自鳴琴・20




「馬鹿かあいつは……」
 アッシュは小さくそう呟くと、きつく拳を握りしめた。
「もっと覚えておく必要のある記憶があっただろうに!」
「だが、それがルークがただひとつ持っていきたいと願った記憶だ」
 静かなルークの声で、ローレライが答える。
 本当に馬鹿なレプリカだ。
 なぜルークは、たったひとつだけ残すことの許された記憶に、アッシュの名前なんかを選んだのだろう。もっと他に、覚えていなければならない記憶があったはずなのに。
 だけどルークは、たったひとつの音しか刻めないオルゴールのような記憶に、アッシュの名前を詰め込んできた。
 そして、そのたったひとつの音をくり返し何度も口にして奏でていた。
「絶対に忘れたくないからだ、と言っていた」
「だからって、どうして!」
「ルークにとって、お前が特別な存在だからだろう」
 さらりと、当たり前のようにローレライが言う。
 大切で特別だから。だから忘れたくない。たったそれだけの理由で、ルークはアッシュを選んだ。他の誰でもない、アッシュを。
 そんな強い想いをむけられて、誰が平静でいられるだろうか。
「……あいつは、どこにいる?」
「私とお前の中にいる」
「俺は、何をすればいい」
「どうしてとは、聞かないのか?」
「ハッ、てめえで呼んでおいて今更だろう?」
 アッシュは苦虫を噛みつぶしたような顔で、ローレライを睨みつけた。
 屋敷の部屋で突然襲ってきた、不思議なビジョン。そして、先程見せられたルークとローレライとの契約。
 ローレライは、最初は干渉するつもりはなかったのだと言っていた。だがそんな彼が見過ごせないほど、事態が悪化していたのはたしかだ。ローレライは、ルークを救うために契約を持ちかけたのだから、ルークが損なわれるような今の事態は彼の本意ではないのだろう。
 だからローレライは降りてきたのだ、この地上に。そしてアッシュに呼びかけた。
 たしかに彼の干渉がなければ、アッシュは何も知らないままでいただろう。
 そして何もわからないままルークを失い、その喪失感に喘いでいたに違いない。

「ひとつ聞きたい」
「なんだ」
「さっきのやり取りから考えて、俺の中にあいつの記憶があるのか?」
「そうだ」
 ローレライはそっけなく答えると、それがなんだと言わんばかりの目を向けてきた。
「お前もルークの記憶を見ただろう。あれがどこから来た物なのか、考えなかったのか? まあ、あの時はお前たちはシンクロしていたからな。まさか閉じている回線を通じて、たがいに夢に干渉し合うとは予想もしなかったが……」
 今の話で、アッシュは先程から感じていた冷ややかな刃をあてられているような感覚が、錯覚ではなかったことを確信した。
 何となく突っかかる感覚がはじめからあったから、ローレライが自分に対して何か思うところがあるらしいことは予想していたが、どうやら色々と筒抜けになっていたらしい。
「それなら、どうして俺にはそれがわからなかったんだ?」
「ルークが望んだからだ。自分の記憶を封印したままお前に渡すことを。自分の記憶は、あまりに酷い物だからだそうだ」
 しかし、ルークの姿で睨みつけられるのは、正直言ってかなり堪えるものがあると同時に不快な気分にさせてくれる。
 姿を取っているだけなのか、それともルーク自身に入り込んでいるのかわからないが、独占欲を強く刺激させる相手に他人が入りこんでいるのかと思うと、やはり気分は良くない。
「気にいらない、という顔だな」
「当然だろう」
「……ふん、まあいい。では、そろそろ始めようか」
 そう言って空に向かって手を差し伸べたローレライの腕の中に、まるで空中から現れたかのようにルークが降りてくる。
 全く同じ背格好のルークをローレライはそっとセレニアの花の上におろすと、アッシュの方へ向きなおった。
「少々不本意だが、お前と契約を交わす」
「契約?」
 唐突なローレライの言葉にさすがに面食らった顔で鸚鵡返すと、本当に不本意そうな顔でローレライが頷く。
「そうだ、契約だ。わかっていると思うが、私がルークに与えた時間はもうほとんどない」
 今までの話の中でわかっていたはずなのに、いざそうあらためて言われると、奇妙なくらいに心臓が跳ねあがった。
「私がルークに与えたもう一つの可能性とは、おまえがルークを取り戻すために、私を呼びだすかもしれないという可能性だった。ルークがお前を救うために、自分の命をも諦めたのと似たような種類のな……」
 ローレライの声に、冷ややかな調子が混じる。
「だがおまえはその可能性を思いつきもしなかった。いや、しようとしなかったという方が正しいか?」
 図星を指されて、アッシュは顔をしかめた。その顔を冷たく見つめながら、ローレライはため息をついた。
「……まあ、仕方のない部分もあるがな。だから私が来た。色々と間違った方向へむきかけていたとはいえ、お前はルークを取り戻したいと思っているだろう?」
「ああ」
 これには、素直に頷くことが出来た。
 ルークを失いたくない。それは、アッシュの偽らない心からの願いだったから。
「契約の儀式によってお前から新たなレプリカを作り出し、そこに今ここにいるルークの記憶とお前の中に眠るルークの記憶を、コンタミネーションさせるこれは人の手によるレプリカ作成とは違う技だが、命の危険が全くないわけではない。それでもおまえは、この契約に応えるか?」
「当然だ」
 その答えに、迷いはなかった。
 そこで始めて、ローレライがアッシュに向かって笑いかけた。
「……おまえたちは、本当によく似ている」
「当たり前だ。こいつは俺のレプリカだからな」
 ルークの顔で笑うローレライに、なんとも居心地の悪い気分を感じさせられる。基本的には自分とおなじ顔のはずなのだが、本当に表情ひとつでずいぶんと印象が変わるものだ。
「それでは、契約のための鍵と謡を」
「謡……?」
 まさか大譜歌か、と身構えたアッシュの前でくすりとローレライが笑う。
「謡は、ルークが知っている。お前はルークと向かい合わせに座り、そして剣を二人の間に突き立てろ。後は、ただひたすら祈れ」
 言われたとおりに、うつろな表情を浮かべて花の上に座っているルークと向かい合わせに座る。焦点の合わない瞳が見あげてくるのに、ズキリと胸の奥が痛んだ。
 この手に取り戻したら、もう二度とあんな傷つけるだけの仕打ちはしない。
 だから、一刻も早くこの世界に、そして自分の側にルークを取り戻したい。
 アッシュはローレライの鍵をセレニアの花の中に突き立てると、柄を握りしめ、目を閉じた。そして祈った。
 アッシュは神の存在を信じていない。その意識は音素の意識集合体であるローレライを目の当たりにしても、変わらない。
 ただ、もし神のような存在があるのだとしたら、それはこの星の意思だと思っている。
 だから祈った。この星の意思に。そして、自分の奥にある何かに向かって。
 祈り始めてしばらくして、自分を取り巻く音素の濃度が変わったのがわかった。それは超振動を使うときに感じる、あの自分の中にある音叉を共鳴させる感覚によく似ていた。
 すると、唐突に謡がはじまった。
 歌詞のないただの音の連なりなのに、どこか懐かしくそして美しい調べ。
 目を開くと、目の前でルークが歌っていた。相変わらず瞳は焦点を欠き、表情は虚ろなままだったが、小さな声でたしかに歌っている。
 特別に優れた歌声というわけではないのに、その音はたしかにアッシュの心の奥底にある何かを揺さぶった。まるで互いのフォンスロットを共鳴させてゆくときのように、音が体の奥底に眠っていた何かを共鳴させてゆく。
 今では音素が光を放ち震えているのが、見て取れた。
 鍵を中心にして複雑な模様の魔法陣がひろがり、小さなつむじ風がその上に生まれ、セレニアの花を巻きこんで吹き上げてゆく。
 そして、その白い光の中で歌っているルークの姿が、魔法陣が輝きを増すごとに少しずつその輪郭を曖昧にしてゆくのが見える。
「案ずるな。一度すべての音素を乖離させ、新たに作り出す体の中に送りこむための段階だ……」
 アッシュの動揺を読み取ったのか、一歩離れた場所からローレライが声をかけてくる。
「そろそろだな。覚悟はいいか?」
「いちいちうるせえな……」
 不機嫌そうに顔をしかめたアッシュに、ローレライは唇の端をあげると、アッシュの方へ指を向けて空中に何か複雑な記号と図形を組み合わせた小さな魔法陣を素早く書いた。
 薄緑色のそのちいさな魔法陣が、指で弾かれてアッシュの方へ向かって飛んでくる。そしてそれが体の中に吸いこまれた途端、アッシュは崩れ落ちそうになった体をなんとか支えた。
「言い忘れていたが、少々体に負担がかかるからな」
「くそったれ……っ! わざとだな!」
 何かが、大量に体の中から流れ出してゆくのがわかった。痛みはないが、恐ろしいほどの虚脱感と怠さが体にのしかかってくる。
 それでもなんとか視線を上げてにらみつけると、ローレライがニヤリと意地の悪い笑みを浮かべるのが見えた。
「てめえっ……! これで失敗しやがったら、叩っ切る!」
「好きにするがいいさ」
 ローレライは楽しげに目を細めると、両腕を広げて手のひらを前に押し出すと、ルークと同じ謡を歌いはじめた。
 ローレライの手の先に、光が集まりはじめる。すでにルークの姿は向こう側が透けて見えるほどに薄くなっていて、ただ彼が歌う調べだけがそこに彼がいることを示している。
「集え、我が統べる音たちよ。震え、奏で、共鳴しろ──」
 光の塊がローレライの手から放たれ、宙に浮かぶ。
「天と地の狭間に在りし我が音よ、ここへ集え。そして歌え、響け、奏でろ、 命の音を──。我と同じ、汝らと同じ、その音色を!」
 宙に浮かぶ光の塊が、ローレライの声に応えるように震えながら膨れあがってゆく。
 やがてそれは正視出来ないほど激しい光を放つと、まるで爆発でもしたように一気に弾けた。
「……っ!」
 咄嗟に光から目を背けたアッシュは、光が弾ける瞬間、その中心部から何かが羽化するように生まれたのを見たような気がした。
 そして光の奔流が過ぎ去りあたりが静まると、地面に突き刺さったローレライの鍵の上の中空に、人影が浮かんでいるのが見えた。
 見慣れた白い裾の長い上着。朱赤の明るく短い髪。仰向いたその顔は薄バラ色をしていて、生意気そうに少しとがった唇も薄く色づいている。
 アッシュは重く感じる体を引きずるようにして立ちあがりながら、そっとその人影を抱き留めるように両手を伸ばした。
 そのタイミングを狙っていたように、すうっと見えない力がとけて浮いていた体がアッシュの腕の中に落ちてくる。少し軽いが、たしかな重み。そして、何よりも腕を伝わって感じられる体温が、彼が生きていることを雄弁に物語ってくれている。
 アッシュは声もなく、そのままルークを抱きしめた。
 叫びだしたいような衝動をともなった強い歓喜が、体の奥底からわき上がってくる。
 何かを沢山伝えたいのに、言葉が出てこない。名前を呼びたいのに、声が出ない。
 だから、ひたすら強くその体を抱きしめた。それしかいまのこの喜びを示す方法が、他には見つからなかった。
「契約は成った」
 凛とした、ローレライの声がその場に響く。
「これより先、この契約はそなたらの命が尽きるまで未来永劫解かれることはない。──これでお前たちはそれぞれが別々に、共に生きて歩むことが出来る」
 ルークの姿がほどけ、オレンジ色の大きな炎がそこに現れる。
「そろそろ、私の地上での時間もなくなる。さらばだ、私と存在を同じにする者たちよ。そなたらに、星の祝福があらんことを──」
 炎が揺らめき、ふわりと高みへと登る。
「ローレライっ!」
 アッシュはルークを抱きしめたまま、炎へ向かい叫んだ。
「──感謝する」
 呻くように漏らされたその一言に、ふらふらと炎が笑うように揺らめく。そして炎は光の矢へと姿を変えると、一気に夜空を貫くように天へと登っていた。
 その光の軌跡を見送り終えると、アッシュはルークを両腕で抱きあげて歩きはじめた。
 まだ目覚めない顔はどこか幼く、あどけなく見える。
 この存在があるから、自分がいるのではない。寄りそい手を握り合うことと、依存して寄りかかることは同じではない。
 この存在のために自分がいるのではなく、自分はルークと共に歩むために生きている。
 誰かのために生きることと、誰かを生きる理由にすることをはき違えてはいけない。自己の存在理由を他人にもとめることは、自分自身の存在理由を自ら否定しているのも同じ事なのだ。
 だけど、もう間違えることはない。
 失えないかけがえのない存在であるのもたしかだし、もし誰かの手で奪われることがあればおそらく全身全霊をかけて相手を殲滅することも厭わないだろう。
 強い独占欲をすてることだって、多分出来ない。
 だけど自分はもう二度と、自分の弱さを彼のせいにはしない。
「こいつの目が覚めたら、たぶん一発殴られるな……」
 それだけのことを自分はしたのだから、それはかまわない。
 だけどその後は、色々と伝えたいことも話したいこともある。
「早く目を覚ませ、ルーク」
 ようやく本当に取り戻した自分の半身。
 その口から、もう一度自分の名前を呼んで欲しかった。
 たったひとつだけ彼が記憶のオルゴールに入れて戻ってきた、自分の名前を。



END

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結局一年がかりになってしまいましたが、お付き合いくださった皆様に感謝!

でもって、やっと終わったのでいつもよりちょっと長く後書きなぞ。
当初の目的地点までたどり着きはしましたが、本人的には書き足りないところも 少しある終わりとなりました。つか、アッシュがぐるぐるしすぎて、書いている 自分もぐるぐるしていました。
連載は書いている間はあまり内容のことを書かないのですが、最後なので一応補足っぽいことを。
今回書ければいいなあと思っていたのは、ED後もどってきたアッシュがルークとの関係を始めるにあたって、相手側のいままでの積み重ねがリセットされたらどう思うんだろうってことでした。
いやまあ、性格的にふざけんな!ってなるんだと思うんですが、じつはそのうちこれでもいいかって思ってしまうん可能性もあるかもねっていうのがきっかけでした。
パーティメンバーたちはルークといい形での積み重ねが多い分、リセットされたら嘆くんだと思うんですが、いい形よりも悪い形の積み重ねが多いアッシュは、ルークとの新しい関係をはじめるときに前のことが強制リセットされていたら、ちらっとでも「よかった」と思う瞬間があるかもねって。
ひさびさに後ろ向き全開の話でしたが、これだけだと何となく寂しいので、そのうち付け足しの軽い後日をサイト用のも用意できたらいいなと思っています。
本当に、ここまで読んでくださってありがとうございました。