どれくらいの間、そこに立っていただろう。
ちいさく雪を踏む音にはっと顔をあげると、こちらに誰かがやってくるのが見えた。
雪明かりの中に浮かぶその姿を、見間違えるわけがない。
自分よりも鮮やかな深紅の髪に、同じ碧の瞳。
面差しは同じはずなのに、違って見える自分の被験者。
彼はルークの姿を認めた途端、いつものように顔をしかめた。
それはかなり距離が離れているにもかかわらず、すぐにわかった。もっとも、いつだって自分の顔を見ると彼はそう言う顔をするので、見なくてもわかってはいるのだけれど。
「アッシュも、ここに来ていたんだな」
「……偶然だ。物資が足りなくなってきていたからな」
そっけなく返されるのもいつものこと。しかし、心なしかいつもよりその声色に拒絶するような響きが少ないことにルークは気がついていた。
「おまえこそ、こんな時間にここで何をしている」
「ちょっと眠れなかったから、散歩……?」
「この寒いのにか?ご苦労なこった」
はんと鼻先で笑われるが、いつものように切って捨てるような勢いはない。それになんとなく嬉しくなって、ルークは無意識のうちにほほえんでいた。
「何笑ってやがる……」
めざとくそれに気がついたアッシュが、眉間にしわを寄せる。
「気のせいか、アッシュが優しく感じる」
「……頭の湧いたこと言ってんじゃねえ!」
跳ね上がった声のトーンに、そのままいつものように背を向けていってしまうのではないかと思って、とっさに黒い服の裾をつかむ。
「なんだ…?」
しかし振り払われると思っていた手は振り払われず、静かな瞳だけが見つめ返してくる。それにルークはちいさく息をのむと、思い切ったように口を開いた。
「すこし、話さないか?」
ルークのものよりも少し濃い色合いの瞳が、じっと見返してくる。そして、呆れたようにため息が一つ落とされた。
「……まずは手を離せ。皺になる」
それが彼なりの了承の言葉なのだと理解できないほど、ルークも鈍くはなかった。
「アッシュこそ、こんな時間にどうしてここに?」
「なにかに呼ばれたような気がしたんだが、気のせいだったようだな」
ちらりとこちらを見て鼻を鳴らしたアッシュに、ルークは苦笑する。これが逆ならわかるのだが、ルークからアッシュを呼び出すことはできない。
「なあ、アッシュはクリスマスのことは知っていたのか?」
「愚問だな」
お前は知らなかったのかと目で問われ、渋々頷く。
「まあ、屋敷ではやらない祝い事だったろうからな……」
今夜は本当に珍しいこともあるものだ、とルークは心の中だけでひそかに驚く。はなから馬鹿にされるものと思っていたのに、まさかフォローまでされるとは思っていなかった。
「なんだ…?」
「……なんでもない」
慌てて勢いよく首を横に振ると、怪訝そうに顔がしかめられる。しかし、いつものようなきつい言葉は飛んでこなかった。
沈黙が落ちる。
いつもなら沈黙が合図のようにアッシュが離れてゆこうとするので必死になるのだが、なぜか今日はその沈黙が心地よかった。
寄り添っているわけでもないのに、すぐ近くにアッシュがいると思うだけで、さっきまで感じていた正体のわからない不安が消えてゆくような気がする。
ちらりと視線をあげると、アッシュの横顔が視界にはいった。
そのまっすぐな赤い髪に、ふと触れてみたくなる。
「なんだ?」
じっと見つめる視線に気づいたのか、怪訝そうな顔でアッシュがこちらを振りかえる。
「な、なんでも……」
言い争いついでに掴みかかったり、引き留めるために腕を掴んだりできるくせに、そっと触ってみたいという気持ちはなぜか言い出せない。
口ごもってしまった自分に、呆れたようなため息が落とされたのをルークは素早く感じ取った。
きっと、そのままいつものようにはっきりしない自分に罵倒が飛んでくるだろうと身構えていたルークは、突然強い力に引き寄せられて抱きしめられたことに、大きく目を瞠った。
「アホ面さらしてんじゃねえよ、屑が……」
いつもと違う、やわらかな声色。
それが、耳元で聞こえている。
何度か間近に顔を寄せ合ったことも取っ組み合いのようなことをしたこともあったが、こんなに近くでアッシュの静かな声を聞いたのは初めてだった。
「冷てえな……。テメエ、いつからここにいた」
「わかんねえ…」
その答えに、ちいさく舌打ちする音がした。
「眠れねえなんて言って、こんなところふらふらしてんじゃねえ。……大方、また余計なことでも考えてたんだろうが」
その声の響きに、どこか自分をいたわるようなものが含まれているような気がするのは、気のせいだろうか。
「アッシュ……?」
碧の瞳が間近にある。
たがいの息がわかるほど近い顔に動揺しているあいだに、するりと当たり前のように唇が重ねられる。
やわらかくて冷たい唇の感触に、一瞬何が起こったのか理解できない。
「ん…っ」
一度離れた唇が、今度は先ほどよりももっと強く重ねられてくる。まるでなにかを奪おうとするようなその激しさに目を閉じると、さらにのしかかるようにして何度も唇を吸い上げられる。
逃げようとする頭を後ろから押さえつけられ、そのはずみに帽子の中に入れていた髪がすべて落ちる。
そして、さらに深く口づけられる間に帽子も脱げて、雪の上に軽い音を立てて落ちた。
「ふっ…あっ」
口内を優しく探られ、その刺激に体から力が抜け落ちる。がくりとそのまま倒れかかったところを、アッシュの腕が支えてくれる。
ようやく最後に軽く音を立てて唇が離されると、同時に支えを失ったルークの体は雪の上にへたりこんだ。
「な…んで……?」
「……」
ようやく少し息が整うと、ルークはきつく閉じていた目を開いて、目の前に立つ己の半身ともいえる相手を見上げた。
「……自分で考えろ」
そう言いながらも、アッシュ自身も先ほどの自分の行動に疑問を感じているのか、怪訝そうに眉をひそめている。
「だが、これで余計なことは考えられなくなっただろう?」
「……うっ」
たしかに今のことを考えるだけで、余計なことを考える余裕などない。
それに、なぜか先ほどまで重くのしかかってきていた正体のわからない不安感も、綺麗に息を潜めている。
「おまえにふらふらされると、色々と面倒だ……」
ため息混じりにそう言われ、ごめんと返すと睨まれる。
「そう思うなら、もう少ししっかりしろ。そうじゃねえと、ごちゃごちゃと煩せえからな」
「煩い?」
「……てめえが垂れ流す感情や思考は、俺にも伝わるんだよ。微々たるもんだけどな。うっとうしいったらありゃしねえ」
不機嫌もあらわにそう言われ、反射的にごめんとまた謝りそうになったルークは、ふとその言葉の意味をもう一度考えてからぽつりと呟いた。
「……それって、もしかして心配してくれたってことか?」
感情や思考がわずかでも伝わるなら、先ほどまでの自分の状態も伝わっていたということで。
もしかして彼がここにあらわれたのは、自分の不安な気持ちを感じ取ってくれたからなのだろうか。
そう、期待してしまう。
アッシュはそれにはこたえず、ただ黙って視線を返しただけだった。
かすかに胸が痛んだが、多くを望んではいけないこともわかっている。
こうやって静かに同じ場所に彼がいてくれることだけでも、以前とは随分と違うのだから。
それに、自分は今まで彼の期待に完璧にこたえられことがない。
そのことを思えば、何も言えなかった。
「いつまでも、んな顔してんじゃねえ」
だんだんといつもの思考の深みにはまりはじめたルークを、うつむきがちになった視線とともに引き上げるように、無理矢理顔を上げさせられる。
同じ高さにある視線があい、瞬きをする間にまた唇が触れてくる。
やはり今日のアッシュは、いつもの彼とはかなり違う。
どうしてなのだろうと戸惑うと同時に、ほんの少しだけ甘い期待が胸をかすめる。
「……今日は、クリスマスだからな」
まるでその心を読み取ったかのような、かすかな呟きを耳が拾う。
最後にもう一度だけ羽のように軽いキスを唇の上に残して、アッシュは背を向けた。
そのまま振りかえりもせず、まっすぐ歩いてゆく。
その背を消えるまで見送ったあと、ルークはまだ彼のぬくもりの残る唇にそっと触れた。
とても幸せな気持ちと、なぜかそれと同じだけの苦しさが胸をふさぐ。
もっと触れあいたい。
もっと一緒にいたい。
そんな気持ちが次々に生まれては、泡のようにはじけてゆく。
とても大事な人なのだと、あらためて思う。
だけど、どうして同じ場所にいられなのだろう、とも。
考えても仕方がないとはわかっていても、思わずにはいられない。
それでも、この特別の夜にあたえられた幸福をルークはもう少し感じていたかった。
END(06/12/26)
私にとっての本編アシュルクは悲恋ぽい匂いなんだとよくわかりましたorz。
ちいさく雪を踏む音にはっと顔をあげると、こちらに誰かがやってくるのが見えた。
雪明かりの中に浮かぶその姿を、見間違えるわけがない。
自分よりも鮮やかな深紅の髪に、同じ碧の瞳。
面差しは同じはずなのに、違って見える自分の被験者。
彼はルークの姿を認めた途端、いつものように顔をしかめた。
それはかなり距離が離れているにもかかわらず、すぐにわかった。もっとも、いつだって自分の顔を見ると彼はそう言う顔をするので、見なくてもわかってはいるのだけれど。
「アッシュも、ここに来ていたんだな」
「……偶然だ。物資が足りなくなってきていたからな」
そっけなく返されるのもいつものこと。しかし、心なしかいつもよりその声色に拒絶するような響きが少ないことにルークは気がついていた。
「おまえこそ、こんな時間にここで何をしている」
「ちょっと眠れなかったから、散歩……?」
「この寒いのにか?ご苦労なこった」
はんと鼻先で笑われるが、いつものように切って捨てるような勢いはない。それになんとなく嬉しくなって、ルークは無意識のうちにほほえんでいた。
「何笑ってやがる……」
めざとくそれに気がついたアッシュが、眉間にしわを寄せる。
「気のせいか、アッシュが優しく感じる」
「……頭の湧いたこと言ってんじゃねえ!」
跳ね上がった声のトーンに、そのままいつものように背を向けていってしまうのではないかと思って、とっさに黒い服の裾をつかむ。
「なんだ…?」
しかし振り払われると思っていた手は振り払われず、静かな瞳だけが見つめ返してくる。それにルークはちいさく息をのむと、思い切ったように口を開いた。
「すこし、話さないか?」
ルークのものよりも少し濃い色合いの瞳が、じっと見返してくる。そして、呆れたようにため息が一つ落とされた。
「……まずは手を離せ。皺になる」
それが彼なりの了承の言葉なのだと理解できないほど、ルークも鈍くはなかった。
「アッシュこそ、こんな時間にどうしてここに?」
「なにかに呼ばれたような気がしたんだが、気のせいだったようだな」
ちらりとこちらを見て鼻を鳴らしたアッシュに、ルークは苦笑する。これが逆ならわかるのだが、ルークからアッシュを呼び出すことはできない。
「なあ、アッシュはクリスマスのことは知っていたのか?」
「愚問だな」
お前は知らなかったのかと目で問われ、渋々頷く。
「まあ、屋敷ではやらない祝い事だったろうからな……」
今夜は本当に珍しいこともあるものだ、とルークは心の中だけでひそかに驚く。はなから馬鹿にされるものと思っていたのに、まさかフォローまでされるとは思っていなかった。
「なんだ…?」
「……なんでもない」
慌てて勢いよく首を横に振ると、怪訝そうに顔がしかめられる。しかし、いつものようなきつい言葉は飛んでこなかった。
沈黙が落ちる。
いつもなら沈黙が合図のようにアッシュが離れてゆこうとするので必死になるのだが、なぜか今日はその沈黙が心地よかった。
寄り添っているわけでもないのに、すぐ近くにアッシュがいると思うだけで、さっきまで感じていた正体のわからない不安が消えてゆくような気がする。
ちらりと視線をあげると、アッシュの横顔が視界にはいった。
そのまっすぐな赤い髪に、ふと触れてみたくなる。
「なんだ?」
じっと見つめる視線に気づいたのか、怪訝そうな顔でアッシュがこちらを振りかえる。
「な、なんでも……」
言い争いついでに掴みかかったり、引き留めるために腕を掴んだりできるくせに、そっと触ってみたいという気持ちはなぜか言い出せない。
口ごもってしまった自分に、呆れたようなため息が落とされたのをルークは素早く感じ取った。
きっと、そのままいつものようにはっきりしない自分に罵倒が飛んでくるだろうと身構えていたルークは、突然強い力に引き寄せられて抱きしめられたことに、大きく目を瞠った。
「アホ面さらしてんじゃねえよ、屑が……」
いつもと違う、やわらかな声色。
それが、耳元で聞こえている。
何度か間近に顔を寄せ合ったことも取っ組み合いのようなことをしたこともあったが、こんなに近くでアッシュの静かな声を聞いたのは初めてだった。
「冷てえな……。テメエ、いつからここにいた」
「わかんねえ…」
その答えに、ちいさく舌打ちする音がした。
「眠れねえなんて言って、こんなところふらふらしてんじゃねえ。……大方、また余計なことでも考えてたんだろうが」
その声の響きに、どこか自分をいたわるようなものが含まれているような気がするのは、気のせいだろうか。
「アッシュ……?」
碧の瞳が間近にある。
たがいの息がわかるほど近い顔に動揺しているあいだに、するりと当たり前のように唇が重ねられる。
やわらかくて冷たい唇の感触に、一瞬何が起こったのか理解できない。
「ん…っ」
一度離れた唇が、今度は先ほどよりももっと強く重ねられてくる。まるでなにかを奪おうとするようなその激しさに目を閉じると、さらにのしかかるようにして何度も唇を吸い上げられる。
逃げようとする頭を後ろから押さえつけられ、そのはずみに帽子の中に入れていた髪がすべて落ちる。
そして、さらに深く口づけられる間に帽子も脱げて、雪の上に軽い音を立てて落ちた。
「ふっ…あっ」
口内を優しく探られ、その刺激に体から力が抜け落ちる。がくりとそのまま倒れかかったところを、アッシュの腕が支えてくれる。
ようやく最後に軽く音を立てて唇が離されると、同時に支えを失ったルークの体は雪の上にへたりこんだ。
「な…んで……?」
「……」
ようやく少し息が整うと、ルークはきつく閉じていた目を開いて、目の前に立つ己の半身ともいえる相手を見上げた。
「……自分で考えろ」
そう言いながらも、アッシュ自身も先ほどの自分の行動に疑問を感じているのか、怪訝そうに眉をひそめている。
「だが、これで余計なことは考えられなくなっただろう?」
「……うっ」
たしかに今のことを考えるだけで、余計なことを考える余裕などない。
それに、なぜか先ほどまで重くのしかかってきていた正体のわからない不安感も、綺麗に息を潜めている。
「おまえにふらふらされると、色々と面倒だ……」
ため息混じりにそう言われ、ごめんと返すと睨まれる。
「そう思うなら、もう少ししっかりしろ。そうじゃねえと、ごちゃごちゃと煩せえからな」
「煩い?」
「……てめえが垂れ流す感情や思考は、俺にも伝わるんだよ。微々たるもんだけどな。うっとうしいったらありゃしねえ」
不機嫌もあらわにそう言われ、反射的にごめんとまた謝りそうになったルークは、ふとその言葉の意味をもう一度考えてからぽつりと呟いた。
「……それって、もしかして心配してくれたってことか?」
感情や思考がわずかでも伝わるなら、先ほどまでの自分の状態も伝わっていたということで。
もしかして彼がここにあらわれたのは、自分の不安な気持ちを感じ取ってくれたからなのだろうか。
そう、期待してしまう。
アッシュはそれにはこたえず、ただ黙って視線を返しただけだった。
かすかに胸が痛んだが、多くを望んではいけないこともわかっている。
こうやって静かに同じ場所に彼がいてくれることだけでも、以前とは随分と違うのだから。
それに、自分は今まで彼の期待に完璧にこたえられことがない。
そのことを思えば、何も言えなかった。
「いつまでも、んな顔してんじゃねえ」
だんだんといつもの思考の深みにはまりはじめたルークを、うつむきがちになった視線とともに引き上げるように、無理矢理顔を上げさせられる。
同じ高さにある視線があい、瞬きをする間にまた唇が触れてくる。
やはり今日のアッシュは、いつもの彼とはかなり違う。
どうしてなのだろうと戸惑うと同時に、ほんの少しだけ甘い期待が胸をかすめる。
「……今日は、クリスマスだからな」
まるでその心を読み取ったかのような、かすかな呟きを耳が拾う。
最後にもう一度だけ羽のように軽いキスを唇の上に残して、アッシュは背を向けた。
そのまま振りかえりもせず、まっすぐ歩いてゆく。
その背を消えるまで見送ったあと、ルークはまだ彼のぬくもりの残る唇にそっと触れた。
とても幸せな気持ちと、なぜかそれと同じだけの苦しさが胸をふさぐ。
もっと触れあいたい。
もっと一緒にいたい。
そんな気持ちが次々に生まれては、泡のようにはじけてゆく。
とても大事な人なのだと、あらためて思う。
だけど、どうして同じ場所にいられなのだろう、とも。
考えても仕方がないとはわかっていても、思わずにはいられない。
それでも、この特別の夜にあたえられた幸福をルークはもう少し感じていたかった。
END(06/12/26)
私にとっての本編アシュルクは悲恋ぽい匂いなんだとよくわかりましたorz。