魔法使いの弟子・2




入学式を終えた新入生たちが講堂の扉から吐き出されてくるのをぼんやりと見つめていたジェイドは、最後にきょろきょろとまわりを見回しながら出てきた赤毛の少年を見て、ため息をひとつついた。

「あ、あのすみません。お訊きしたいんですが」

少年はジェイドの姿を見つけると、パッと顔を輝かせてこちらにやってきた。

「あの、ジェイド・カーティス先生のアトリエには、どう行けば良いんでしょうか?」

少年の口から自分の名がでてきたことに、ジェイドは自分の勘が外れていなかったことに複雑な気持ちになりながら口を開く。

「私です」
「は?」
「私が、あなたの担当教師になるジェイド・カーティスです」

やや不機嫌そうにそう答えながらふと少年の顔を見下ろして、ジェイドは怪訝そうに眉をひそめた。
少年は、近くで見ると綺麗に整ったなかなか可愛らしい顔立ちをしていた。だが、いま自分を見あげている少年はぽかんと口を半開きにしていて、かなり間抜けな顔になっている。

「どうかしましたか?」

あまり気は進まないが、一応訊ねてみる。もし具合でも悪いのであれば、保健室の場所くらいは教えてやらないでもない。もちろん、案内する気は欠片もないが。
ジェイドの声に少年はハッと夢から覚めたような顔になると、ぱちぱちと大きく瞬きをした。

「あ、す、すみません」

少年は慌ててぺこりと頭を下げると、なぜか頬を少し赤らめながら顔をあげた。

「ええと、はじめまして。ルーク・ファブレです。これから三年間、よろしくお願いいたします」

ルークはもう一度勢いよく頭を下げると、まるで異物を見ているような目で見下ろしているジェイドに向かって、にこりと笑顔を浮かべた。
なんだか調子が狂う。
ジェイドは表情を変えずにまじまじとルークの顔を見つめかえすと、さてどうしたものかと考えた。
らしくないと言えば、こんなところにわざわざ出向いてきた自分の行動も、随分とらしくない。どうせ後でアトリエに来ることはわかっていたのだから、そこで待っていれば良かったのだ。もっとも、本来ならジェイドも教師として入学式に出席しなければならなかったのだが、そのあたりは綺麗に忘れることとする。
だいたい無理矢理押しつけられた生徒など、ジェイドにとっては迷惑なだけの存在であって、興味を引くようなことがらはひとつもないはずなのだ。
そう思ったら、なんだか無性に腹立たしくなってくる。
ジェイドはじっと自分を見あげている少年に意識を戻すと、嘘くさい笑みを浮かべた。

「ええ、こちらこそよろしく。とりあえず、私のアトリエに行きましょうか」
「はい!」

ルークは気持ちの良い返事を返すと、早足で歩きはじめたジェイドの後を小走りになりながらついてきた。
その姿を横目で見ながら、なんとなく昔妹が可愛がっていた隣の子犬のことを思い出す。やけにキラキラした目で見あげてきて、歩き出すと必死に追いつこうと小走りに追いかけてきたあの姿に、なぜかルークが重なる。
たぶん一般的に言えば、好ましい少年なのだろうとジェイドは冷静に分析した。
王族に連なる一族の少年にしてはずいぶんと素直そうだが、だからと言ってジェイドの中でそれがプラスの評価に繋がるわけではない。
そもそもジェイドは、基本的に他人に興味がない。例外は数人いるが、ジェイドの中ではそれ以外の他人は遠く隔てた場所にいる存在でしかないのだ。

「はじめに言っておきますが、むやみにそこらの物に触らないように」

アトリエの扉を開く前にジェイドが釘を刺すと、ルークは真剣な顔でこくりと頷いた。だがそれも、部屋の中にはいるまでのことだった。
ルークはアトリエの中にはいると、一層瞳を輝かせてきょろきょろと部屋の中を見まわしながらジェイドの後を付いてくる。あぶなっかしいと思っていると、案の定なにかに躓いてそのままジェイドの背中に突っ込んできた。

「す、すみません」

ルークは慌てて身体を起こすと、うかがうようにジェイドの顔を見あげてきた。それに小さくため息だけをかえすと、ジェイドは自分のデスクにもたれかかって改めてルークに向き直った。

「さて、はじめに説明しておきますが、あなたは条件付きで補欠入学が認められました。それはご存じですね?」
「う…あ、はい」

ルークは頷くと、じっと真剣な顔でジェイドを見つめかえした。

「条件については入学後に伝えること、そしてその条件がのめなかった場合は即刻入学を取り消されることもわかっていますね?」
「お…、はい、わかっています」

ルークは舌を噛みそこねたような顔をすると、大きく頷いた。

「では、あなたの入学の条件を言います。本来ならアカデミーは全寮制なのですが、あなたの入学の条件は一人暮らしをしながらアカデミーを卒業すること。以上です」
「一人暮らし?」

思いがけない話に、ルークが目を丸くする。

「アカデミーでは、寮生はアトリエ兼部屋を与えられるだけでなく生活に関する一切を保証されますが、補欠入学者は勉強しながら生活費を稼いでいただくことになります。本来ならアカデミーが下宿先も斡旋するのですが、今年は補欠入学者も多かったものですから、それもすべて埋まってしまっています」
「へ?」

まだ事態が良く飲み込めていないのか、ルークはキョトンとした顔をしている。どうやら少々飲み込みが悪いらしいとジェイドは胸の中でため息をつくと、続ける。

「ですので、あなたにはアカデミー所有のアトリエが貸し出されることになります。そこで一人暮らしをして生活費を稼ぎながら、学んでいただきます」
「あ、住むところはあるんだ……」

ホッとしたせいだろう、思わず素に戻った口調になっているルークに、ジェイドは眉をひそめた。

「本当にわかっていますか? 言うのは簡単ですが、働きながら錬金術を学ぶのは生やさしいことではないですよ」
「でも、それが条件なんだろ?」

分かっているのかいないのか、ルークはそう言うとあっさりと頷いた。
意外にもあっさりとルークが条件をのんだことに、ジェイドは内心複雑な気持ちになっていた。
これで断ってくれれば、ジェイドにとっては願ってもないことだったのだ。だが実際に頷かれてみると、嫌だと駄々をこねられるよりも気分は良い。だが、どうせ長持ちはしないだろう。
ピオニーには悪いが、アカデミーのカリキュラムをこなしながら働くのは相当の努力と要領の良さが必要になる。だがジェイドが見たところ、ルークは要領が良いとはとても言えない。
思いがけず早々に厄介払いが出来そうな予感に、ジェイドはすました顔の下で意地の悪い笑みを浮かべた。
どうせすぐに音をあげるだろう。そうすれば、自分は晴れて自由の身となる。
もちろんジェイドは、はじめから自分の生徒となる相手を、自分からやめたくなるように仕向けるつもだった。指導について口出しするなとピオニーに釘を刺したのも、そのためだ。
もっとも、あまりにあからさまなことをしたらさすがにマズイだろうが、そのあたりの匙加減はぬかりないつもりだ。

「では、アトリエに案内します」

そんな明るい展望に珍しく浮かれていたせいだろうか、ジェイドは自分の生徒になる予定のこの少年が、自分の予想以上にやっかいな存在であることをその時には見抜けないでいた。



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