分が原因になる事が多い分、屋敷内ではアッシュよりもその機会が少ないだけ。よって、最近自覚にかけているルークである。
「単につけ回してるだけなら、あいつも放っておいたんだろうけどな」
 うーん、とガイが苦笑する。
「自分の大事なモノに手を出されて黙っていられるほど、あいつも大人しくないしね」
 薫り高い紅茶を口に運びながら、シンクは意味ありげに視線をルークの方へ流す。
 しかし当の本人はそれらの合図にまったく気がついた様子はなく、きょとんと目を丸くしたままスプーンをくわえていた。
 ルークは勘は悪くないのだが、肝心なことには鈍い。あれだけアッシュがあからさまに意識している態度を見せているのに、このお子様は全く気がついていないのだ。
 目下ガイの心配事は、焦れたアッシュがいつ大事なご主人様を同意なしに押し倒すかだが、同時に、意外と純情なところのあるあの幼なじみが強行突破をしかける可能性は少ないと見ている。
「じれってーな。つまり、どういう事だよ!」
 意味ありげに視線を交わすだけの使用人達に、ルークはむっとした顔になった。
「つまり、アッシュは今回の視察には、絶対にあんたについてきて欲しくなかったわけ」
「最初、行き先がマルクトだから久しぶりに行きたいなーとか、お前言ってただろ?」
 しかも前科持ちだ。
 勝手に後を追いかけていって、大喧嘩になったことは一度や二度ではない。
「……おい、それって……」
「やっと分かったの?相変わらず鈍いね。アッシュの奴、今回の視察のついでにうるさい蠅を叩きつぶすための仕掛けを仕組んだんだよ。だから、あんたには絶対にこの屋敷から出て行ってもらっちゃ困るってわけ」
 狙いがどちらでもいいなら、自分の仕掛けに引っかかって来るはず。
 だが、もしルークが狙いなのなら絶対に安全な屋敷にとどめておいて、強力な護衛二人をつけておけば自分が離れていてもとりあえず心配はない。
 誰が聞いたってルーク中心・ルーク大事の計画だったが、もちろん使用人二人に異存はなかった。
「……まあ、どうやらあっちは上手く引っかけたみたいだから、ここ数日で決着がつくだろ。大した相手じゃないみたいだしね」
 なにしろ、アッシュが少し隙を見せただけで、ルークの方への人員も回してしまうような相手だ。それに、あれほど怒っていたアッシュが相手に遅れをとるとも思えない。
 だからここでこの話は終わりとばかりに切り上げようとしたシンクは、いきなり目の前で椅子を蹴り飛ばさんばかりに立ち上がったルークに、彼にしては珍しく目を丸くした。
「それって、アッシュが危ないってことじゃねーか!」
 ぐっと拳を握りしめるルークを呆然と見上げていたシンクの肩を、軽く叩く者がいる。
 ふり返れば、隣に座っていたガイが小さく首を振る。
「……ルークの奴が、通り一遍の説明で納得すると思うなよ」
 なにしろ、猪突猛進なのは被験者様譲りなのだ。
 まだまだ修行の足りていない新人使用人を横目に、ガイは今にもそのまま駆け出していきそうなご主人様に声をかける。
「ルーク、行くなら手配は終わってるから勝手に飛び出すなよ」
「ちょっ……!」
 いったい何を言い出すのかとシンクは慌ててガイの方を見たが、元祖使用人は半分諦めたような笑みをシンクに向けてから、ルークの方へ顔を戻す。
「まずは、そのシャルロットをちゃんと食べろ。こっちも支度してくるから」
 食べかけのままだとシンクにも悪いだろ。と、勝手に人の名前を出すガイに、シンクはぎろりと横目でガイを睨みつけた。
「ちょっと! どういうつもりなのさ、あんた!」
「ああなったルークは、絶対に止められないぞ。特にアッシュが絡んでるからな。ダメだって言い聞かせたって、こっちの目を盗んで飛び出すか、最悪強行突破するからな」
 だてに七年も世話を焼いてきたわけではない。お子様の行動パターンなど、知り尽くしている。
「あんた! 今までどういう教育をしてきたわけ?」
 我慢とか我慢とかそういったものは教えてこなかったのか! 思わずそう噛みついてくるシンクに、ガイはいっそ爽やかなまでの自信満々の笑みを浮かべた。
「いい教育だったろ?」
 自分のことより、大事な人のため。
 以前のシンクなら鼻で笑った事だろうけれど、そういう気持ちを向けられることがどれだけ幸せなことかを、もう知ってしまっているから。
「……たく、馬鹿に付き合うのも楽じゃないよ」
 それでも憎まれ口を叩きたくなるのは、すでに性分だ。
 馬鹿馬鹿しいけれど、それに巻きこまれて付き合うのも悪くない。そう思わせてくれるのは、誰でもない自分をこの世に引きずりもどしてくれた彼だから。


「うっしゃ! それじゃあ、『アッシュ姫救出作戦』いくぜっ!」
 口の端にババロアのかすをつけ、銀のスプーンを握りしめたままルークが宣言する。
 たぶん最近読んだ冒険小説に感化されての台詞だろうが、はたして姫呼ばわりされた某ブラコンがどんな顔をするのか見物だな、と使用人二人は生暖かくご主人様を見守るのだった。




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ワンコは本気。