ガラスの向こう側から・2




  ファブレ公爵家の屋敷は、バチカル城のすぐ近くにある。
 それは、ファブレ公爵家が王家に連なる大貴族であることの証でもあった。
 アッシュは恭しく出迎えた使用人たちの前を足早に通りすぎると、そのまま中庭へとでた。
 ペールによってよく手入れされている庭園は、四季を通じて美しい花を愛でることができる。特に中庭は開放的な庭園として作られており、また離れへと向かうためには必ず通らなければならない造りになっていた。
「アッシュ、戻ったのか」
 あとすこしで離れの前につくというところで、ちょうど目指す扉から出てきたガイがアッシュに気づいて声をかけてきた。
 金の髪と青い瞳を持つこの青年は、幼いころからアッシュたちの遊び相手としてファブレ家に仕えている。
 さすがに公爵の前や対外的にはきちんと礼節のある態度をとっているが、幼なじみという気安さと、アッシュやルークが強く望んでいることもあって、普段はざっくばらんな態度で彼等に接している。
「ルークの奴起きてるぜ。顔見せてやれよ、寂しがってたからな」
「ああ」
 アッシュはそれに頷きながらも、こちらにやってくるガイに問いたげな目をむけた。
 それに気づいたのか、メイドたちにもてはやされているやわらかな笑みを浮かべると、ガイはすれ違いざまにそっと囁いた。
「熱はだいぶ下がっている。でもまだ体力が回復してないから、あまり無理させるなよ」
「?」
「お前といるとはしゃぐから、適当なところで寝かせてくれるとありがたい」
「……それはテメエの仕事だろ。使用人」
「飲み物でも持ってきてやるよ。どうせ帰ってきたそのままの足でこっちに来たんだろ?」
 青い瞳が見透かしたように笑う。
 それに、不快そうに眉根を寄せたアッシュに噴き出しそうになるのをこらえているような顔をして、ガイは母屋の方へと戻っていった。
 


 ファブレ家の敷地の一番奥まった場所に建てられた離れは、綺麗な左右対称につくられた建物である。
 入り口は小さなポーチになっていて、おなじデザインの扉が二つならんでいる。
 アッシュは左側の扉の前にたつと、ノックもなしに開いた。
「おかえり、アッシュ」
 すでに気配を察していたのか、ルークは上半身をすこし起こした状態でアッシュを迎え入れた。
「ナタリア、元気だった?」
「ああ」
 アッシュはベッドの方へやってくると、おそらく先ほどまでガイが使っていたのだろうと思われる椅子の上にかかっていた上着をとって、ルークの方へ差しだした。
「サンキュ」
 どこかやつれたような顔に笑みを浮かべると、ルークは上着を肩にかけた。
「この間は悪いことしたな、せっかく来てくれたのに」
「しかたないだろう。テメエが死にかけてたんだから」
「ちょっ!そういう言い方はないだろう?」
「事実だろうが」
 不満そうにむくれたルークに、アッシュは鼻で笑ってみせる。事実、誇張でもなんでもないのだから。
 そのことを思うと、いつでもやりきれないような気持ちにさせられる。
 なまじ双子なだけに、二人に外見的な差違はほとんどない。
 強いてあげれば髪の色がルークの方がやや明るく、夜明けの空の色をしていることぐらいだろうか。肌の色が心持ち白く感じられるのは、体の弱いルークが陽の下に出ることがすくないからだ。
 おなじ物を分け合って生まれたはずなのに、ルークにだけ負の部分を押しつけてしまったのではないかと、アッシュは思うことがある。
 ガイあたりが聞いたら苦笑しそうなばかげた考えだが、彼等がなまじ普通の双子よりも強いつながりをもっているだけに、そう思わずにはいられないことがある。
 いきなり髪を引っ張られて、アッシュは我に返ったような顔になった。
「な〜に考えこんでんだよ。あまり深刻すぎると、ハゲるぜ」
「テメエこそ、へらへらとなにも考えないでいるとバカになるぞ」
 鼻先で笑ったアッシュに、ルークはむっとした顔になった。
「人にバカって言う奴がバカなんだぜ」
「じゃあ、テメエもいまここでその仲間入りだな」
 さらりと返されて、ますますルークのふくれっ面がひどくなる。それにニヤリとアッシュは人の悪い笑みを浮かべると、上目づかいに自分を睨みつけてきているルークの頭を軽く撫でた。
「ガキ扱いすんな!」
 そう文句を言いながらも、優しく頭を撫でられる感触が気持ちいいのか、目尻のあたりがうっすらと赤く染まる。
「そういや、ナタリアから預かり物がある」
 ルークの頭から手を離すと、アッシュは上着の隠しからガラス瓶を取りだした。
「なんだこれ?」
 手にとって中をのぞき込みながら、ルークが不思議そうに問う。
「スミレの砂糖漬けだと」
「ああ!これがそうなんだ」
 へー、とたがめすがめつガラス瓶の中をのぞき込んでいるルークに、アッシュは不思議そうな顔をした。それに気づいたルークは、手の中で瓶をもてあそびながら続けた。
「ナタリアから借りた本の中にあったんだよ。美味そうだなって言ってたの、覚えてくれてたんだな」
「……なるほどな」
 どうやら、ナタリアも人のことは言えないようだ。そんな些細なルークの言葉を覚えていて、わざわざ上等な品物を取り寄せたのだろう。
「アッシュも食わねえ?」
 ルークは瓶の封を切ると、あざやかなスミレの色そのままの小さな塊を手のひらに転がしだした。
 つまみ上げてみると、思ったよりも硬い。糖衣で固められた花びらが細かな襞をつくっていて、見た目だけだと砂漠の薔薇とよばれるあの琥珀色の石にすこし似ている。
 口に放りこめば、氷砂糖のような甘みとスミレの花の芳香がひろがる。その上品な甘みはいかにも女性が好みそうな味だったが、悪くはなかった。
 ちらりとルークの方をうかがえば、こちらは満面の笑みを浮かべて口の中に入れた砂糖菓子を堪能しているのがわかった。
 自分とおなじ顔のはずなのだが、ルークの顔に浮かぶ表情は自分よりもずっと子供っぽい。
 それが時には気に障ることもあったが、こうやって楽しげな表情を見るのは嫌いではない。
 しばしの間、やわらかな沈黙がおりてくる。
 寝付くことの多いルークのためにと大きくとられた窓からさし込む光は、温かく部屋の中を照らしだしている。首を横にむければ、綺麗に整えられた庭がすぐ視界に入ってくる。窓からはテラスに出ることができ、そのテラスは隣にあるアッシュの部屋にも続いている。
 ふと、ぼんやりと窓の方を見ていたアッシュは、その風景にかるい違和感をおぼえて大きく瞬きをした。
 自分の部屋からも見える、おなじ風景。
 なのに、どうして落ち着かない気分にさせられるのだろう。
「なあ、アッシュ」
 思わず眉をひそめそうになったところに、突然ルークから声があがる。
 アッシュはその声に現実に引き戻されるような感覚を感じながら、視線をルークの方へ戻した。
「なんだ?」
「……あのさ、お前また『アレ』やっただろう」
 きゅっと小さく唇を噛んで見あげてきた碧色の瞳には、思い詰めたような色がある。
「それがどうした?」
「どうした、って……!アッシュの体に負担がかかるんだから、俺はやめろって言ったよな?」
 きっ、ときつい光を宿した瞳が睨みつけてくる。
「テメエの言い分はきかねえ」
「聴けよ!なんだってわざわざそんなことするんだよ!」
「俺がしたいからだ。それ以外の理由なんてねえ」
「でも……っ!」
「うるせえっ!そんなに嫌なら、テメエで倒れないようにもっと努力しろ!」
 怒鳴りつけられたルークは、悔しそうに唇を噛んだ。それを見て心の中でしまったと舌打ちするが、アッシュはそれを表には見せなかった。
 体が弱いのは、ルークの責任ではない。
 だが、誰よりもそれを気に病んでいるのもルーク自身だ。
 そして、なによりもルークにとって辛いのは、すぐ傍らにアッシュという存在があることだ。
 年の離れた兄弟だったら、まだ少しは違っていたのかも知れない。
 しかし彼等は双子として生まれ、おなじものを分かち合った。
 なのに、アッシュは健康体なのに自分は違う。
 幼いころは、具合が悪くなるにつれて癇癪をおこしたルークが、泣き叫んだこともあった。
 どうしてなのか、と。
 しかし、それでもルークは、アッシュを責めるような言葉を口にしたことは一度もなかった。ただひたすら、ままならない自分の体に対して癇癪を起こし、物に当たり散らした。
 高い熱で真っ赤になった顔を歪めて泣く自分の片割れに、アッシュはやりきれなさと罪悪感をいつでも覚えていた。
 一時は、あまりのやりきれなさに、寝込んでいるルークの顔をまともに見ることができなかったほどだ。
 そうやって一時ルークの側から遠ざかっていたアッシュが、こうやってまた彼の側にいられるようになったのは、ある夜のことがきっかけだった。


***


 誰かに呼ばれたような気がして目を覚ますと、まだ世界は闇の中に沈んでいた。
 めずらしく真夜中に目を覚ましたことを不思議に思いながらも、アッシュは自分でもよくわからない胸騒ぎに背を押されるようにして、ベランダに出た。
 丸い月が中空を通り過ぎたあたりにひっかかっており、その明るい光が夜の庭に降り注いでいた。
 白い花が薄青色にひかり、その美しさに思わず見とれそうになっていたアッシュは、かすかに聞こえたうめき声のようなものに、はっと胸を突かれたように後ろを振り返った。
 ベランダ続きにあるルークの部屋の窓が、細く開いている。
 つい先日も寝込んだばかりの弟は、しかし昨日は久しぶりに中庭まで出てきて、元気そうな様子を見せていた。
 一瞬、聞き違いかとも思うが、またかすかに震えるような音が聞こえてくる。
 アッシュはすくみそうになる足をなんとか前に進めながら、そっとルークの部屋の窓を開いた。
 ちいさな軋み音を立てて開いた窓のむこうは、薄闇に沈んでいる。
 アッシュの足下から延びた影が、長い影法師を絨毯のうえにおとす。
 何となく足音を忍ばせながらベッドに近づくと、そこにはシーツにくるまったまま小さく丸まり、荒い呼吸を浅く繰りかえすルークがいた。
「どうした?」
 そっと呼びかけると、びくりと小さな肩が震えてからゆっくりと瞼が開く。
 熱のせいなのか、ぼんやりと潤んだ瞳がアッシュを見上げて、安心したように微笑んだ。
「苦しいのか?」
 思わず問いかけると、小さく首が横に振られる。しかしそれが嘘なのだと言うことは、まだ幼かったアッシュにもわかった。
 怒ったように眉根をよせると、ルークの眉尻が困ったように下げられる。
 その頃は、元気なときならまだしも、具合の悪いときのルークにはアッシュは近寄らなかったので、久しぶりに見た彼の弱々しい姿だった。
「……本当に、大丈夫だから」
「大丈夫なわけねえだろう!……ガイを呼んでくる」
 そう言いおいて部屋を出て行こうとしたアッシュの手を、具合が悪いとは思えないほどの素早さでルークがつかむ。
「本当に、大丈夫だから。……よくあることだし、大人しくしてれば朝にはおさまるから」
 アッシュはぎょっとしたように、ルークの顔を見なおした。それに小さく頷いてみせる姿に、それが彼にとっては当たり前のことなのだと、理解する。
 しかしそれにアッシュが感じたのは、怒りとやりきれなさだった。
 誰にも言わずに一人で耐えようとするルークに対しても、そして、それをいままで気づくことなく隣の部屋で安穏と眠っていた自分に対しても。
 どれだけの夜を、彼はたった一人で耐えていたのだろうか。
 おそらくアッシュにつながるすべての感覚を閉じ、まるで卵の殻に閉じこもるようにして、彼は一人で苦しんでいたのだ。
「だからテメエは屑だって言うんだ!」
 きついアッシュの言葉に、びくりとちいさくルークの方が震える。おびえたような瞳をむけてくる彼にアッシュはちいさく舌打ちすると、自分の手をつかむルークの手を振り払おうとした。
「待って!ダメッ!」
 いまにも泣きそうな目で見上げられて、アッシュは動きを止めた。叫んだせいか、背中を丸めて咳きこむルークの背にそっと手を滑らせると、寝間着ごしにもその小さなからだが熱を持っているのがわかった。
「ダメ、誰にも言うな。ばれちゃたら、また寝てなくちゃいけなくなるから」
「バカかテメエは!酷くなってからじゃおせえだろうが!」
「だって……、一人で寝ているの嫌なんだ」
 ぎゅっときつく唇をかみしめたルークに、アッシュは胸の奥がかすかに軋んだような気がした。
「どうしても苦しくなったら、ちゃんと言うから。だから、言わないで……」
 最後の方は泣きそうに声が震えだしたルークに、アッシュは思わず舌打ちした。これでは、自分が悪いことをしているような気にさせられる。
「わかった、今夜は見逃してやる……」
「本当に?」
「ああ」
「ありがとう」
 ルークは泣き笑いするような顔になると、アッシュの手を握った。
「アッシュの手、気持ちいい」
「テメエが熱があるからだろ」
「ううん。こうやっていると、すごく楽になる……。さっきまで胸が苦しかったのに、ちょっと軽くなった気がする」
「そうか」
 必死にそう言いつのるルークに苦笑しながら、アッシュはそっとルークの手を握りかえした。
「なあ、寝るまで手を握っていてって言ったら怒るか?……すごく、気持ちいい」
「……寝るまでならな」
 苦笑混じりにそう答えると、途端にぱっとルークの顔が明るくなる。
「わかったらさっさと寝ろ。ぐずぐずしていると、部屋に帰るぞ」
「ん、わかった」
 ルークはアッシュの手を握ったままあわててベッドにもぐり込むと、アッシュの方を見上げて嬉しそうに笑った。
「おやすみ……」
「ああ、おやすみ」
 きゅっとアッシュの手を軽く握りかえしてから、安心したようにルークは目を閉じた。目を閉じた顔を見下ろすと、わずかな明かりの中でも顔が火照っているように赤いのがわかる。
 握った手のひらもじっとりと汗をかいていて、熱が思った以上に高いことがわかる。
(どうするかな──)
 ルークをなだめる手前ああ言いはしたが、誰かに知らせた方がいいだろう。
 そんなことをつらつらと考えながら、ふとアッシュは先ほどルークが言っていた言葉を思いだす。
 自分が手を握っているだけで楽になったというのなら、本当にそうなればいいのに。
 少しでも自分の元気をこの弟に分けてあげられればいいのに。
 すこしでも、この呼吸を楽にしてやれればいいのに……。
 
 
 その次の瞬間、握った指の先から熱が流れてゆくのを感じた。
 思わず見開いた瞳の先で、握りあった指がかすかに白い光を放っているのが見えた。
 自分の鼓動の音が、間近に聞こえた。
 アッシュの全身を熱が駆けめぐり、触れあう指を通してそれがルークの方へと流れ込んでゆくのがわかる。
 一つ呼吸をするたびに、すうっと力がぬけてゆく。
 しかしそれに呼応するように、体の奥底からわき上がるように熱があふれてくる。
 その熱は、歓喜の熱にも似て。
 アッシュ自身の中にある生気を分け与えることで、大切な半身が癒されてゆく。
 そのことが、無意識の喜びにつながってゆく。
 

 はっと我にかえると、握りしめた手のひらにあった不快な熱はいつのまにか引いていた。
 そっと呼吸をうかがうと、先ほどとは比べものにならないほど穏やかで深いものにかわっている。
 それにほっと息をついたのもつかの間、アッシュは自分の体が鉛のように重くなっていることに気づいた。
 自分の命を削ったのだと、誰に言われなくともわかっていた。
 しかしそこにあったのは、限りない充足感だった。
 もう一度、アッシュはルークの寝顔をのぞきこむと、名残惜しげにそっと指を解いた。
 深い眠りについたルークは、目覚めることなく規則正しい寝息をたてている。
 身をかがめて、眠るルークの髪そっと口づけてから立ちあがる。
 多少足下がふらつきはしたが、特にどこが痛むということはなかった。
 アッシュは自分の部屋に戻ると、ベッドに横になりながら、そっと意識を沈めてその先にあるはずの糸を探した。
 自分とルークをつなぐ、特別のつながり。
 その端を相手に気づかれないようにそっとつなぐと、アッシュは先ほどの感覚を思いだしながら力を放出した。
 思った通り、アッシュからルークへと力が流れ込んでゆく。
 そのことに満足をおぼえながらアッシュはつながりを切ると、あらためて枕に頭を埋めた。
 その日から、アッシュはふたたびルークの傍らへと戻っていったのだった。


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…ベタネタ好きなんですorz。つか、乙女過ぎ。