カノン・7
「大丈夫ですか?ルークさん。なんだか顔色が悪いようですけれど」
陽が高くなりはじめた頃、宿に二人を迎えにあらわれたノエルは、ルークの顔を見るなり心配そうに眉をしかめた。
意外にも、迎えにやってきたのはノエル一人だった。
昨日のこともあったので、てっきりジェイドあたりがやってくるものだと思っていたルークは、すこし拍子抜けした気分だった。
「こいつは生き返ったばかりみたいなもんだからな。まだ本調子じゃねえんだろ」
そんなことを考えていたせいか、ぼんやりとしてしまったルークに代わるようにしてアッシュがこたえた。
「もうすこし、休んでから行きますか?」
「いや、大丈夫だから。本当に」
かるく顔をしかめてこちらをのぞき込んできたノエルに、ルークは慌てたように手を振った。
「俺がこいつを連れて行くから、先に行って用意をしていろ」
突然腕をひかれて、ルークはびくりと大きく体をふるわせた。
しかしノエルはそれに気づかなかったのか、それともそんな反応も具合の悪いせいだと解釈してくれたのか、特に不審に思うこともなくアッシュの言葉にこたえて宿を出て行った。
「よかったな、言い訳がたって」
くくっ、と喉の奥で笑いながらアッシュが言う。
「まさか昨夜のせいでまともに歩けません、とは言えないからな」
揶揄るようなその物言いに、ルークは無視しようとしていた体の奥にある鈍い痛みを思い出して顔をしかめた。
目覚めたときほどではないが、普通にしているには辛いほどの痛みはまだ確実に残っている。
実際のところ、支えてくれるアッシュの手がなければ、そのまま倒れこんでしまいたいほどだ。
本当は、こうやって何事もなかったのかように、それもまるで自分を気遣うようにのばされたこの手に支えられているのは、ルークにとって屈辱以外の何物でもなかった。
同じその手で、昨夜アッシュはルークをねじ伏せ、羞恥に泣き叫ぶ体をむりやり開かせ蹂躙したのだから。
それでも、こうやってアッシュの手が自分にふれているだけで嬉しいと感じてしまう自分も、どこかにいる。
その相反するその二つの心が、ルークを困惑させていた。
「おい、すこしは自分の足で歩け。あの女はごまかせても、奴等をごまかすのは厄介だぞ。なんとかぎりぎり自力で歩けないこともない、くらいの演技はしろ」
腰にまわされた手が、昨夜のことを思わせる手つきで脇腹を撫であげる。
「そうでなけりゃあいつらのことだ、医者だなんだとうるせえぞ。今のおまえの体を他人に見られてもいいって言うんならな……」
青ざめた顔でアッシュを見あげると、ルークと同じ色をした翡翠の瞳が嘲るように細められる。
そんなことができるはずがないことは、アッシュが一番よく知っているはずだ。
ルークの体には、昨夜の情事のあとが生々しく残されている。見られてしまえば、なにが起こったのか想像するのはたやすい。
女のように犯されたのだと知られる屈辱感を味あわされるだけではない。それが誰によっておこなわれたのかも、容易に分かってしまうだろう。それだけは、断じて知られるわけにはいかなかった。
やむを得ない事情があった上でルークが受け入れたこととはいえ、合意があったとはとても言えない行為だったことはたしかだ。
、アッシュにとっては、あれはただ自分の命を繋ぐための行為であって、ルークはそのための贄であり糧なのだ。ただ貪られるだけの行為に想いなど存在するはずがないのだから、あれは一方的な行為であったと言える。
もしこのことが知られたら、耐え難い羞恥と屈辱感にさいなまれるだけではない。仲間たちは間違いなくアッシュを責めるだろう。それがルークにとっては、一番辛いことだった。
どんなに酷いことをされても、ルークはアッシュを嫌うことができない。アッシュが自分のことが原因で他人に責められることにも、耐えられない。
理不尽な扱いにどんなに納得がいかなくても、そのことにどんな怒りを覚えても、ルークはアッシュを完全に拒絶することはできなかった。
どうしてなのかと問われても、そうなのだとしか答えようがない。
ルークにとっていま何よりも一番怖いことは、他人から責められたことによってアッシュが自分から離れていってしまうかもしれない、ということだ。
ルークによって命を繋ぐことになったアッシュがそんなことをするはずがないとはわかっていても、その不安は消えることがない。
あのエルドランドでアッシュが死んだことを感じた瞬間、自分の中からも何かが引きちぎられていったような気がした。
あんな思いは、二度と味わいたくなかった。
だから、この背徳的な行為を他人に知られることは決してあってはならない。
「わかった…。努力する」
「期待してるぞ」
冷たい笑みとともに、かつてどうしても欲しかった言葉がいとも簡単に与えられる。
しかしそこにこめられた意味が本当の意味とはまったく違う物なのだということは、言われなくてもよくわかっていた。
アルビオールから見下ろしたバチカルは、二年の月日がたっていると言われてはいても、かつて同じようにこうやって見下ろしたときと変わらないように見えた。
「港の方へまわりますね」
ノエルはぐるりと街の上で一度大きく旋回すると、機首を下げて港の方へむかった。
おそらく二人に、故郷であるバチカルの街をみせるためにわざわざこらからまわってくれたのだろう。そのさりげない気遣いに感謝しながら、ルークは窓に張り付くようにしてバチカルの町並みを見下ろした。
港に降りたつと、そこにはナタリアとガイが待っていた。
ルークは重く感じる体をそれでもなんとか支えながら、アッシュの後ろについて二人の方へ歩いていった。
案の定、めざといガイには体の具合をきかれたが、やはり昨日戻ったばかりだからという言い訳がきいたのか、深く追求されることはなかった。
そこでナタリアは二人に、フード付きの外套を手渡してきた。
「これは…?」
これにはさすがにアッシュも、一瞬怪訝な顔でナタリアの方へ視線を向けた。
「戻られたばかりでまだ実感はないかもしれませんが、いま急にお二人がバチカルの街をそのままで歩いたりしたら大騒ぎになりますわ」
ナタリアはそんな二人を見て、悪戯っぽく笑った。
「おまえ達がいないあいだに、二人のファブレ家の子息はほぼ伝説上の英雄みたいなあつかいになっていたからな。それぞれ一人ならまだしも、二人揃ってあらわれたら一発でおまえらだってばれちまう。だから、屋敷に戻るまでは面倒だろうけど、それで顔を隠してくれ」
苦笑いしながら続けたガイに、ようやく納得したというようにアッシュが頷いた。
ルークにとっても、フードで顔が隠れるのは正直ありがたかった。
どうしても、歩けば予想しないところで体の奥に痛みが走る。咄嗟に表情を取り繕えないこともあるだろうから、そのたびに心配げな目をむけられるのはできるだけ避けたかった。
屋敷まで戻れば、なんとでも言い繕って部屋に逃げることができる。それまでの我慢なのだと言い聞かせながら、ルークは目深にフードを被ってアッシュに続いて天空客車にのりこんだ。
すでに知らせが行っていたファブレ家では、屋敷の者たちが総出で二人を出迎えた。
シュザンヌは二人を同時に両腕で抱きしめ、両方の頬をそれぞれの頬に押しつけるようにして泣いた。
その柔らかな感触がくすぐったくて、ルークは思わず横目でアッシュのようすをうかがった。アッシュはどこかぎこちない表情を浮かべていたが、それが彼の照れ隠しであることは分かっていた。
公爵は二人を抱きしめることこそしなかったが、やはりかすかにその目尻に涙を浮かべてシュザンヌに抱きしめられている二人を見つめていた。
そして、ひとしきり家族との再会の挨拶がすんだ後にすすみでたラムダスの第一声が、「おかえりなさいまし、おぼっちゃまがた」だったこと。
その後ろに控えた、メイド達や白光騎士団達。
誰もが二人での帰還を歓迎し、心から喜んでくれていることがそれだけでわかった。
やはり、ここが自分が帰る場所だったのだという歓喜がルークの中に生まれる。
だから、あらためて問うことはしなかった。
ここにいていいのかと訊くのは、彼らの真心を踏みにじることになるだろうということがわかったから。
それに、どんな理由があっても、アッシュとともにこの家に戻れたことはルークにとって嬉しいことだった。
「二人とも、これからはずっとこの屋敷にいてくれるのでしょう?」
シュザンヌは二人の顔を交互に見ると、そう訊ねた。
「母上が、望まれるなら」
ルークはそう答えながら、隣にいるアッシュの答えを待った。
以前は二度とここに戻らないと言っていた彼だが、やはりアッシュにとってもここが帰るべき場所なのだとルークはあらためて強く感じていた。
それに、彼はルークと約束したのだ。
ルークがここに帰るなら、一緒に帰ると。
「……私も、そのつもりです」
その答えに、心底嬉しそうに母親が笑ってあらためて二人を抱きしめてきた。
抱きしめられる温かくて柔らかな感触を感じながら、ルークは心の中で深い安堵を感じていた。
これでなにもかもが綺麗におさまるわけではないのだとわかっていても、今だけはこれからも一緒にいられるのだという幸福を感じていたかった。
「さあ、疲れたでしょう?お茶の時間まではお部屋で休んでいなさい」
そのときにまたゆっくりとお話しをきかせてちょうだいね、そう言ってシュザンヌはようやく二人の息子を離した。
「……アッシュ。あなたのお部屋は客間の方へ用意させてあるから、案内させるわ」
シュザンヌはメイドを呼ぶために手をあげかけたが、その前にアッシュがそれを軽く制した。
「そのことですが。問題がなければルークと同じ部屋にしていただきたいのですが」
「あら…」
母親はアッシュのその発言に驚いたような顔をしてから、ふふと嬉しそうに笑った。
「仲が良いのね。本当の双子のようだわ」
では、あとでベッドをもう一つルークの部屋へ用意させましょう。心なしか先ほどよりも浮かれたようすの母親に、アッシュは薄く笑みをうかべながら礼をのべた。
そのやりとりをぼんやりと隣でききながら、ルークは内心混乱していた。
自分を嫌いだと公言しているのに、なぜわざわざそんなことを言い出したのだろう。もしかしたら母親を気遣っての発言なのかもしれないが、ルークにとっては嬉しさ半分戸惑い半分と言うところだ。
「行くぞ」
腕をひかれてはっと我に返ると、アッシュがこちらをのぞき込んできていた。
「やっぱり疲れているみたいだな。二人ともすこし休んでこいよ」
家族再会に遠慮してすこし離れたところに立っていたガイからも、苦笑混じりにそう声がかかる。
それにぼんやりと頷きながら、ルークはアッシュに手を引かれるがままに部屋の方へ向かった。
中庭の中程まで来ると、アッシュは突き放すようにしてルークの腕を放した。
「アッシュ…?」
「勘違いするなよ」
ふり返ったアッシュの瞳は、さきほどとはうってかわって冷たく硬い光を放っていた。
「おまえと同じ部屋にしてもらう理由は、その方が都合が良いからだ。そうでなきゃ、誰がてめえなんかと同じ部屋になるか」
「都合…?」
「あいかわらず頭の中身は空っぽのようだな」
冷たい言葉が、刃のように突き刺さってくる。
「昨夜のことを、忘れたんじゃねえだろうな?……部屋を離されると、なにかと目につきやすいからな。おまえだって、あのことを知られたくはねえだろう?」
じわり、と忘れていた体の奥の痛みが急にこみ上げてきた。
「……言っただろう?てめえを手放す気はねえ、と」
綺麗な翡翠の瞳が、酷薄な笑みをたたえまま細められる。
「おまえは、俺が生きのびるための生け贄なんだからな」
あらためて突きつけられる事実に、ルークは頭の中が白くなってゆくのを感じた。
覚悟を決めていたはずなのに、あらためてその事実を告げられとさまざまな感情に押しつぶされそうになってしまう。
呼吸の仕方を忘れたかのように、胸が苦しい。おもわず両手で胸を押さえるが、どんどん苦しくなってゆく。
一瞬、誰かの声が聞こえたような気がした。
思考が白に塗りつぶされてゆく。
ふいに奇妙な浮遊感を感じて、足元の感覚がなくなった。
そして次の瞬間には、白く染まった思考は闇一色に塗りかえられていた。
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そろそろ半分くらいかな。
陽が高くなりはじめた頃、宿に二人を迎えにあらわれたノエルは、ルークの顔を見るなり心配そうに眉をしかめた。
意外にも、迎えにやってきたのはノエル一人だった。
昨日のこともあったので、てっきりジェイドあたりがやってくるものだと思っていたルークは、すこし拍子抜けした気分だった。
「こいつは生き返ったばかりみたいなもんだからな。まだ本調子じゃねえんだろ」
そんなことを考えていたせいか、ぼんやりとしてしまったルークに代わるようにしてアッシュがこたえた。
「もうすこし、休んでから行きますか?」
「いや、大丈夫だから。本当に」
かるく顔をしかめてこちらをのぞき込んできたノエルに、ルークは慌てたように手を振った。
「俺がこいつを連れて行くから、先に行って用意をしていろ」
突然腕をひかれて、ルークはびくりと大きく体をふるわせた。
しかしノエルはそれに気づかなかったのか、それともそんな反応も具合の悪いせいだと解釈してくれたのか、特に不審に思うこともなくアッシュの言葉にこたえて宿を出て行った。
「よかったな、言い訳がたって」
くくっ、と喉の奥で笑いながらアッシュが言う。
「まさか昨夜のせいでまともに歩けません、とは言えないからな」
揶揄るようなその物言いに、ルークは無視しようとしていた体の奥にある鈍い痛みを思い出して顔をしかめた。
目覚めたときほどではないが、普通にしているには辛いほどの痛みはまだ確実に残っている。
実際のところ、支えてくれるアッシュの手がなければ、そのまま倒れこんでしまいたいほどだ。
本当は、こうやって何事もなかったのかように、それもまるで自分を気遣うようにのばされたこの手に支えられているのは、ルークにとって屈辱以外の何物でもなかった。
同じその手で、昨夜アッシュはルークをねじ伏せ、羞恥に泣き叫ぶ体をむりやり開かせ蹂躙したのだから。
それでも、こうやってアッシュの手が自分にふれているだけで嬉しいと感じてしまう自分も、どこかにいる。
その相反するその二つの心が、ルークを困惑させていた。
「おい、すこしは自分の足で歩け。あの女はごまかせても、奴等をごまかすのは厄介だぞ。なんとかぎりぎり自力で歩けないこともない、くらいの演技はしろ」
腰にまわされた手が、昨夜のことを思わせる手つきで脇腹を撫であげる。
「そうでなけりゃあいつらのことだ、医者だなんだとうるせえぞ。今のおまえの体を他人に見られてもいいって言うんならな……」
青ざめた顔でアッシュを見あげると、ルークと同じ色をした翡翠の瞳が嘲るように細められる。
そんなことができるはずがないことは、アッシュが一番よく知っているはずだ。
ルークの体には、昨夜の情事のあとが生々しく残されている。見られてしまえば、なにが起こったのか想像するのはたやすい。
女のように犯されたのだと知られる屈辱感を味あわされるだけではない。それが誰によっておこなわれたのかも、容易に分かってしまうだろう。それだけは、断じて知られるわけにはいかなかった。
やむを得ない事情があった上でルークが受け入れたこととはいえ、合意があったとはとても言えない行為だったことはたしかだ。
、アッシュにとっては、あれはただ自分の命を繋ぐための行為であって、ルークはそのための贄であり糧なのだ。ただ貪られるだけの行為に想いなど存在するはずがないのだから、あれは一方的な行為であったと言える。
もしこのことが知られたら、耐え難い羞恥と屈辱感にさいなまれるだけではない。仲間たちは間違いなくアッシュを責めるだろう。それがルークにとっては、一番辛いことだった。
どんなに酷いことをされても、ルークはアッシュを嫌うことができない。アッシュが自分のことが原因で他人に責められることにも、耐えられない。
理不尽な扱いにどんなに納得がいかなくても、そのことにどんな怒りを覚えても、ルークはアッシュを完全に拒絶することはできなかった。
どうしてなのかと問われても、そうなのだとしか答えようがない。
ルークにとっていま何よりも一番怖いことは、他人から責められたことによってアッシュが自分から離れていってしまうかもしれない、ということだ。
ルークによって命を繋ぐことになったアッシュがそんなことをするはずがないとはわかっていても、その不安は消えることがない。
あのエルドランドでアッシュが死んだことを感じた瞬間、自分の中からも何かが引きちぎられていったような気がした。
あんな思いは、二度と味わいたくなかった。
だから、この背徳的な行為を他人に知られることは決してあってはならない。
「わかった…。努力する」
「期待してるぞ」
冷たい笑みとともに、かつてどうしても欲しかった言葉がいとも簡単に与えられる。
しかしそこにこめられた意味が本当の意味とはまったく違う物なのだということは、言われなくてもよくわかっていた。
アルビオールから見下ろしたバチカルは、二年の月日がたっていると言われてはいても、かつて同じようにこうやって見下ろしたときと変わらないように見えた。
「港の方へまわりますね」
ノエルはぐるりと街の上で一度大きく旋回すると、機首を下げて港の方へむかった。
おそらく二人に、故郷であるバチカルの街をみせるためにわざわざこらからまわってくれたのだろう。そのさりげない気遣いに感謝しながら、ルークは窓に張り付くようにしてバチカルの町並みを見下ろした。
港に降りたつと、そこにはナタリアとガイが待っていた。
ルークは重く感じる体をそれでもなんとか支えながら、アッシュの後ろについて二人の方へ歩いていった。
案の定、めざといガイには体の具合をきかれたが、やはり昨日戻ったばかりだからという言い訳がきいたのか、深く追求されることはなかった。
そこでナタリアは二人に、フード付きの外套を手渡してきた。
「これは…?」
これにはさすがにアッシュも、一瞬怪訝な顔でナタリアの方へ視線を向けた。
「戻られたばかりでまだ実感はないかもしれませんが、いま急にお二人がバチカルの街をそのままで歩いたりしたら大騒ぎになりますわ」
ナタリアはそんな二人を見て、悪戯っぽく笑った。
「おまえ達がいないあいだに、二人のファブレ家の子息はほぼ伝説上の英雄みたいなあつかいになっていたからな。それぞれ一人ならまだしも、二人揃ってあらわれたら一発でおまえらだってばれちまう。だから、屋敷に戻るまでは面倒だろうけど、それで顔を隠してくれ」
苦笑いしながら続けたガイに、ようやく納得したというようにアッシュが頷いた。
ルークにとっても、フードで顔が隠れるのは正直ありがたかった。
どうしても、歩けば予想しないところで体の奥に痛みが走る。咄嗟に表情を取り繕えないこともあるだろうから、そのたびに心配げな目をむけられるのはできるだけ避けたかった。
屋敷まで戻れば、なんとでも言い繕って部屋に逃げることができる。それまでの我慢なのだと言い聞かせながら、ルークは目深にフードを被ってアッシュに続いて天空客車にのりこんだ。
すでに知らせが行っていたファブレ家では、屋敷の者たちが総出で二人を出迎えた。
シュザンヌは二人を同時に両腕で抱きしめ、両方の頬をそれぞれの頬に押しつけるようにして泣いた。
その柔らかな感触がくすぐったくて、ルークは思わず横目でアッシュのようすをうかがった。アッシュはどこかぎこちない表情を浮かべていたが、それが彼の照れ隠しであることは分かっていた。
公爵は二人を抱きしめることこそしなかったが、やはりかすかにその目尻に涙を浮かべてシュザンヌに抱きしめられている二人を見つめていた。
そして、ひとしきり家族との再会の挨拶がすんだ後にすすみでたラムダスの第一声が、「おかえりなさいまし、おぼっちゃまがた」だったこと。
その後ろに控えた、メイド達や白光騎士団達。
誰もが二人での帰還を歓迎し、心から喜んでくれていることがそれだけでわかった。
やはり、ここが自分が帰る場所だったのだという歓喜がルークの中に生まれる。
だから、あらためて問うことはしなかった。
ここにいていいのかと訊くのは、彼らの真心を踏みにじることになるだろうということがわかったから。
それに、どんな理由があっても、アッシュとともにこの家に戻れたことはルークにとって嬉しいことだった。
「二人とも、これからはずっとこの屋敷にいてくれるのでしょう?」
シュザンヌは二人の顔を交互に見ると、そう訊ねた。
「母上が、望まれるなら」
ルークはそう答えながら、隣にいるアッシュの答えを待った。
以前は二度とここに戻らないと言っていた彼だが、やはりアッシュにとってもここが帰るべき場所なのだとルークはあらためて強く感じていた。
それに、彼はルークと約束したのだ。
ルークがここに帰るなら、一緒に帰ると。
「……私も、そのつもりです」
その答えに、心底嬉しそうに母親が笑ってあらためて二人を抱きしめてきた。
抱きしめられる温かくて柔らかな感触を感じながら、ルークは心の中で深い安堵を感じていた。
これでなにもかもが綺麗におさまるわけではないのだとわかっていても、今だけはこれからも一緒にいられるのだという幸福を感じていたかった。
「さあ、疲れたでしょう?お茶の時間まではお部屋で休んでいなさい」
そのときにまたゆっくりとお話しをきかせてちょうだいね、そう言ってシュザンヌはようやく二人の息子を離した。
「……アッシュ。あなたのお部屋は客間の方へ用意させてあるから、案内させるわ」
シュザンヌはメイドを呼ぶために手をあげかけたが、その前にアッシュがそれを軽く制した。
「そのことですが。問題がなければルークと同じ部屋にしていただきたいのですが」
「あら…」
母親はアッシュのその発言に驚いたような顔をしてから、ふふと嬉しそうに笑った。
「仲が良いのね。本当の双子のようだわ」
では、あとでベッドをもう一つルークの部屋へ用意させましょう。心なしか先ほどよりも浮かれたようすの母親に、アッシュは薄く笑みをうかべながら礼をのべた。
そのやりとりをぼんやりと隣でききながら、ルークは内心混乱していた。
自分を嫌いだと公言しているのに、なぜわざわざそんなことを言い出したのだろう。もしかしたら母親を気遣っての発言なのかもしれないが、ルークにとっては嬉しさ半分戸惑い半分と言うところだ。
「行くぞ」
腕をひかれてはっと我に返ると、アッシュがこちらをのぞき込んできていた。
「やっぱり疲れているみたいだな。二人ともすこし休んでこいよ」
家族再会に遠慮してすこし離れたところに立っていたガイからも、苦笑混じりにそう声がかかる。
それにぼんやりと頷きながら、ルークはアッシュに手を引かれるがままに部屋の方へ向かった。
中庭の中程まで来ると、アッシュは突き放すようにしてルークの腕を放した。
「アッシュ…?」
「勘違いするなよ」
ふり返ったアッシュの瞳は、さきほどとはうってかわって冷たく硬い光を放っていた。
「おまえと同じ部屋にしてもらう理由は、その方が都合が良いからだ。そうでなきゃ、誰がてめえなんかと同じ部屋になるか」
「都合…?」
「あいかわらず頭の中身は空っぽのようだな」
冷たい言葉が、刃のように突き刺さってくる。
「昨夜のことを、忘れたんじゃねえだろうな?……部屋を離されると、なにかと目につきやすいからな。おまえだって、あのことを知られたくはねえだろう?」
じわり、と忘れていた体の奥の痛みが急にこみ上げてきた。
「……言っただろう?てめえを手放す気はねえ、と」
綺麗な翡翠の瞳が、酷薄な笑みをたたえまま細められる。
「おまえは、俺が生きのびるための生け贄なんだからな」
あらためて突きつけられる事実に、ルークは頭の中が白くなってゆくのを感じた。
覚悟を決めていたはずなのに、あらためてその事実を告げられとさまざまな感情に押しつぶされそうになってしまう。
呼吸の仕方を忘れたかのように、胸が苦しい。おもわず両手で胸を押さえるが、どんどん苦しくなってゆく。
一瞬、誰かの声が聞こえたような気がした。
思考が白に塗りつぶされてゆく。
ふいに奇妙な浮遊感を感じて、足元の感覚がなくなった。
そして次の瞬間には、白く染まった思考は闇一色に塗りかえられていた。
BACK← →NEXT(07/03/09)
そろそろ半分くらいかな。