隣にいる時間・後
「……なんていうか、スゲエな」
「は? なにがですか、ルークさん?」
「俺、アルビオールに乗ってこんな早く空に上がったのってはじめて……」
ルークはギンジの斜め後ろの席から、小さなうめき声混じりにそう呟いた。
「ノエルがさ、ギンジは自分よりもずっと腕がいいって言っていたんだけど」
「はあ、あいつそんなこと言っていたんですか?」
ちょっと生意気なところのある、しっかりした妹。彼女が自分についてそんなことを言っていたなんて、初耳だ。
「なんかスゲエ実感した……。どうしてあの速度であがって滑らかに普通の飛行に入れるんだよ」
「と、言われましても……」
きらきらと目を輝かせながら聞いてくるルークにギンジはこりこりと頬を掻くと、眉尻をさげた。そんなことを言われても、なんとも答えようがない。
「いやスゲエよな、なっ、おまえもそうおもっ……て、ええっ?」
ギンジが言うよりも早くシートベルト外して前に来たルークは、アッシュの方をのぞいてぎょっとしたように目を丸くした。
「……アッシュが寝ている」
「はあ、寝ていますねえ」
「なんで寝られるんだ? この状況で……」
「いつもこんな感じですよ、アッシュさんは」
おっとりと答えるギンジにルークは何度か目を瞬かせると、なぜか次の瞬間こちらを睨みつけてきた。
「ずるいっ!」
「はああっ?」
「ギンジ、ちょっとこっちこい」
操縦中なんですけれどとこっそり思わないでもなかったが、あまりにルークの顔が真剣だったのと、今なら少しくらいなら席から離れても大して問題がないことがわかっているので、ギンジは素直に席を立った。
「おまえ、さっきのこと本当かよ? その、珍しくないって……」
「はあ、まあ、そうですね」
というか、ひとりでふらりとどこかに消えて戻ってくると、アッシュは大抵アルビオールの中で熟睡していた。
もちろん最初の頃はあの仏頂面で前をずっとにらみつけていたのだが、いつからか離陸を待たずに座ると同時くらいにコトンと寝てしまうこともよくあった。だからギンジにとっては離陸直後に寝てしまったアッシュの姿は別に珍しくも何ともなかったのだが、どうやらルークにとってはそうではなかったらしい。
「やっぱりずるい……! アッシュが俺の前で寝ているのなんて、見たことねえのに!」
「え? そうなんですか?」
一緒に暮らしているのに、それは意外だ。ルークはしばらくの間じっとギンジのことを睨みつけていたが、やがてへにょっと見えない犬耳を垂らしたような顔になった。
「俺、やっぱりアッシュに気を許されてないのかなあ……」
「へ?」
何を突然言い出すのかとギンジはキョトンとした顔でルークを見たが、どうやら相手が本気らしいのを見てすぐに表情を引き締めた。
「どうしてそう思うんですか?」
「だって、俺、一度もアッシュの寝ている顔見たことないんだ。それにこの服のことだって、俺がアッシュは白も似合うからお揃いで嬉しいって言ったら馬鹿にされたのに、ギンジに言われたらまんざらじゃないみたいだし……」
ぼそぼそとルークは不満をのべると、ギンジの顔を上目づかいに見てきた。
「やっぱりギンジ、ずるい……」
「いや、突然そんなこと言われてもおいらも困ります」
「でも、たぶんアッシュはギンジのことすごい信用しているんだと思う。座ったらすぐ寝ちゃうくらいは」
思っても見なかった指摘をされて、ギンジは一瞬目を丸くした。それからじわじわと実感がやってきて、思わず顔が緩むのがわかる。なんというか、気むずかしい猫が思いがけず懐いてきてくれたような嬉しさというか。
しかしそこで、自分にむけられる視線にハッと現実に引き戻される。まるで捨て犬のようにしょんぼりとした目で自分を見ているルークに、ギンジは苦笑する。まったく、不器用なところは二人ともよく似ている。
「気を許してないとか、そんなことないと思いますよ。絶対に」
「……いいよ気休めは。どうせ俺はアッシュに鬱陶しいって思われているんだから」
すっかり後ろ向きになってしまったルークに、ギンジは小さく首を振った。
「鬱陶しいって思っているなら、そもそもルークさんにちょっかいを出さないと思いますよ。そう言う人ですから」
「……でも」
「えーとですね。気を許すとか許さないとか、そういうのとはまたちょっと違うんだと思いますよ。ルークさんの前で寝ている姿を見せないって言うのは」
ギンジの言葉に、よくわからないというようにルークが首を傾げる。
「たぶんアッシュさん、ルークさんの前では常に一番良い恰好でいたいんだと思いますよ。だから寝ているところは絶対に見られたくないんじゃないですかね」
「は? なんで?」
こてんと首を傾げるルークに、つい頭を撫でてやりたくなる。まったく、他人の自分でもこうなのだから、アッシュの心情は押して知るべしである。
「あのですね、寝ている時って一番無防備でしょう? ですから、いい顔を見せたい相手には見せたくないんじゃないですか」
「ふうん?」
なんだかまだ納得しきれないような声をあげるルークに、ギンジはさてどう説明するべきかと目を泳がせた。
「でもそれってやっぱり気を許してないってことじゃ……」
「いえ、そう言うわけじゃなくてですね」
はっきり言って、ギンジも恋愛ごとは不得手な方なのだ。でもさすがにこの不器用な赤毛達よりは、もうすこしましなはずである。なにしろこのワンコ、あれだけあからさまにかまわれているのに、どうやら全くわかっていないらしい。
「つまり、……好きな子の前では良い恰好をしたいじゃないですか」
ああきっと、後でものすごく怒られる。そうわかってはいても、この凹んだ子犬っぽいルークを前にして放っておけるほど、ギンジは薄情ではない。
「へ……?」
ようやく言われた意味がわったのか、ルークは顔を真っ赤にさせると、ふるふると首を横に振った。
「そ、そんなことあるわけねえだろ」
「ああ〜、そうかもしれませんね」
わたわたと慌てる子犬に苦笑しつつまったりとした返事を返すと、どっちなんだという顔をしてきた。ギンジはそんなルークを笑顔で煙に巻きながら、そろそろ操縦に戻りませんとと誤魔化して席に戻った。
操縦桿を握り締めながら、隣の席で眠るもう一人の赤毛を横目でちらりと見やる。突然遠い人のように思ったら、いまだ好きな子にちゃんと思いを伝えられていないなんて、なんだか可愛らしく思えてくる。
きっと目的地に着いたらとても怒られるだろうけれど、ひさしぶりにあの怒鳴り声を聞くのも悪くない。
そうしたら、あらためてこの愛しい赤毛達に「おかえりなさい」と言ってあげよう。
END
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長くなったので分割。