魔法使いの弟子・4




「よう。今日はまた随分とすごい顔で、どうした?」

そうにこやかに笑って自分を迎え入れたピオニーに、ジェイドは器用に片方の眉だけ跳ねあげて見せた。
ピオニーの膝の上には、彼のペットであるブウサギが一匹。その毛並みを愛しそうに撫でる姿は、いつも以上にくつろいでいる。
それもそうだろう、いま彼らがいるのは宮殿内にあるピオニーの自室だ。なにかと煩い重臣たちの目はない。
しかしこの部屋にはじめて足を踏み入れたものは、まず本当にここがマルクト帝国最高権力者の居室であることをかならず疑うだろう。
さすがに部屋の広さや内装などは、皇帝の居室にふさわしく豪華なものであることはわかる。しかし部屋の中は乱雑に散らかり、床にはなにに使うのかよくわからないものまで無造作に積み上げられている。
そしてなによりもここを貴人の居室からかけ離れた空間にしてしまっているのは、何頭ものブウサギの存在だった。

「相変わらず汚い部屋ですね」
「神経質に整えられている方が落ち着かん。しっかりしろって無言で言われているみたいでな」
「むしろあなたには、そうしていただきたいところですがね。ですが、今日はあなたの部屋について議論しに来たわけではありません」

ジェイドはそう告げると、じろりとベッドに悠々と座っているピオニーを睨みつけた。
わざわざ部屋まで来るように言ったのは、ジェイドがなにを言いに来たのか彼もわかっているのだろう。たしかに今から話すことは、謁見室で話すには少々微妙すぎる話だ。

「あなたが押しつけてきたあの生徒。あの子は、ファブレ公爵家のご子息ですね」
「お、よくわかったな。一応家名はそのままにしておいたが、貴族姓は抜かしておいたのに」
「たしかに赤い髪も翠の瞳も、キムラスカでは全くないわけではないでしょう。ましてファブレの家名を持つ縁戚なら、顕著な特徴があらわれても不思議はない。ですが、あの子の世間知らずさといい、わざわざ護衛剣士までつけて留学させてきたとなれば、自ずとしれます」
「ああ、あの護衛剣士な! ありゃあかなり出来るだろ。なにしろガルディオス家の遺児だからな」

ピオニーはニヤリと意地の悪い笑みを浮かべると、予想通り大きく目を見開いたジェイドを満足そうに見た。

「なぜホドの生き残りがファブレ家に?」
「さあな。だがファブレ家でもそれは承知しているらしいぞ。ま、他人の家の事情に首を突っ込むのは野暮だからな」

ピオニーはひょいと首を軽くすくめると、片目を瞑ったままジェイドの顔を見あげた。

「で、どうだった? 初めての生徒は」
「どうもこうも。……よくキムラスカが王族をこっちに寄越しましたね」
「おう。しかも王位継承権4位だそうだ」
「……余計問題じゃないですか。こちらに滞在中になにかあったら、どうするつもりなんですか」
「ん? だからお前に預けたんだろ」
「迷惑です」

ジェイドは綺麗になカーブを描く柳眉をしかめると、心の底からそう言った。
ただでさえ生徒を押しつけられたこと自体が迷惑だというのに、相手は他国の王族である。その身に何かあれば即外交問題に繋がるだろうし、おまけにファブレ公爵は大のマルクト嫌いとして知られている。

「特別扱いはナシってことで入学を許可したし、本人もファブレ家もそれで承知している。ま、さすがに色々問題はあるから護衛剣士の同行は許したけどな。一応、あのおぼっちゃんもそこそこやるみたいだぞ」
「そういう問題ではないでしょう……」

他人事のように笑う、いまは皇帝陛下になった幼なじみに、ジェイドは呆れたように嘆息した。

「わかっている。だが、申し出を撥ね付けるには相手が悪かったからな。ちなみにじいさんたちは、お前に押しつけるって言ったら納得したぞ」

そう告げたピオニーの目が笑っていないことに気がついて、ジェイドはますます憂鬱そうにため息をついた。つまり、厄介ごとを丸ごと投げつけられたわけだ。

「俺個人としては、可愛いしなかなか見所がありそうだから、アカデミーにおいておくのはまんざらじゃないけどな。良い子だっただろう?」
「さあ、どうでしょう」
「相変わらずきついな。まあそういうわけだから、あの子のことはお前にまかせる。ただし、あまり酷いことはするなよ」
「おっしゃる意味がわかりませんが?」
「難癖つけて苛めるなよ。さすがに寝覚めが悪い」

ピオニーは手元にいるブウサギの頭を撫でながら、ちらりと複雑そうな表情を覗かせた。
それこそ今さらだ、とジェイドは思う。おそらくあの子供をジェイドに押しつけてきた理由の半分は、それによってあの子が決意を翻さないかという期待があったからだろう。
だがそれはピオニーの皇帝として判断であって、どうやら彼自身はあの子供を気に入ったらしい。できればそのままアカデミーに置いてやりたいというのは、本音だろう。
そしてもう半分の理由は、そういう訳ありの生徒だから、一番信頼しているジェイドに預けることに決めたのだろう。
ジェイドは、アカデミーの教師になる前はマルクト軍に籍を置いていた軍人だ。錬金術師としての腕もさることながら、譜術士としてまた軍人としても優秀な人材だ。
なにかあっても、自分の生徒一人くらい余裕で守りきれる。それも決め手だったのだろう。

「できれば自分の意思で国にお帰りいただきたいですね、私としては」
「わざわざ身分を隠してでも、アカデミーに入りたいって希望してきたくらいだ。生半可な覚悟じゃないと思うけどな。それに、ありゃ見るからに頑固そうだ」
「率直に聞きますが、あなたはどうしたいんですか?」

ジェイドは苛々としながら、のらりくらりと話をかわす幼なじみを睨みつけた。

「俺か? 俺自身としては、このままあの子がお前の生徒になったらいいなーと思っているぞ。可愛いしな」
「あなたの好みは聞いていません」

ジェイドは冷たく答えながら、眼鏡のブリッジを押し上げた。

「とにかく、お前がなんと言おうとルークはお前の生徒だ。最初に言ったとおり、本人の意思でやめると言い出さない限りお前が面倒を見ろ」
「ピオニー」
「俺に皇帝の勅命を出させるな」

途端にトーンダウンした声に、ジェイドは小さく唇を噛んだ。
そんなジェイドを見つめながら、ピオニーは深いため息を一つついた。

「なあ、ジェイド。お前が他人と必要以上に関わらないのは勝手だが、たまには少しは他人と違う関係を作ってみろ。これは、お前の数少ない友人としての言葉だ」
「必要を感じません」
「本当に必要じゃないかどうか決めるのは、見極めてからでもいいだろ」

少しのあいだ、二人の間に軽い緊張が走る。そして、先に目をそらしたのはジェイドの方だった。

「……無駄だと思いますよ」

ことさらそっけない口調でジェイドはそう呟いたが、ピオニーは曖昧に笑みを返しただけでそれ以上はなにも言わなかった。





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