魔法使いの弟子




長い指を持つ白い手が天秤で量った光る粉をつまみ上げ、薄青い液体で満たされたビーカーの中に落としてゆく。
何度目かに粉が液体の中に消えてゆくと同時に、薄青色の液体がやわらかなパールグリーンへと変わり静かに光を放ちはじめた。
その上で白い手がふわりと一度振られ、魔力が加えられる。
かざされた手から発せられる青白い光りに反応するように、ビーカーから放たれる光が点滅をはじめる。
それを冷めた目で見下ろしながら、彼の手はなんの躊躇いもなく作業を進めてゆく。
神の業をおかすと一部の宗教家にいわれる錬金術。
この手ならそれさえも可能なのではないかと思わせるものが、そこにはあった。



扉がノックされる音に、ジェイドは顔をあげなかった。
彼の手元では、いままさに完成されようとしている調合が行われている。状況だけを見れば手を離せないからという理由になるのだろうが、ジェイドに関して言えばわざと無視しているだけである。
いま彼が行っている調合は、彼にとっては目を瞑ってでも出来るような簡単なものだ。だがジェイド個人の基準では、来訪者よりも調合という優先順位がきっちりできているので、なんの良心の呵責も感じない。
もしそのことで意見しても、貴重な調合時間に訊ねてきた方が悪いのだと、ぬけぬけと言い切るだろう。
もっとも、そんなことを彼にむかって面と言ってのけられる相手は、ほとんどいない。だから、ほとんどの相手は一度のノックで彼が応じなければ大人しく引き下がるのだが、もちろん中には例外もいる。
そして本日の訪問者は、その例外の相手だった。

「なんだ、いるんじゃねーか。返事くらいしろよなお前」

騒がしい音をたてながら扉を開いたのは、金色の髪を持つ一人の青年だった。ジェイドは顔もあげずにため息をひとつつくと、さらに手元のビーカーの中に別の液体を注ぎこむ。

「なんだよ。せっかくきてやったのに無視かよ」
「あなたにきてくれといった記憶はありませんよ、ピオニー」

ようやく返事を返したジェイドにピオニーはニッと笑みを浮かべると、遠慮する素振りも見せずに部屋の中に踏み込んできた。

「相変わらず汚ったねえ部屋だな」
「あなたの私室ほどじゃありませんよ。それにこの部屋は汚いんじゃなくて、効率よくものがおさめられた結果こうなっているだけです」

ジェイドは聞き捨てならないとばかりに反論すると、ようやく顔をあげてまともにピオニーを見た。

「それで何か御用ですか。陛下」
「おっ前な〜。わざわざ言い直すなよ」

ピオニーは嫌そうに顔をしかめると、断りもなくソファに勝手に腰をおろした。そんな彼にジェイドは諦めたように肩をすくめると、調合を中断してテーブルから離れた。

「事実なんですから別にかまわないでしょう? ピオニー・ウパラ・マルクト9世陛下」
「……イヤミか? イヤミだな?」
「当たり前です。また勝手に宮殿を抜け出してきたんでしょう? まったく、フリングス少将あたりが今頃真っ青になって探していますよ」
「別に今日は遊びにいたわけじゃないぞ。ここの経営者としての職務を果たしにきただけだからな」

そう言うと、ピオニーはニヤリと楽しげな笑みを浮かべた。
そうやって笑って寛いでいる姿は、とてもこのマルクト帝国の支配者には見えない。なにしろ成人間際まで市井で庶民に紛れてくらしていたこともあって、ピオニーは貴族や皇族独特のお高くとまった選民意識が薄い。
そのためしばしば貴族階級からの反発を招いていたが、国民からは圧倒的な支持を受けている。
だがいくら気安いたちだからと言って、本来なら皇帝であるピオニーに対して人目ではないとはいえ先程のような態度を取るものは少ないのだが、ジェイドは彼が街で暮らしているときからの幼なじみである。いまさら態度を変えるなと強く言われて以来、公の場以外ではジェイドは昔からの友人として彼に接していた。

「経営者ね……。まあたしかにここは王立錬金術アカデミーですから、あながち間違いではありませんけれど」

しかも皇帝になったくせに、いまだにここの理事長の座から彼は退いていない。そう言う意味でも実質的な経営者であるには間違いないのだが、一応名ばかりということが前提のはずだ。
実際の運営は他の理事と校長に一任されており、わざわざ彼が経営者としての職務を果たす必要などないのだ。
ちなみにジェイドは、このアカデミーの教師として5年前からここに籍を置いている。その頃からピオニーのアカデミーがよいがはじまったので、実質的にはジェイドが原因といえなくもないが、そのあたりは綺麗に無視している。

「ですが、それでなぜ私のアトリエに? アカデミー経営のことに手出しした覚えはないですが」
「ああ、知ってる。校長に拝み倒されているってのに、無視してんだってな。お前な、面倒だからってちょっとは協力してやれよ」
「別に私が手を出さなくても、アカデミーの経営は上々のようですからね。それに、私がここに籍を置いているのは別にアカデミーで実権を握りたいとか、そういうわけではありませんから」

にべもなくそう言いきったジェイドに、ピオニーが小さく肩をすくめるのが見えた。

「まあいい。今日は別件だ。ジェイド、おまえ次年度から生徒を取れ」
「は?」

予想していなかったピオニーの一言に、ジェイドは珍しく驚いた顔で彼を見返した。

「おまえ、いままで一人も生徒を取ってないだろ。教師のくせして。だから今年は絶対に生徒を取れ」
「ちょっと待ってください。いきなりそんなことを言われても困ります」

ジェイドは綺麗な形の眉をひそめると、迷惑そうな声をあげた。

「私は弟子を取らない主義です。それは、このアカデミーに籍を置くときにも言っておいたはずです。研究のために籍を置きますが、実際に生徒を取るつもりはないと」
「ああ、そんなこと言っていたな」
「でしたら」
「言っていたのは知ってるが、認めた覚えはない」

あっさりとそう言ってのけると、ピオニーは人の悪い笑みを浮かべた。

「ピオニー」
「今年生徒を取らなかったら、お前の研究資金を差し止める。他に援助を求めても無駄だぞ? 勅命にするからな」

勅命という一言に、ジェイドはぐっと口を噤んだ。
ジェイドの研究は、莫大な資金と特殊な設備環境が必要となる。どちらの条件も満たしているのがここ錬金術アカデミーであり、そのためにわざわざ軍属を退いてここに籍を置いているのだ。

「……わかりました。ですが条件があります」
「なんだ?」
「生徒は一人だけ。それ以上は絶対に取りませんから」
「おう、かまわないぞ」

てっきりごねられると思っていた条件があっさりとのまれて、ジェイドはすっと目を細めた。

「……なにをたくらんでいるんですか?」
「人聞き悪いこと言うなよな、ま、いままで生徒を取ってなかった罰としてちょいとばかり苦労してもらうことにはなるがな」
「どういうことです」
「おまえさんが担当する生徒は、ビリの補欠入学の生徒だ。せいぜい落ちこぼれないようにしてやれよ」

そう言ってピオニーはからからと笑うと、唖然とした顔で自分を見ているジェイドの顔を楽しげに見かえした。
マルクト帝国の王立錬金術師アカデミーには、毎年多くの志願者が国内外から狭き門を叩きにやってくる。
その中から難関を突破してきた者だけがこのアカデミーに入学できるのだが、毎年、僅かに合格点に満たなかった者の中から特別に意欲が認められた者を救済するのが、補欠入学制度である。
だがその入学には様々な条件がつけられ、その条件を飲まない限りは入学を認められない。しかもぎりぎりで入学するだけあって、次年度の進学単位を修得できずに脱落してゆく者も多い。

「……でしたら、私からも条件があります」

そのことを瞬時に思い出したジェイドは、いつもの含みのある笑みを唇の端に浮かべた。

「私の指導方針に口を出さないこと。それから、本人の努力が足りずに脱落したり自主的に私の指導から外れたいと申し出があった場合には、ペナルティの対象にならないこと」
「ああ、いいぞ」

にこにこと笑いながらピオニーは、またもやあっさりと条件をのんだ。
あまりにあっさりすぎて、気味が悪いほどに。

「……なにをたくらんでいるんですか?」
「だから、なにも企んでねえって言ってんだろ」

だが、そうやって笑う顔こそが信用できないのだ。

「入学式は一週間後だ。それまでにお前のアトリエに資料を届けさせる。……あんまり苛めるなよ」

ピオニーはソファから立ちあがると、これで用はすんだとばかりにさっさと扉の方へ向かった。

「言っておくが、生徒の交換は認めねえからな」
「……わかりました」

何を考えているのか知らないが、どうせろくでもないことだろう。
いいかげんこの幼なじみに振り回されるのも慣れっこになっているので、半分諦め気分でジェイドは頷いた。
だが、その後送られてきた資料を見て、ジェイドはあのとき強く拒まなかった自分を後悔することとなる。
そこには、お世辞にも上手いと言えない個性的な字で彼の初の生徒となる予定の少年の名が書かれていた。

『ルーク・ファブレ』

それは、軍属にあったものなら誰でも知っているマルクト帝国と世界を二分する大国キムラスカ王国の、王族の一族の名前だった。



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少々言い訳というか補足。
この話は、「マリーのアトリエ・エリーのアトリエ」からアカデミーの設定を借りています。調合品や用具などもそちらの設定を借りていますので、一応明記。