カノン・17




『やはり、来たか……』
 ゆらゆらと陽炎のように揺れる光の塊は、まるで人が溜め息をつくように淡く明滅するとそう呟いた。

「用件はわかっているな?それで、どうすればいい」
 何の前置きもなく切り出したアッシュにルークは驚きの目をむけたが、光は苦笑するように揺れただけだった。
『あの方法では限界がある、と先に告げておいたはずだ』
「うるせえ。ご託はどうでもいいから、さっさとどうすればいいのか言え」
 苛立ちを隠そうともしないその声に、少しの間をおいて光がルークの方をふりかえったのが気配でわかった。
『ルーク』
「あ、はい」
 思わず緊張した声を出すと、光の向こう側でアッシュが小さく舌打ちしたのが聞こえた。
『我がアッシュに告げたもう一つの方法は、おまえにある代償を課すことになる。それでも、おまえはその道を選ぶか?』
「……それで、アッシュから音素を奪うようなことがなくなるのなら」
 じっと光の中心部を見つめるようにして答えたルークに、ふわりとこちらをのぞきこむように光が近づいた。
『その代償が、おまえがおまえ自身でなくなることであってもか……?』
「え…?」
 自分が自分ではなくなる。
 それはどういう意味なのかと問おうとしたところで、それこそがアッシュたちが自分に黙っていた事なのだと、ルークは気がついた。
「ローレライ、俺は回りくどい言い方が嫌いだ。もっと具体的な説明をしろ」
 光の向こう側にいるアッシュが、苦々しい口調になる。しかし相手は人ならざるモノであるせいか、特に気にするような気配はない。それどころか、そんなアッシュの反応を楽しんでいるかのようにも感じられた。

『今から私が言う方法が成功すれば、たしかにルークはアッシュの音素を供給せずに生きながらえることができる。だが、そのかわりにルークは人でもなくレプリカでもない存在として、今後生きてゆくことになる』
「レプリカでも、人でもない存在…?」
『そうだ。確かに形は人のままであり、本質はレプリカのままだ。だが、お前はどちらの時間からも弾き出されて生きてゆくことになる。成長することが人の証であるのなら、まさしく人以外のモノにお前はなるということだ』

 ルークは一度ローレライの言葉を頭の中で繰りかえしてみてから、おずおずと口を開いた。
「……それはつまり、俺はこれ以上成長することがないってことか?」
 かすかに、光の塊が頷く気配がした。
 しかしそれに何の問題があるのだろう、と首を傾げたところで、アッシュが忌々しげに舌打ちしたのが聞こえた。
「馬鹿かお前は!つまりテメエは、一生そのままで生きてゆくことになるってことだ。俺たちが老いても、お前だけは今の姿のまま。それが他人から見ればどう見えるか、よく考えてみろ!」
 人が異端に敏感であることは、自分がレプリカであることを知ったときにいやでも思い知らされたことだ。
 たしかに老いることなく一生いまのままの姿で生きると言うことは、それだけでまわりから孤立してゆくことに繋がるだろう。
 それだけではない。
 レプリカは人ではないが、成長する。だからこそ、きちんと命がある生き物なのだ人まねの人形ではないと言い張れる。
 だが、成長の止まったレプリカは、それではどう思われるのだろうか。
「……それだけじゃねえ。不老ってのは、人の最大の望みの一つだからな。それだけでいらん妬みを買うことになる。それにおまえは、耐えられるのか?」
 ルークは、すぐにその言葉に頷くことができなかった。
 奇異の目で見られることの怖さは、十分に知っていたから。そして、それに耐えきれると言い切れない自分の心の弱さも。
 揺らいだ自分の弱い心に自嘲しながら、それでもルークは顔をあげた。
「絶対に、とは言えねえけど。たぶん平気……」
「レプリカ?」
「だって、それでもおまえは、俺のことを嫌いにはならないだろう?」
 不意を突かれたような顔になったアッシュに、ルークは戸惑うような、それでいてなにかを期待するような目をむけた。
「お前に嫌われないんだったら、俺はそれで良いから」
 光を透かしてみるアッシュの顔が、その言葉にかすかに歪んだのが見えた。
 もしかしたら自分は間違ったのだろうか、と言う不安がかすかに胸に走る。でも、いまだけは確信があった。好きになってはくれないかもしれないけれど、アッシュは自分を拒まないはずだ。
「馬鹿かお前は……」
 苦虫を噛みつぶしたような、そんな顔。
「……お前のことが嫌いなら、わざわざこんな手間をかけて生き返らせるわけがねえだろう」
 その言葉だけで、もう十分だった。
 素直じゃない、優しい言葉。
 眠っているときにだけ、優しく触れてきたアッシュの手。
 あの手に嘘がなかったのだとわかったのだから、それだけで良かった。



「それで、俺はどうすれば良いんだ…?」
 ルークはローレライへと視線を戻した。
『鍵を』
 すっ、と手のような形をした光が、二人が握っているローレライの鍵にのばされる。
『この鍵を、お前の体の中に入れる』
「……コンタミネーションか」
かつて一度、他でもないローレライが音素化したローレライの宝珠を、ルークは体内に受け入れたことがある。その時と同じ事がおこなわれるのだろうとぼんやり考えていたルークは、ローレライがその答えに小さく首をふるような仕草を見せたことに目を瞠った。
『現象だけ表すならそれで正しいが、実際は少し違う』
「どういうことだ?」
 怪訝そうに首を傾げたルークに、ローレライが続けた。
『お前とアッシュは、私と存在を同じくするもの。鍵は私に属するもの。ゆえに、お前たちとこの鍵は近しいものといえる。ルークは鍵をコンタミネーションを利用して取り込むことになるが、ただ取り込むだけではなくそのことによって鍵と同化することになる』
 思いがけない話に、ルークだけではなくアッシュも驚きを露わにした顔でローレライを見た。
『だからといって、ルークは本質を失うわけではない。ただ、鍵によって存在を固定されることになるため、時間の枠からはじき出される。かつてなったことのある姿にはなれても、それ以上の変化は訪れない。鍵を受け入れた時点で時間を固定されてしまうからな』
「……なんか、よくわからねえんだけど」
 小さく唸りながら首を傾げたルークの横で、なるほどとアッシュが小さく呟いた。
「つまり、大まかに言えばこいつはローレライの鍵の一部になるってことだな。存在が固定するからそれ以上音素乖離も起こらないし、外部から音素を取り込む必要もない。そして、鍵はお前と完全同位体の俺たちに近いものだから、そもそもの存在自体も変化しない。そういうことだろう?」
『そうだ』
 我が意を得たとばかりに、満足そうにローレライが答える。
「それで、具体的には何をするんだ?たしかにこいつは前に宝珠とコンタミネーション現象を引き起こしたことがあるが、意識的に出来たわけじゃねえ」
 確かにそうなのだ。だが、ルークは反面ほっとしてもいた。なにしろ今ここには、自発的にコンタミネーションを起こせるジェイドがいる。すぐに自分に出来るかどうかはわからないが、サポートを頼むことは可能だろう。
 そんなことをぼんやりと考えていたルークは、なぜかローレライが次にアッシュの名を呼んだことに、不思議そうな顔になった。
「なんだ?」
 同じことを思っていたのだろう、ローレライを睨みつけるようにして見ていたアッシュも、突然自分の名を呼ばれて怪訝そうに眉をひそめた。
『鍵を手に取れ』
 アッシュはさらに訝しげに眉をひそめたが、ローレライの言うとおりにルークの手を外させると、一人で鍵の柄を握った。
『これには、契約が必要だ』
「契約?」
『そうだ』
 さらに眉間の皺を深くしたアッシュに、ローレライが答える。
『そして、鍵は確かに私に属するものではあるが、それを振るうのは契約を望むものでなくてはならない。お前たちに鍵を送ったときのことは、あれはただ送るという行為だけでなんの誓約がされたわけではない』
「……何が言いたいんだ。てめえは」
 苛立ったように、アッシュの声が低くなる。
『つまり、私がルークの体の中にただ鍵を送り、コンタミネーション現象を起こさせても契約はなされないということだ。契約は鍵を使う契約者がいて、はじめて成立するもの。そして、契約者の手によって鍵はルークの中に送られなければならない』
 ルークは、ローレライの鍵を握るアッシュの手が大きく震えたのを、不思議そうに見つめていた。
 どういう事なのだろうか。
 まるで謎かけのような二人の応酬が理解できず、ただ次の答えを待つ。
「貴様……」
『そうだ』
 低く唸るように発せられたアッシュの声に、かすかにローレライが頷いた気配がした。
『お前がその剣でルークの心臓を貫け。それで、契約はなされる』
 それが、答えだった。



BACK← →NEXT(07/04/30) 修正(07/06/05)