思い出との再会・前編




物心ついた頃には、すでに親はいなかった。
だけど、その頃にはすでにユーリの傍らにはフレンがいたから、ユーリは子供のころから寂しい思いはしたことがなかった。
フレンも同じように親がなく、たぶん互いに始めて記憶している一番近くにいる相手は、お互いだろう。
帝都の下町では孤児は珍しくなく、そのほとんどが生まれてすぐに捨てられたか幼くして親に死に別れたかだ。
捨てられた子供なら、まれに親兄弟に再会できることもあるが、親に死に別れた子供はほぼ天涯孤独となる。だからフレンもユーリも、お互いを本当の家族のように思っている。
だから彼との出会いは、二人にとってそれこそ青天の霹靂のようなものだった。



帝都では日に一度か二度、騎士団の巡回がある。
だが下町までわざわざ降りてくる騎士は少なく、もし回ってきたとしても市民街に近い大広場のあたりまでしかやってこないのが普通だ。
まれにきちんと巡回コースを回ってゆく者もいないわけではないが、そういう者は大抵下町の出身であるかもし違っても市民街の生まれの者達ばかりだ。
だからその日、彼が市民街へと続く坂道から降りてきたとき、下町の住人たちはそろって驚きに目を瞠ることとなった。
坂の上から現れたのは、すらりとした細身の一人の青年だった。
長い銀色の髪は緩い癖があるのか、ふわふわと空気を含んで風に揺れている。顔立ちは一瞬女性と見まごうほど華やかなもので、肌はまるで雪のように白い。だが脆弱な印象はなく、どこかピンと糸が張り詰めたような緊張感が感じられた。
まっすぐと前を見つめる切れ長の瞳は赤く、銀の長い髪と対照的でさらに印象的な容姿を際だてている。
そして、身を包む騎士服は瞳と同じ赤。その若さで小隊長の制服を身にまとっているということは、理由は二つだ。よほど優秀であるか、それとも相当の家柄の出であるか。
その優雅な身のこなしやどこか近寄りがたい高貴そうな雰囲気だけを見れば、どこかの貴族の若君だろうかと誰もが思っただろう。だが、思わずその容姿に見とれてからふとその頭上に目をやった者達は、誰もがすぐにその考えを否定した。
やわらかそうな銀色の髪にまぎれるようにしてある、銀白色の長いうさぎの耳。それが彼の出自を、雄弁に物語っていた。
貴族に、亜人はいない。だがそのゆったりとした雰囲気などから、おそらく市民層でも相当裕福な家の出なのだろうと推測される。
彼は珍しそうに辺りを見回すと、ゆっくりとした足取りで巡回コースの方へ足を向けた。
まるで夢の中の騎士のようなその姿に、誰もがふり返らずにはいられない。だがもともと見られることに慣れているのか、それとももとから他人の視線そのものを気にしないたちなのか、彼はまといつくような通行人たちの視線などまるで気にもとめずに、あまりに不似合いな街の中を歩きはじめた。



「ユーリ! いま聞いたんだけど、すごく格好いい騎士さまが下町の巡回にきているらしいよ」

どうやら全速力で走ってきたらしいフレンは、頬をピンク色に染めながら興奮気味にまくしたてた。

「へえ? 珍しいなこっちまで降りてくるなんて」

いきなり勢い込んで飛びこんできた親友にユーリは驚いて目を丸くしながら、その話を聞いて好奇心に目を輝かせた。

「それにね、どうやら僕らと同じ兎耳族らしいんだよ。その騎士さま」
「それ、本当か?」

ぴくりと、ユーリの黒い耳が動く。フレンは頷きながらユーリの手を握ると、強く引いた。

「ね、だから見に行こうよ。ここからなら巡回コースもすぐだし」
「そうだな」

ユーリも大きく頷くと、フレンの手を握りかえしながら走り出したフレンの後を追って走り出した。
彼ら二人の将来の夢は、騎士になることだった。
騎士団に入隊するには実力だけが物をいうので、下町の出身であっても入隊することは可能だ。だから二人は入隊資格が得られる年になったらすぐに入隊して、そしてその中からこの世の中を変えてゆくことを目指している。
もちろん下町で暮らしている間に、騎士たちの中にも横暴な者達がいることはこの目で知っている。だが騎士になることを夢見る彼らにとって、やはり騎士は憧れの対象だった。
路地裏を抜けて騎士団の巡回コースへとでると、すでに噂を聞きつけたらしい人達がちらほらと集まって来はじめている。
なんのかの言いつつも、下町の人々は物見高い。二人は通りに出ると、通りがよく見える場所へと移動した。やがて、角を曲がってこちらに向かってくる赤い人影が見える。遠目にもはっきりとわかるほど整った容姿がうかがえ、思わず周りの人々からため息が漏れる。二人も例に漏れず、こちらに向かってくる美貌の騎士を目を丸くして見つめていた。
フレンが言っていたとおり、彼の頭の上にはフレンと同じような真っ白な長い耳がある。それがなんだか嬉しくて、思わずユーリは身を乗り出して騎士の方をもっと見ようとした。それに気付いたフレンが、慌ててユーリの服の裾を引く。 ユーリは自分の邪魔をするフレンをムッとした顔でふり返ったが、不意に強い視線を感じてふり向くと、キョトンと目を丸くした。あの騎士が、こちらを見ている。

「ゆ、ユーリ」

ぎゅっと腕を掴んでくるフレンに小さく顔をしかめながら、ユーリはまっすぐ自分に向かって歩いてくる騎士を見つめていた。戸惑うように、人々がユーリたちの周囲から引いてゆく。それでもユーリは小さな足をその場に踏みしめたまま、じっと騎士を見つめていた。
すぐ目の前までやってきた騎士は、真上を見ないといけないほどに背が高かった。そんなユーリに気がついたのか、青年は不意に腰を落とすと、ユーリの視線の高さまで視線をさげてきた。目の前にきた青年の瞳はまるでイチゴのように真っ赤で、舐めたら甘そうな感じがした。

「ユーリ……?」

不意に青年がユーリの名を呼んだ。
突然のことに、思わずユーリはきょとんと目を丸くした。
なぜこの騎士は自分の名前を知っているのだろう。会ったのはこれが初めてだし、名乗った覚えもない。
フレンがユーリの腕を引く。そのままたぶん後に庇おうとしているのだろうとわかったが、それよりもはやく青年の腕が伸びてきていきなりユーリを抱きしめた。

「なっ、ちょっ……!」
「やはり、そうなのだな」

驚いて暴れるが、青年の腕はびくともしない。それどころかますます強く抱きしめてくる。抱きしめられた瞬間はうっかり良い匂いなんかして思わずうっとりしかけたが、それよりも抱きしめてくる腕の強さに閉口する。

「……ちょ、ちょっと、なんだよおまえっ! 痛いっつーの!」

思わずたまりかねて叫ぶと、驚いたように見開かれた赤い瞳がまっすぐとユーリを見下ろしてくる。ようやく緩んだ腕の力にその手から逃げ出そうとするが、それは簡単に阻まれてしまう。
今度は優しく抱きしめなおされ、余計になにがなんだかわからなくなる。当のユーリでさえそうなのだから、傍らにいるフレンはもちろん周りの人々もぽかんとした顔で二人を見ている。

「ユーリ、会いたかった」
「ちょっと待てよ、誰だよおまえ? つーか、なんで俺の名を知ってるんだよ」

それでもなんとか青年の腕の中から逃げようと必死に暴れるユーリに、青年はなぜかひどく寂しそうな目でユーリの顔をのぞき込んできた。

「……覚えていないのか?」
「な、なにがだよ……」
「無理もないか。まだ一歳にもなっていなかったからな」

じっと憂いを秘めた瞳で見下ろされて、ユーリは戸惑いを露わにする。いったいこの青年は、なんの話をしているのだろう。

「あんた、誰なんだよ」

ユーリは何度目かになる問いをもう一度口にすると、じっと警戒するように耳を伏せたまま青年の顔を見あげた。そんなユーリを見て、ようやく青年が苦笑にも似た笑みを浮かべる。思わぬ不意打ちにユーリが固まっていると、さらにそれに追い打ちをかけるような事をその青年は口にした。

「私はお前の兄だ。ずっとおまえを探していた、ユーリ」

その瞬間、世界がひっくり返ったような気がした。


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うさ耳増殖。