雪を踏む音にはっと顔を上げると、こちらに気がついた人影が小走りにやってくるのが見えた。
 遠目にも間違えるはずのないその姿に驚いたまま目を瞠っていると、彼はルークの前にやってきて軽く顔をしかめて見せた。
「ガイ…?」
「こらっ!こんな薄着で出かける馬鹿があるか」
 たしなめる言葉とともに、ふわりと大きなマントが肩からかけられる。
「なんでここに?」
「窓からお前が出て行くのが見えたんだよ。ったく、見ている方が寒くなるような薄着でこんな真夜中に出かけるなよな」
 ガイは小さくため息をもらすと、ルークの体に巻き付けるようにしてマントの前をあわせた。
「う…ごめん」
 羽織らされたマントの温かさに、今更のように体が冷え切っていたことに気づく。おもわずぶるりとちいさく体を震わせると、それに気づいたガイがルークの手を取って顔をしかめた。
「冷え切ってるな。さっさと帰るぞ」
 離れてゆくぬくもり。それが残念だとおもうよりも前に、無意識にルークはガイの手をつかんでいた。
 突然のことに、淡い外灯の光のしたでいつもよりも青みをまして見える瞳が大きく見開かれる。
 その瞳を見上げながら、ルークは自分の口が上手くまわらないことに気がついた。
 言いたいことがあるのに、言葉がはっせられる前に喉の奥で泡のように消えてしまう。
 そのもどかしさに必死にガイの顔を見上げると、驚きを見せていた瞳がくすりとちいさく笑うように揺れた。
「そういや、お前と二人きりになるのは久しぶりだな。……ちょっとだけ、付き合ってくれるか?」
 やわらかな微笑みが、薄い唇にきざまれる。
 それに頷きかえしながら、ルークはそっと目を伏せる。
 いつだって優しさを先回りされる。
 それが嬉しくもあり、すこしだけ苦しくもあった。



「よく、ここがわかったな」
 おもわずぽつりと呟かれた問いに、ガイは笑みを浮かべながらさらりと答えた。
「なんとなく、おまえが呼んでる気がしたからな」
「……あいかわらず、真顔でよくそんなこと言えるよな」
 かすかに顔を赤らめたルークに、ますますガイの笑みが深くなる。
 本当に、こういうことを真顔で言ってしまえるところがガイの長所であり、また彼自身にとっては墓穴を掘る原因ともなるところだ。
 それでも、自分にむけられるそれらの言葉が誰にむけられる言葉よりも心がこめられていることを知っているから、悪い気はしない。面映ゆくなることはあっても……。
「そういや、おまえって昔から俺がどこに隠れていてもかならず見つけだしたよな」
「ん…?まあな。あれも、おまえが俺のこといつでも呼んでたからわかったんだぜ」
「はあ?」
 いきなりなにを言い出すのか、とおもわず間抜けな声をあげてしまう。それにガイは小さな笑い声をあげると、足をとめてルークの顔をのぞき込んできた。
「……それで。また何を考え込んでたんだ?おまえは」
 のぞき込んできた瞳の青が、見透かすような色をみせる。完全に不意を突かれた形になったルークは言葉に詰まると、不満げに唇を小さく唇をとがらせた。
「この俺に隠し事が通用すると思うなよ。ただでさえ、おまえは隠し事が下手なんだからな」
「悪かったな」
 むすっと不機嫌そうに唇を曲げると、憎たらしくなるほどさわやかな笑みが返された。
「で…?」
 どうやらこれで誤魔化されてはくれない様子のガイに、ルークはため息を一つもらした。
 自分を人一倍甘やかしてくれていると自他共に認める彼だが、こういうときは絶対に許してくれないのは、長いつきあいで嫌になるほどよくわかってもいた。
「ホント、なんでもねえよ……」
「そんな顔して、そういうこと言われてもなあ」
 ガイは顎のあたりに手をやって唸る真似をしながら、ちらりと横目でルークを見やった。
「そんな顔って、どんな顔だよ」
「泣き出す一秒前って顔かな」
 からかうような声でそういうと、ガイはルークの鼻先まで顔を寄せてきた。
 やわらかな白に染まるたがいの息が、間近にわかる。
「……目が覚めたら、わけもなく不安になったんだ」
 すこしの沈黙の後にぽつりとルークがそうもらすと、ガイはゆっくりと瞬きをした。
「すごく幸せな気持ちで寝たはずなのに、寝て起きたらすごく不安になって……。一人で部屋にいるのが嫌になって。それで……」
 この気持ちを、どう伝えたらいいのだろうか。
 言葉にすればするほど、いま自分が感じている気持ちからかけ離れていってしまうような気がする。
 そのもどかしさが焦りになって、口ごもってしまう。
 いつだって自分は言葉が足りなくて、思っていることをきちんと相手に伝えることができない。そのことに、以前の自分はすぐに癇癪を起こして、さらに相手の心を遠ざけていた。
 いまはそうやって人の心が遠ざかってゆくことが、何よりも怖い。だから必死に言葉を紡ごうとするのに、どうしても上手くいかない。
 だから、とか、でも、と繰り返すルークの言葉を制するように、ガイの大きな手がルークの頭を帽子ごしに軽くたたく。
 その手にそって視線をあげてゆくと、優しく笑う瞳と視線が合う。
 なにもかもわかっている、というように。
「……馬鹿だな。だったら、俺のところにくればよかったのに」
「ホントは、一番最初にそう思った……」
 正直にそう白状すると、もう一度ガイは、馬鹿だなと小さく呟いた。
 ずっと昔から何度も見てきた、いつでも自分を安心させてくれる優しい笑み。
「でも、おまえの顔見たらなんか落ち着いた」
 最初からおまえのところに行けば良かったのかもな、とルークは続けると、小さな笑みを浮かべた。
 そんなルークの顔を見て、ガイは一瞬だけ痛いような表情を浮かべたが、すぐにそれを消すと苦笑しながら小さく肩をすくめた。
「いったいどこで、うちの坊ちゃんはそんな殺し文句を覚えてくるんだか……」
「はあ…?」
「別に。ま、安定剤代わりになるんならそれでもいいけどな」
 ひょい、とルークの帽子をとると、ガイはやわらかな手つきでルークの前髪を撫でた。
「この帽子、何のかの言ってたけど気に入ったみたいだな」
「べっ、別にそんなんじゃねえよ」
「でも、こうやっておまえに触るのにはちょっと邪魔だな」
 ガイはそのまま自分の頭に帽子をのせると、軽く片目を瞑って見せた。
 直接触れてくる大きなガイの手に、先ほどまで感じていたわけのわからない不安が消えてゆくのがわかる。
 いつだってこの手とまなざしが安心を運んでくれるのを知っているから、つい甘えてしまう。
 それではいけないのだとわかっているのに、この手のもたらす甘い優しさから離れられない。
 それでも、なんとかさりげなくその手の下から逃げようとしたルークは、いつの間にかしっかりと包み込むように抱きしめられていることに、いまさらのように気づく。
「が、ガイ……?」
「ったく、聞き分け良くなったのはいいことかも知れないけれど。すこしは前みたいに頼れよな」
 ぎゅっ、と心地の良い強さで抱きしめられる。
「どうせ、わけのわかんない不安なんかで頼れないとか、つまらないこと考えたんだろ?でもな、誰だって自分じゃ説明できない不安を覚えることがあるんだぜ。それは、我が儘なんかじゃないんだからな……」
 ま、俺としてはもうちょっと我が儘言ってくれてもいいんだけどな。
 そんなことをさらりと口にしながら、ガイは腕の力を少し緩めて自分の腕の中で顔を真っ赤にさせているルークの顔をのぞき込んだ。
「だから、いつだって呼んでくれてかまわないんだぜ。今夜みたいに」
「……ちがうって言ってんだろーが」
「そうムキになるなよ。今夜はクリスマスだぜ。そういう不思議があってもかわまないだろ」
「なんで、クリスマスだと不思議じゃないんだよ」
 じろりと上目づかいに睨みつけてきた碧の瞳に、楽しげにガイが笑う。
「クリスマスの夜ってのは、奇跡が起こるものって決まってるんだよ。それに、今夜は大切な人と過ごす夜でもあるんだぜ。家族でも、恋人でもな……」
 恋人という言葉を、ガイは探るような目つきでルークを見つめてから続けた。
「だから、大切なご主人様と過ごせて俺は幸せ者だけどね」
 ぱちりと瞬きをする間に、すいっと顔がよせられる。
「ん……っ」
 なにを、と問う前に唇が重ねられる。
 冷えきった唇に温かな唇が重ねられ、やわらかく吸いあげられる。
 その柔らかな感触に思わず唇を開くと、するりと当然のように熱い舌が入りこんできた。
「ふっ…あっ…」
 最初のやわらかな感触が嘘のように、激しく口内を探られる。
 思わずすがるようにガイの服をつかむと、その手の上からガイの手が重ねられる。
 舌が絡み合い、指が絡み合う。
 二つの場所から伝わる温度の違いが、体の中に不思議なざわめきを起こす。
 酩酊するような感覚に、そのまま体の力が抜ける。そのまま倒れ込みそうになった体をしっかりとしたガイの腕がささえる。
 最後に名残を惜しむように上唇に軽く舌が触れると、キスから解放される。
 それを心のどこかで残念に思いながら、ルークはほうと小さく吐息をついた。
 なぜ、と問いかけてはいけない気がしていた。
 キスをされるのは初めてではないけれど、唇へのキスは初めてで。
 それが特別なことなのだということはさすがにわかってはいたけれど、その理由を問いかけてはいけないのだとわかっていた。



 どれくらいそうやっていたのだろうか。
 ルークが小さくくしゃみをしたのきっかけに、二人を包みこんでいた曖昧な空気が破れる。
「っと、そろそろ戻るか」
 ルークの羽織るマントの前をかき合わせながら手を離したガイは、すっかりいつもの彼に戻っていた。
「風邪ひいて寝込んだりしたら、旦那に変な薬飲まされるぜ。きっと」
「げっ…!」
 途端に顔をしかめたルークに、おかしそうにガイが声を立てて笑った。
「そうだ、これしとけよ」
 ガイはふと思い出したように自分の手袋を外すと、ルークの方へ差しだした。
「いらねえよ。だいたいお前はどうすんだよ」
「これくらいどうってことないさ。それよりお前の手の方が冷え切ってるだろ」
 当たり前のようにそういうガイに、ルークはむっとした顔でそれを押しつけ返そうとしてから、何を思ったのか片方の手袋だけをガイに押しつけた。
「ルーク?」
 怪訝そうな顔をするガイの前でルークは右手に手袋をはめると、受け取ろうとしないガイにさらに手袋を押しつけた。
「こっちは、おまえがしろよ」
「……なんで?」
「あーもう、だから!」
 耳の裏まで真っ赤にしながらルークはいらだたしげな声をあげると、手袋をしていない左手でガイの手をつかんだ。
「こうすれば、二人ともあったかいだろ?」
 ヤケになったように早口でそういうと、ルークはぷいっと顔をそらせた。
 一瞬、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしていたガイは、おもわずにやけそうになる顔をとめることができなかった。
 それをめざとく見つけたルークが、横目で睨みつけてくる。
 そのままガイの手も振り払おうとしたルークの手を逆にこちらからつかむと、指を絡めた。
「たしかに、この方が温かいな」
 顔を髪と同じように真っ赤にさせたまま小さく唇をとがらせているルークに苦笑しながら、ガイは自分の頭にのせていた帽子をルークの頭にかぶせなおした。
 そうすると、真っ赤に染まった顔が少しは隠れる。
 ルークは珍しくその意図を敏感に察したようだったが、何も言い返してこなかった。
「今夜は寒いから、一緒に寝てくれるよな?」
 ルークの手を引いて歩きだしながら、問いかける。
「調子にのるなっつーの」
「ダメなのか?」
 わざとらしい口調で下手にでると、上目づかいに睨まれる。
「……仕方ねえな」
「サンキュ」
 くすくすと小さく笑いかえしてくるガイに、ルークはむっとした顔のままつなげた手を強く握りかえした。
 それにこたえるように、ガイの手もルークの手を握りかえしてくる。
 その温かさに、ほんのりと胸の奥に温かいものが生まれる。
 

 そうやって手をつなぎながら、冷たい雪の夜の中を二人で歩いてゆく。
 やわらかな幸せのぬくもりをかみしめながら、特別の夜のこの幸せの道のりが永遠に続けばいいのにと。
 そう思った。



 END(2007/01/09)



ベタネタは標準装備です……。

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