隣にいる時間・前




 
 いうなればそこは綺羅の空間、もう少しわかりやすく言うなら別世界だった。


「はあ〜、話には聞いていたけれど実際に見るとまた違うなあ」

 ギンジは一人取り残された客間できょろきょろと部屋の中を見回すと、その豪奢なつくりに思わずため息をもらした。
 おそらく今ここに妹のノエルがいたら、慎めと肘で横腹をつつかれていたかもしれないが、今ここにいるのは幸いにも彼一人である。ギンジは先程メイドが入淹れていった紅茶のカップを持ち上げると、その華奢な造りと見事な絵柄にまた一つ感嘆の息をついた。
 いまギンジは以前の雇い主であるアッシュの生家、バチカルのファブレ公爵家の客間にいた。
 アッシュからアルビオールでの航行の依頼が入ったのは、つい二週間ほど前のことだった。
 英雄の帰還と世界中が赤毛二人の帰還に湧いたのは、さらに二月ほど前のこと。その報を受けて当然ギンジもノエルと抱き合って喜んだが、もし会えるとしてもずっと先の話、それもたぶんこちらから行ってもなかなか会えないだろうと覚悟していた。
 そんな彼からバチカルにきて欲しいと手紙が来たので、ギンジは何も考えずに言われるままに屋敷までやってきたのだが、正直言ってここまですごいとは思ってもいなかった。
 ノエルからすごいお屋敷だったとは聞いていたが、百聞は一見にしかず。
 街の最上階にあがり、教えてもらったとおりに屋敷の前までやってきたときは、本当にここにはいって良いものかしばし本気で悩んだほどだ。
 それでも門の前に直立不動で立っている白銀の鎧の騎士に取り次ぎを頼んでみれば、あっさりと通された。しかも招き入れられた屋敷の玄関ホールでは数人のメイドたちが恭しく頭を垂れてお迎えをしてくれただけでなく、まるで賓客のような扱いで客間へと案内される。
 どうぞこちらでお待ちください、と立派なティーセットが並べられ、良い匂いの紅茶が供される。もちろん味は今まで飲んだどの紅茶よりも美味しかった。
 なんというか、すっかり忘れていたがあの二人はこのキムラスカ王国でも5本の指に入るであろう大貴族の子息たちで、しかも王族なのだった。うっかり何ヶ月も寝食を共にしていたりしたので、すっかり忘れていたけれど。
 なんていうか、何かに騙されているみたいだななどとぼんやりと考えていたギンジは、ぱたぱたと小走りにこっちにやってくる足音に気が付いて、扉の方をふり返った。

「ギンジ! ひさしぶりだな!」

 貴族の屋敷らしからぬ乱暴な音を立てて扉を開いたのは、ルークだった。相変わらずの気安い満開の笑顔にギンジも思わずつられて笑顔を返すと、そんなルークの頭を後から殴る手が見えた。

「いって──っ! なにすんだよアッシュ!」
「ノックもせずにドアを開けるなと、何度言ったらわかる。この鳥頭!」
「鶏頭のはアッシュのほ……いてっ、いててててっ!」
「いいからさっさと入れ。邪魔だ」

 ぎゅうっとルークの耳をつまんで押しのけるようにしてアッシュは部屋に入ってくると、あいかわらず不機嫌そうな顔をギンジの方へむけた。

「久しぶりだな。騒がしくして悪い」
「いえいえ〜。でも本当にお久しぶりですね、アッシュさん・ルークさん」

 目の前で突然繰り広げられた漫才のようなやり取りに一瞬呆気にとられたが、ギンジはすぐに我に返ると、ほわりと人当たりの良い笑みを浮かべた。

「本当に久しぶりだな。ノエルも元気か?」
「ええ。ルークさんに会いたがっていましたよ」
「そっか。そのうち会いたいなあ」

 えへへと照れくさそうに笑うルークに、是非そうしてやってくださいと笑いかえすと、ギンジはあらためてアッシュの方へ目をむけておやというように目を瞬いた。

「なんだ……」

 ギンジの表情の変化に敏感に気が付いたアッシュが、低い声で訊ねる。

「なんか違和感があるなあって思っていたら、アッシュさん、白い上着を着ているんですね」

 そう、部屋に彼が入ってきたときから、なんだか違和感があったのだ。
 最初は、こういう場所にきてもやっぱり見劣りしないのはすごいなあと思っているだけだったのだが、よくよく見ているうちにやっぱりなにか違うところにひっかかって首を傾げていたのだ。

「えへへ、ギンジギンジ」

 見て見てと自分の上着を見せびらかすように示すルークに、いつも白い上着を着ていたせいで気が付かなかったが、ルークの上着もアッシュと同じ形の白い上着であることに気が付く。

「お揃いですか?」
「えへへ〜」
「ったく、礼服ならいざ知らず。なんで、他の服までこいつと同じ服を着なくちゃなんねえんだ」
「いいじゃないですか。アッシュさん、白も似合いますよ」

 それは嘘ではなかった。黒い教団服姿しか基本的に知らないのでどうにも黒服のイメージが強いのだが、アッシュの赤い髪に白い上着はよく映える。
 もっとも、同じ顔をしているルークがあれだけ白が似合うのだから似合わないはずがないのだが、なんというかこう今まであまり想像できなかったのだ。

「……あれ? アッシュさん?」

 ようやく自分で納得がいって満足していたギンジは、ふと目の前のアッシュの反応がおかしいことに気が付く。

「アッシュさん? どうかしたんですか?」
「……いや、なんでもない。その、そんなことを言われると思わなかったんでな」
「あっ! アッシュ、俺がお揃いって言ったとき嫌な顔したくせに!」
「うるせえっ! てめえは黙っていろ。ところで、来てもらったばかりですまないが、すぐに発ちたいんだがかまわないか?」
「俺は別にかまいませんけれど。お二人は大丈夫なんですか?」
「ん、支度は出来ているしな。でもギンジのほうこそ平気なのか。休まなくて」

 ルークはムッとしていた顔をすぐに心配げな表情にかえると、ギンジの様子を伺うようにして訊ねてきた。

「おいらはかまいませんよ」
「決まりだな」

 アッシュはさっさとそうまとめてしまうと、メイドを呼んで自分たちの出立を告げた。にわかに慌ただしくなった邸内の空気に、やっぱり貴族の家の若様たちなんだなあとあらためて思い直したギンジは、とりあえずとばかりに出されていた茶菓子のクッキーをひとつ口に入れて紅茶で飲み下した。
 アルビオール3号専属パイロット・ギンジ、ファブレ邸滞在時間約2時間の出来事だった。



「へえ〜! やっぱり中はほとんど変わらないんだなあ」

 それが、ルークが3号機に乗りこんだ際の第一声だった。

「当たり前だろう。同型機なんだから」
「あ、でもちょ〜っとだけ違うんですよ。そのあたりはうちのお年寄りたちの拘りですから」

 へええ、と物珍しそうにきょろきょろと中を見回しているルークの頭をひとつはたくと、アッシュは恨みがましそうに自分を上目づかいに睨むルークをさっさと席に追いやった。

「なんだよ! アッシュだけ一番前に座んなよ」
「ここは俺の定席だ」
「俺も前に座る!」
「すみませんルークさん。あとは操縦席しかないんで勘弁してください」

 ギンジは眉尻をさげると、申し訳なさそうにそう言った。

「だったらアッシュも後に来いよ」
「ハッ、なんで俺がてめえに合わせなくちゃなんねえんだよ」
「ルークさん、安定飛行に入ったら補助席出しますからしばらく我慢していてください」

 こりずにぎゃいぎゃいと言い合いをはじめた赤毛二人をギンジは適当にあしらって操縦席につくと、計器のチェックをはじめた。
 その後ではようやく決着がついたのか、アッシュが一人で前の席に戻ってくる。とは言っても椅子ひとつ分離れているだけの席なので、体を少し伸ばせば前の席に手をつける。

「出します」

 シートベルトを装着したのを確認すると、ギンジは手慣れた手順でアルビオールを起動した。行き先はグランコクマ。今から飛ばせば夜の飛行に入ってしまうので、一度ケセドニアに寄ることは了承済みだ。以前のように時間に追われる飛行ならいざしらず、今のような平時には万全な飛行プランが望ましい。
 ところでギンジには、離陸体勢にはいるととりあえずそれ以外のものは頭にはいらないというクセがある。だからその声に気が付いたのは、機体を安定させて通常飛行に入ってからのことだった。






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長くなったので分割。