カノン・4




「あいかわらずよく寝ますねえ」
 そんなジェイドの相変わらずの嫌味に迎えられて、ルークはみんなが揃ったテーブルに着いた。
 席についた途端、対角線上にアッシュが座っていることに気づいて心臓がちいさく跳ねあがるのがわかった。
 あんなに会いたいと思ったのに、いざその顔を見ると言葉がでこない。アッシュの方も、ルークが来たことに気がついているはずなのに、一度もこちらを見ようとしない。
 無言の拒絶が痛い。
 口々に話しかけてくる仲間たちに言葉を返しながらも、それが気のないものになってしまうのを止めることができない。
 自然と静かになってしまった食卓に、ただ食器をあつかう音だけが響く。
 その原因がなににあるのか全員がわかってはいたが、今はどうすることもできないこともまたわかっていた。
 沈黙が限界を迎える頃、それを横から破るようにしてジェイドが口を開いた。
「出発は、この後すぐにと思っていますが。よろしいですか?二人とも」
「へ…?」
「俺はかまわん」
 間の抜けたルークの声に被さるようにアッシュはそう答えると、席を立った。
「出発まで、部屋にいる」
 アッシュはそう言い残すと、テーブルの横を通って階段の方へむかった。その背にはとりつく島もなく、全員がその姿が階上に消えてゆくのを見送ることしかできなかった。
「ルーク」
 不意に名を呼ばれて、ルークは慌てて振り返った。
 どうやら、アッシュを見送ったままぼんやりとしてしまっていたらしい。
 振り返ると、隣に座っていたアニスがじっとこちらを見ていた。
 なにをいわれるのだろうと一瞬身構えてしまったルークに、罪はないだろう。なにしろ彼は旅の間、ジェイドと彼女に散々からかわれまくっていたのだから。
「これ、あげるから」
 アニスはひょい、と自分の皿から小さなパンケーキをひとつルークの皿に移した。
「アニス?」
「今日だけ特別」
 だから残すんじゃないわよ、と付け加えると、アニスは自分もパンケーキの欠片を口に運んだ。
 それにルークはサンキュと小声でかえすと、口に運んだ。
 口の中にひろがる甘い味は、痛み止めのようにすこしだけ、痛む胸に効いた。



 町の外に出ると、懐かしい銀色の機体が待っていた。
 そしてその隣には、ピンク色の飛行スーツに身を包んだ長い金髪の女性が待っていた。
「お久しぶりです、ルークさん」
 そういって笑う顔は、最後にエルドランドで別れたときよりもずっと大人っぽい面差しに変わっていて、ルークに三年の月日をあらためて感じさせた。
「ノエル!またよろしく頼むな」
 差しだされた手を握りかえすと、ノエルはにっこり笑ったまま視線をルークの後ろにいたアッシュへと移した。
「アッシュさんもおひさしぶりです。兄も機会があったらお会いしたいって言っていました」
 アッシュはちらりとノエルの方へ視線を向けたが、返事はしなかった。しかし彼女はまったくそんなことは気にもとめていないのか、にこにこと笑ったまま先にアルビオールの中に入っていった。


 ベルケンドに向かうのは、アッシュとルーク、そしてジェイドの三人だけだった。
 ナタリアとガイはルークたちの帰還を知らせるためにバチカルへ、ティアも同じ知らせをユリアシティへ知らせるためにそれぞれ途中でアルビオールを降りた。
 三人が降りてしまうと、一気に機内は静まりかえった。
 なんとなく離れがたくってアッシュの隣に席を取ったはいいが、ルークはいまだにアッシュとまともに話をできないでいた。
 先ほどまではナタリアやガイがあれこれと二人に話しかけてくれていたので、なんとなく四人で話しているような感じになっていたのだが、二人がいなくなってしまうと途端に会話が途切れてしまった。
 ジェイドは先ほどからなにかを考えこんでいるようで、こちらには関心がないようだ。
 ルークはちらりと自分の隣に座るアッシュの顔を横目で見て、心の中で小さくため息をもらした。
 話したいことも聞きたいことも、たくさんあった。
 しかしいざ話しかけようとすると、昨日の夜のことを思い出して言葉に詰まってしまう。
 以前もそう話しやすい相手であったわけではないけれど、いまは話しかけたいの躊躇してしまう自分がひどくじれったい。
 そんなことをぼんやりと考えていたせいだろうか。
 緩やかに旋回したアルビオールの動きについて行けず、そのままアッシュの方へ体が傾く。
「ぼさっとすんな」
 倒れ込みそうになった体をなんなく受け止められ、ぐいっと強い力で押し戻される。
「ご、ごめん……」
 ルークはまだせわしなく鳴っている胸をどうにか鎮めようとしながら、アッシュの方を見た。
「……ありがとう」
 なんとか動いた唇でどうにかそれだけ言うと、はじめてアッシュの目がルークの方へむけられた。それに勇気づけられたようにルークが言葉を続けようとしたが、それよりも前にアッシュの低い囁きに遮られる。
「あとで話がある」
 え、と問い返す間もなく、じっと瞳を捕らえられる。
「……テメエの話も、その時だ」
 わかったな、と念を押されて反射的に頷いてしまう。ルークのこたえに満足がいったのか、アッシュはまたそのまま黙りこんだまま窓の外の景色へと目をむけた。
 その横顔を見つめながら、ルークは自分の中にある理解のできない感情にまたため息を落とした。



 ベルケンドの医務室の前で彼らを迎え入れてくれたのは、シュウ医師だった。
 それにルークは、すこしだけ複雑な気分を感じずにはいられなかった。
 彼もそんなルークの気持ちを素早く察したのだろう。温かな歓迎の言葉の後に、かすかに苦笑を浮かべた。
 以前ここで検査をしたとき、彼はルークに死の宣告を下した医師だ。その彼とまたこうやって同じ場所で対峙しているのは、ある意味皮肉ではないか。
 もっとも、ここの医師団の中では彼が一番ルークの体について知っていると言っても良いはずだから、これ以上の適任者はいないだろう。
 検査は多岐にわたっておこなわれた。
 そして長い検査がすべて終わった後、シュウ医師は二人をならべて座らせた。
「信じられないことですが、乖離現象はおさまっています。特にルークさんは、前回の診察の時にはもう手の施しようもないほど乖離現象が進んでいたのですが、いまはその兆候は見られないようです」
 ぱらり、とカルテをめくる音がいやに大きく響く。
「……お二人とも、音素もその他の数値もほぼ正常値です。ルークさんの方にやや音素の乱れが見られるようですが、正常値の範囲です」
 つまり、と言葉を切ると、シュウ医師はにこりと笑みを浮かべた。
「いまのところ、お二人とも健康体となりますね」
「いまのところ…?」
 不安そうにルークが返したのに、シュウ医師はすこし困ったような顔になった。
「申し訳ありませんが、お二人は特殊なケースになりますので、医師としては断定的なことは申し上げられないんですよ。ただ、現在はたしかに大爆発の兆候も乖離現象もみとめられません。しばらくは定期的な検査が必要だとは思いますが、私は大丈夫だと思っています……」
 そういって二人の顔を見たシュウ医師をきょとんとした顔で見かえしたルークの横から、アッシュが口を挟んだ。
「……つまり、俺もテメエもいますぐに死ぬようなことはねえってことだ」
「簡単に言えばそういうことになりますね」
 シュウ医師はカルテを閉じると、あらためて笑みを浮かべた。
「おかえりなさい、お二人とも」
 それは簡単な一言だったが、温かな一言だった。



 研究所をでると、あいかわらずとらえどころのない笑みを浮かべたジェイドが二人を待っていた。
「どうでした?」
 ゆったりとした足取りでこちらにやってきたジェイドは、二人の顔を交互に見て訊ねた。
「異常は特にないって」
 ルークが嬉しさを押さえきれない声でそう答えると、そうですかと小さく頷いてジェイドはアッシュの方を見た。
「シュウ医師はなんと?」
「異常はないが、定期検診は受けろとよ」
「乖離現象もすべて止まっていると言うことですか?」
「ああ」
 ジェイドの質問にそっけなく答えていたアッシュは、さらに彼が何かを問いたそうな素振りを見せるのを制した。
「こいつと二人で話がある。おまえは先にバチカルに帰れ」
「……あいかわらず唐突ですね」
 ジェイドは探るような目でアッシュを見かえした。
「お断りします、と言ったら?」
「つべこべ言うなクソ眼鏡!てめえに許可なんざ求めてねえ」
 そういうが早いか、アッシュはルークの腕を強く掴んだ。
「……あ、アッシュ?」
 突然のことに目を白黒させているルークに、ジェイドは視線をうつした。
「私もあなたに命令されるいわれはないのですがね。……それで、あなたはどうしたいんですか?」
「お、俺?」
「こいつの意見はどうでもいい。どうせ宿に部屋は取ってあるんだろう?明日の朝迎えをよこせ」
「やれやれ、問答無用ですか」
 ジェイドは小さく肩をすくめると、片手で口元をおおって考えこむような顔になった。
「……どこかに勝手に行かれるよりはマシですかね。ただし、知事に頼んで宿に警護はつけさせていただきます。万が一ということがないとはかぎりませんから」
 それと、とジェイドはつけくわえた。
「とりあえずお二人とも、一度バチカルには戻られますね?」
 すっ、と眼鏡の奥の赤い瞳が細められる。
「……考えておく」
 そのアッシュの答えにジェイドはすこし考えてから、良いでしょうと頷いた。



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微妙なところで続く