カノン・1
それは、とうとつな墜落感だった。
やわらかくて優しい日だまりのような場所から急に放りだされて、ルークは息が止まるような衝撃をおぼえた。
体の節々が、ぎしぎしと音をたてて軋んでいるような気がする。
上下の感覚も曖昧で、自分が上を向いているのか下を向いているのかもわからない。
ただひたすら、どこかに落ちていっているのだと。それだけは、はっきりとわかる。
いったいどこまで落ちるのだろう。
ようやく覚醒にむかいはじめた頭が、ぼんやりとそんなことを考える。
しかしまだ感覚も意識も酷く曖昧で、落ちているという感覚以外には意識が混濁してしまっている。
なにかに混ざり合っているような、それでいて、そこから引きはがされるような痛みと衝撃。
じりじりと高まってゆく痛みが、しだいに体中を支配してゆく。
そして────。
突然襲ってきた息苦しさに、ルークはひくりと自分の喉が痙攣するように震えたのがわかった。
まるで呼吸の仕方を忘れたかのように、喉がふさがっている。
そして、その後を追いかけるようにして、酷い痛みが背中からかけあがってきた。
すべての細胞が悲鳴を上げているような痛みが、体中を支配している。
それだけでふたたび意識が遠のきそうになるのを、背中に強く当てられた手が引きとめた。
押し出されるように背中を強く叩かれ、まるでつかえていた物がとれたようにいきなり気道に空気が入りこんでくる。
急激な空気の動きについていけなかった喉が、噎せて奇妙な音をたてた。
おもわず喉に当てた手が、力強い手に引きはがされる。呼吸のままならない苦しさに、反射的にその手を強く握りかえすと、びくりと驚いたように震える。しかしまだわけのわからない苦痛の中に置かれているルークは、それに気づくことはなかった。
不意に、さらりとした冷たいものが頬に触れたのがわかった。
それが、意識の覚醒を促す。
ゆるゆると開いた目は、まだ霞んでいる。
その先に鮮やかな赤い色彩を見いだして、ルークは無意識のうちにそれに手を伸ばそうとした。
しかしその手も、その赤い色彩に触れる前に捕まれてしまう。
なにかの声が、まわりを囲んでいるような気がする。
その声に引きずられるように、だんだんと意識が目覚めてゆく。
「ルークっ…!」
突然耳が捕らえた自分の名前に、ルークはびくりと大きく体を震わせた。
耳の中にあふれる言葉。
それが、自分の名前なのだとようやく気がつく。
「あ……っ」
瞬きをひとつすると、ぼやけていた視界がふいにクリアなものにかわる。
自分を覗きこむ、よく知った顔たち。
その顔が、どうして泣き出しそうに歪んでいるのか。
無意識のうちに動かした視線の先に、赤い色彩を見つける。
それをたどるようにして視線をあげると、自分を覗き込んでいる一つの顔に行きあたる。
誰よりもよく知っている、その顔。
鏡に映した自分の半身。
同じ色をした翡翠の瞳が、静かに自分を見下ろしている。
突き上げてくるような歓喜が、胸の中にひろがる。
まだ混乱しきった頭は何も考えられないけれど、目の前に彼がいることがとても嬉しいことなのだと感じている。
今何が起こっているのか、そしてなにがあったのかもわからない。
何もかもが曖昧で、すべてが上滑りしてゆくような不思議な感覚。
そして、ひどく眠かった。
「…ーくっ!」
誰かが自分の名を呼んでいる。
だけどそれを認識するよりも前に、ルークの意識は再び闇の中へと引きずりこまれていった。
次にルークが目を覚ましたとき、目の前にあったのはかすかに笑みをたたえた赤い瞳だった。
「目が醒めましたか?」
やわらかな声色と、綺麗にととのった顔。
それがあまりにも自然でついつられるように頷いたルークは、次の瞬間、大きく目を瞠った。
「落ち着いて。いきなり起きてはいけませんよ」
やんわりと、でもしっかりとした力で胸のあたりを押さえつけられ、ルークは混乱しきった瞳を彼──ジェイドへとむけた。
「ジェイド…?」
「はい」
ふわりと、今まで見たこともなかったような優しい顔で笑った彼に、ルークは反射的に顔を赤くした。
「状況は、わかっていますか?」
静かな落ち着いたジェイドの声に、すっと混乱していた頭が冷えてゆくのがわかる。
ルークはもう一度瞬きをすると、ほうと大きく息を吐きだした。
「もしかして、俺、生きている……?」
「ええ。ちょっと衰弱しているみたいですけれどね」
淡々としたジェイドの声に、少しずつ現実感がもどってくる。
「えーと…」
「簡単に状況を説明します。いまは、あなたが最後に消えてから二年経っています。世界は消えず、多少の問題は抱えているものの、一応平穏無事です」
「二年…?」
思っても見なかった月日の経過に、ルークは思わず勢いよく体を起こしかけて、そのままひどい目眩に呻きながら体を横に倒した。
「だから、いきなり起きてはいけないといったでしょう?」
呆れたような声を出しながらも、ジェイドは呻いているルークの体をそっと元のように横たえた。
「まずは言わせてください。お帰りなさい、ルーク」
「……うん、ただいま」
ジェイドが本心から嬉しそうにそう言ってくれているのがわかって、ルークはほんのりと胸の奥が温かくなるのがわかった。
「みんなは?」
ふと、先ほど意識を失う前に見た仲間たちの顔を思い浮かべて、ルークは訊ねた。
「隣の部屋にいますよ。あなたの具合があまり良くないようだったので、負担がかかるといけないと思いまして」
「そ、か……」
ふわりと笑みを浮かべたルークに、ジェイドは小さく頷きながらさてと居住まいを正した。
「戻ってきたときのことは、覚えてますか?」
「…いや」
「あなたは昨日の夜、タタル渓谷に帰還しました。詳しいことはまた追って話しますが、『彼』も一緒ですよ…」
それが誰のことを指すのか、ルークには瞬時に理解できた。
「アッシュが…っ!本当に?」
そのまままた起きあがろうとしたルークを押しとどめたジェイドは、小さく頷いてからちらりと背後に目をやった。
それに応えるように、背後にあった扉が開く。
すっと立ち上がったジェイドの姿の影から、まるで自分のような白い服を着た赤い髪の青年があらわれる。
長く、鮮やかな赤い髪。同じはずなのに、どこか違う顔立ち。そして、まっすぐと射抜くようにこちらを見つめてくる碧の瞳。
ああ、彼だ。
そう思った瞬間、熱いなにかが胸の中からこみ上げてくるのがわかった。
眦が焼けるように痛い。
頬を、熱いものが流れてゆくのがわかる。
視界の中のアッシュの姿が、ゆらりと歪んだ。
自分が泣いているのだと気づくのに、そう時間はかからなかった。
それでもなんとか涙をこらえようと奥歯を噛みしめるが、あとからあとから涙があふれてくる。
それは次第に大きな波のような嗚咽となって、ルークの喉をふるわせた。
かすかに震えるような声で「よかった…」と呟いたその声は、傍らにいたジェイドだけが聞いていた。
→NEXT(07/02/04)
というわけで、捏造ED後話のはじまりです。しばらくおつきあいください。
やわらかくて優しい日だまりのような場所から急に放りだされて、ルークは息が止まるような衝撃をおぼえた。
体の節々が、ぎしぎしと音をたてて軋んでいるような気がする。
上下の感覚も曖昧で、自分が上を向いているのか下を向いているのかもわからない。
ただひたすら、どこかに落ちていっているのだと。それだけは、はっきりとわかる。
いったいどこまで落ちるのだろう。
ようやく覚醒にむかいはじめた頭が、ぼんやりとそんなことを考える。
しかしまだ感覚も意識も酷く曖昧で、落ちているという感覚以外には意識が混濁してしまっている。
なにかに混ざり合っているような、それでいて、そこから引きはがされるような痛みと衝撃。
じりじりと高まってゆく痛みが、しだいに体中を支配してゆく。
そして────。
突然襲ってきた息苦しさに、ルークはひくりと自分の喉が痙攣するように震えたのがわかった。
まるで呼吸の仕方を忘れたかのように、喉がふさがっている。
そして、その後を追いかけるようにして、酷い痛みが背中からかけあがってきた。
すべての細胞が悲鳴を上げているような痛みが、体中を支配している。
それだけでふたたび意識が遠のきそうになるのを、背中に強く当てられた手が引きとめた。
押し出されるように背中を強く叩かれ、まるでつかえていた物がとれたようにいきなり気道に空気が入りこんでくる。
急激な空気の動きについていけなかった喉が、噎せて奇妙な音をたてた。
おもわず喉に当てた手が、力強い手に引きはがされる。呼吸のままならない苦しさに、反射的にその手を強く握りかえすと、びくりと驚いたように震える。しかしまだわけのわからない苦痛の中に置かれているルークは、それに気づくことはなかった。
不意に、さらりとした冷たいものが頬に触れたのがわかった。
それが、意識の覚醒を促す。
ゆるゆると開いた目は、まだ霞んでいる。
その先に鮮やかな赤い色彩を見いだして、ルークは無意識のうちにそれに手を伸ばそうとした。
しかしその手も、その赤い色彩に触れる前に捕まれてしまう。
なにかの声が、まわりを囲んでいるような気がする。
その声に引きずられるように、だんだんと意識が目覚めてゆく。
「ルークっ…!」
突然耳が捕らえた自分の名前に、ルークはびくりと大きく体を震わせた。
耳の中にあふれる言葉。
それが、自分の名前なのだとようやく気がつく。
「あ……っ」
瞬きをひとつすると、ぼやけていた視界がふいにクリアなものにかわる。
自分を覗きこむ、よく知った顔たち。
その顔が、どうして泣き出しそうに歪んでいるのか。
無意識のうちに動かした視線の先に、赤い色彩を見つける。
それをたどるようにして視線をあげると、自分を覗き込んでいる一つの顔に行きあたる。
誰よりもよく知っている、その顔。
鏡に映した自分の半身。
同じ色をした翡翠の瞳が、静かに自分を見下ろしている。
突き上げてくるような歓喜が、胸の中にひろがる。
まだ混乱しきった頭は何も考えられないけれど、目の前に彼がいることがとても嬉しいことなのだと感じている。
今何が起こっているのか、そしてなにがあったのかもわからない。
何もかもが曖昧で、すべてが上滑りしてゆくような不思議な感覚。
そして、ひどく眠かった。
「…ーくっ!」
誰かが自分の名を呼んでいる。
だけどそれを認識するよりも前に、ルークの意識は再び闇の中へと引きずりこまれていった。
次にルークが目を覚ましたとき、目の前にあったのはかすかに笑みをたたえた赤い瞳だった。
「目が醒めましたか?」
やわらかな声色と、綺麗にととのった顔。
それがあまりにも自然でついつられるように頷いたルークは、次の瞬間、大きく目を瞠った。
「落ち着いて。いきなり起きてはいけませんよ」
やんわりと、でもしっかりとした力で胸のあたりを押さえつけられ、ルークは混乱しきった瞳を彼──ジェイドへとむけた。
「ジェイド…?」
「はい」
ふわりと、今まで見たこともなかったような優しい顔で笑った彼に、ルークは反射的に顔を赤くした。
「状況は、わかっていますか?」
静かな落ち着いたジェイドの声に、すっと混乱していた頭が冷えてゆくのがわかる。
ルークはもう一度瞬きをすると、ほうと大きく息を吐きだした。
「もしかして、俺、生きている……?」
「ええ。ちょっと衰弱しているみたいですけれどね」
淡々としたジェイドの声に、少しずつ現実感がもどってくる。
「えーと…」
「簡単に状況を説明します。いまは、あなたが最後に消えてから二年経っています。世界は消えず、多少の問題は抱えているものの、一応平穏無事です」
「二年…?」
思っても見なかった月日の経過に、ルークは思わず勢いよく体を起こしかけて、そのままひどい目眩に呻きながら体を横に倒した。
「だから、いきなり起きてはいけないといったでしょう?」
呆れたような声を出しながらも、ジェイドは呻いているルークの体をそっと元のように横たえた。
「まずは言わせてください。お帰りなさい、ルーク」
「……うん、ただいま」
ジェイドが本心から嬉しそうにそう言ってくれているのがわかって、ルークはほんのりと胸の奥が温かくなるのがわかった。
「みんなは?」
ふと、先ほど意識を失う前に見た仲間たちの顔を思い浮かべて、ルークは訊ねた。
「隣の部屋にいますよ。あなたの具合があまり良くないようだったので、負担がかかるといけないと思いまして」
「そ、か……」
ふわりと笑みを浮かべたルークに、ジェイドは小さく頷きながらさてと居住まいを正した。
「戻ってきたときのことは、覚えてますか?」
「…いや」
「あなたは昨日の夜、タタル渓谷に帰還しました。詳しいことはまた追って話しますが、『彼』も一緒ですよ…」
それが誰のことを指すのか、ルークには瞬時に理解できた。
「アッシュが…っ!本当に?」
そのまままた起きあがろうとしたルークを押しとどめたジェイドは、小さく頷いてからちらりと背後に目をやった。
それに応えるように、背後にあった扉が開く。
すっと立ち上がったジェイドの姿の影から、まるで自分のような白い服を着た赤い髪の青年があらわれる。
長く、鮮やかな赤い髪。同じはずなのに、どこか違う顔立ち。そして、まっすぐと射抜くようにこちらを見つめてくる碧の瞳。
ああ、彼だ。
そう思った瞬間、熱いなにかが胸の中からこみ上げてくるのがわかった。
眦が焼けるように痛い。
頬を、熱いものが流れてゆくのがわかる。
視界の中のアッシュの姿が、ゆらりと歪んだ。
自分が泣いているのだと気づくのに、そう時間はかからなかった。
それでもなんとか涙をこらえようと奥歯を噛みしめるが、あとからあとから涙があふれてくる。
それは次第に大きな波のような嗚咽となって、ルークの喉をふるわせた。
かすかに震えるような声で「よかった…」と呟いたその声は、傍らにいたジェイドだけが聞いていた。
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というわけで、捏造ED後話のはじまりです。しばらくおつきあいください。