花は想う




その日もユーリが外出先から部屋に戻ってくると、それはドアの取っ手に存在を主張するように挟まれていた。
下町の少々古ぼけた宿屋のドアには不似合いな、可憐な白い花。その茎には細いリボンが巻かれていて、それが決して悪戯で挟まれているのではないとわかる。
ユーリは小さく息を吐くと、取っ手から花を抜き取ってドアを開いた。
必要最低限の物しか置いていないユーリの部屋は、生活感はあるもののやや殺風景なのはいなめない。だがここ最近は、テーブルの上に置かれたミルクの瓶に挿された花たちがその雰囲気をがらりと変えていた。
昨日置かれていた花は赤い花。まだみずみずしいその花の横に今日置かれていた花を挿すと、ユーリは解いたリボンに書かれた文字を見て小さく肩をすくめる。
まったく、どうしてこんなところまでマメなのか。そこには一言「愛しています」の文字。その送り主が誰なのかなんて、愚問だ。



つい一月前、ユーリは長年の親友からいきなり愛の告白を受けることとなった。
当然驚いたし動揺もしたが、きちんと考えて欲しいなどと面と向かって言われてしまっては、ユーリに逃げ道はなかった。
フレンのことは無二の親友だと思っているし、ユーリだってそういう意味でないなら彼のことが大好きだ。もちろん、フレンがいう「好き」の意味がわからないほど子供でもない。だが、だからと言ってそれを素直に受け止めるには、やはり色々と葛藤がある。
そもそも今のユーリには、男からの求愛をうけるかどうかは別としても、恋愛とかそういう類のものに向く頭がない。年頃の青年らしく女性に興味がないわけではないが、積極的に恋愛ごとに向かおうとか恋人が欲しいとかいまはまったく思っていないのだ。そんなところに告白、それも同性の友人から熱烈な告白をされても、戸惑うばかりだった。
もちろんこれがフレン以外の相手が告白してきたのなら、速攻拳と共にお断りだっただろう。厄介なことにこの親友の性格を知り尽くしているユーリは、彼が冗談でも何でもなく本当に自分に恋情を向けてきているのが、理解できてしまっていた。

「ったく……なに考えてやがるんだ、あいつは」

最初の半月はまったく音沙汰がなかったくせに、先日ここに不法侵入してからあと、毎日のようにこうやって花が届けられる。それも、ユーリの不在を狙ってだ。
一度どうやって届けてくるのか見届けてやろうと部屋で待ちかまえていたことがあったが、短い買い物に出た隙にやはり今日みたいに花がドアに挟まれていた。もちろんすぐにあたりを探したが、目立つはずのあの金色の髪もぴかぴかの白い鎧もあたりには見あたらなかった。
それとなく町の連中に聞いても、フレンを見かけていないという。もしかしたら人に頼んでいるのかもしれないが、それにしても見事にユーリに現場を押さえさせないのは見事としか言いようがない。

「そろそろ言いにいかねえとだめか」

すり寄ってくるラピードの頭を撫でながら、ユーリは花にかけられていたリボンを握りしめた。どうせ数日のことだろうと放置していたが、きっかり2週間続いたところを見ると、このまま黙っていたらきっといつまでも続く。子供の頃から几帳面だったフレンのことだ、間違いない。
そうと決めたら話は早い。ユーリは一度置いた剣を取ると、ドアに向かった。ついてこようとするラピードの鼻先を撫でてとめると、一人で外に出る。
向かう先は決まっていた。この街の中心にそびえ立つ、ザーフィアス城だった。



見あげた窓の明かりが灯っているのを確認して、ユーリは身軽にその窓まで届く木に登った。
小隊長の頃から使っていた部屋をいまだに使っている頑固者は、はたして部屋の中にいた。窓ガラスを軽く叩いて合図をすると、鋭い瞳が一瞬こちらを向いたがすぐにユーリの姿を認めて驚きの形に変わる。
まったく、そういう顔をしているときは親友の自分が見てもほれぼれするくらい格好いいのに、あっという間に子供の頃と同じ顔に戻ってしまうのがいただけない。

「ユーリ! 君はまた、そんなとこから……」

慌てて窓を開いてフレンは手を差し伸べてきたが、ユーリはそれを無視して部屋の中に降り立った。そして何気なく部屋の中を見まわして、いつもと様子が違うことに軽く目を見開いた。

「部屋、変わるのか?」
「ああ、うん。僕はこのままここでかまわないと言ったんだけれど、ヨーデル殿下とエステリーゼ様がね。代理とはいえ騎士団長を勤めているのだから、もうすこし広い部屋に移るべきだって」
「エステルの言うとおりだな。ボスは偉そうにしている方が下も落ち着く」
「僕としてはここでも十分広いんだけどね」

苦笑しながら肩をすくめるフレンにユーリは唇の端をすこしあげると、遠慮なくベッドに腰をおろした。

「貧乏性だな」
「そりゃ下町生まれだからね。僕にとってはユーリと暮らしていた頃の部屋の広さがあれば十分だよ」
「バカかお前。ありゃ狭すぎるだろ」

かつて彼と暮らしていた時あの小さな部屋を思い出して、ユーリは苦笑する。まだ二人とも少年だったとはいえ、部屋は小さなダイニングの他にひとつしかなく、大きめのベッドに二人して寝ていた。
それでもあの頃の自分たちにとっては十分な広さだったけれど、騎士団のトップに登り詰めようとしている男が十分と言える広さではない。

「でもあの広さの方が、僕には楽しかったよ。家のどこにいてもユーリの気配が感じられたから」
「隠しごとも出来なかったけどな」
「それは言えてる。でも、それでも凄く楽しかったよ」

小さな声をあげて笑ったフレンにつられて笑いかけて、ふとユーリはここにきた本当の目的を思い出して慌てて笑みを引っ込めた。

「それよりおまえ、アレ、どういうつもりだ」
「なにがだい?」
「すっ惚けんな。毎日毎日花なんか贈ってきやがって」
「綺麗だろう? 毎日部屋に飾ってもらっている花の中から選んで届けているんだよ」
「そういう問題じゃねえ」

どうりで、下町ではなかなか見かけないような小綺麗な花ばかりだったはずだ。だが問題はそんなことではない。

「女でもねえのに、花なんかもらって喜ぶわけねえだろ。気持ちわりいな」
「気持ち悪いはひどいよ。せっかくメッセージもつけているのに」
「余計悪い」

本気で嫌そうに顔をしかめるユーリに、フレンは不満そうな顔になる。

「そこまで嫌がらなくてもいいじゃないか」
「とにかく、もうやめろよ。意味ねえし」
「嫌だよ。やめない」
「フレン」

途端に子供の頃のような頑固な表情になった親友に、ユーリは呆れた声で名を呼んだ。そしてさらに言葉を続けようとして、思いがけないほど真剣な瞳にかちあい言葉をのみこんだ。

「やめないよ。だって言っただろう? これからもちゃんと、僕の気持ちを伝えていくって。本当ならありとあらゆるものを贈ってあげたいと思っているけど、君がそういうものを受け取らないのはわかっているから、だから花を一つだけ贈っているんだよ。言葉をそえてね」

追い詰めてくるその青の瞳に、知らず気圧される。でもそれを上から見下ろされているからだと無理矢理自分を納得させると、ユーリはあらためてフレンの顔を睨みつけた。

「いらねえって、言ってるだろ」
「君は、なにかを贈るのも許してくれないのかい?」

真剣な瞳とともに、距離が詰められる。思わず後にのけぞって距離を広げようとするのを、肩に手を置かれて押しとどめられる。

「本当なら、今すぐにでも君を僕のものにしてしまいたいと思っているよ。僕は。だけどそれは間違った方法だ。だから出来ることだけをしようと思っている。それがいけない?」
「フレン……」

ぞっとするほど真剣な瞳に捕らえられて、視線を反らすことも出来ない。

「大好きだから、君に思いを伝えたい。だから花を贈った。毎日贈っても君が怒らないのは、そういった物だけだからね。だけど君は、それもゆるしてくれないって言うのかい? それは、ちょっと意地悪すぎる」

ふわりとやわらかな香りがしたと思ったら、思いきり抱きしめられていた。頬のあたりをやわらかな金色の髪がくすぐる。

「好きだよ、ユーリ」

すでに何度も言われた言葉。だけどその声にこもっている感情がいつもよりも重く濃密なことは、嫌でもわかった。

「ユーリ」
「……わかった」

ため息混じりに呟いた言葉に、そろそろとフレンの瞳がこちらにむく。その仕草も表情も子犬が主人の機嫌をうかがうときの様子に似ていて、つい苦笑が浮かぶ。
ユーリは、どうしてか子供の頃からフレンのこういう顔に弱かった。どんなに酷い喧嘩をしていても、フレンがそういう顔をして謝ってくるとそれ以上怒ることが出来なかった。
そして、たぶん今もそれは変わっていない。

「もう勝手にしろ。俺はしらねえ……」
「ユーリ」

パッと、フレンの顔が輝く。その子供のような表情に苦笑しながら、ユーリは自分に抱きついたままのフレンの身体を軽く押しやった。

「お前が勝手に贈ってくるんだから、おれがどうしようが勝手だな?」
「もちろんだよ」
「だったら花ばっかり贈ってくんな。始末に困る」
「じゃあ時々はお菓子も贈ろうか? 君の好きそうな」
「……それなら受け取ってやっても良い」

菓子という単語におもわず反応したユーリに、楽しそうにフレンが笑う。

「本当だね。じゃあこれからも毎日なにか贈っても、もう怒らないね?」
「ああ」

子供のように何度でも約束を求めてくるフレンに、苦笑いを滲ませながらユーリが頷く。それにようやくフレンの顔に晴れやかな笑みが浮かんだ。

「よかった。これでおまじないが続けられるよ」
「……は?」

いま、なんて言った?
思わずフレンの顔を穴が空くほど凝視すると、ニコニコと眩しいほどの王子様スマイルが向けられる。

「エステリーゼ様がすすめてくれた本に、思いが通じるためのおまじないというか儀式があってね。それが、100日間毎日欠かさず相手に贈り物を贈り続けるっていうものなんだ」
「はあ…?」
「よかった。せっかくはじめたばかりなのに、これじゃあ無駄になってしまうところだったよ」
「……おい!」

思わずユーリが焦った声をあげるが、それにもフレンは笑顔を返す。

「いいって言ったよね? ユーリ」
「……きたねえ」
「でも、そんなこと抜きにしても、君に何かを贈りたいって思っているのは本当だよ」

フレンはユーリの髪を一房持ち上げると、そっとキスをした。

「と、いうわけだから、これからもよろしくね」

その次の瞬間、ユーリの左拳が思いきりフレンの鳩尾にくり出されたのは、言うまでもなかった。


* * *


一瞬気を失っていたのか、目が覚めたときにはすでにユーリの姿は部屋の中になかった。開け放した窓でカーテンが夜風に揺れている。
フレンはまだ痛みの余韻がある鳩尾を軽くさすりながら立ちあがると、窓を閉めた。そして先程ユーリの髪をすくい上げた自分の指にそっと口づけると、窓にもたれかかった。

「好きだよ、か……」

フレンはかすかに自虐的な笑みを唇の端に浮かべると、窓にもたれかかったまま目を閉じた。
そして、ガラスが伝えてくる冷たさで冷え切ってしまうまで、ずっとそうしていた。


END(08/10/31)


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