Little flower waltz・10




髪を切られていることに気がついたのは、アッシュが相手を完全に追い払ってしまってからのことだった。
すべてを片付けてからこちらに戻ってきたアッシュは、何とも言えない顔で地面に散らばった赤い塊を睨みつけると、ルークの頭を抱きしめて小さな声ですまないと囁いてきた。
その声が耳に届いた途端、ルークは何か熱いものが自分の中から一気にこみ上げてきたのを感じて、ぐっと口を噤んだ。
しかしそれは無駄な抵抗にしかならず、熱くなったまぶたの裏からボロボロと大粒の涙がこぼれ落ちる。そして一度あふれてしまった感情は堰を切ったように流れだし、ルークはアッシュにぎゅっと強く抱きつくと、そのまま大声を上げて泣き出した。
涙を止めなくてはと思うのに、後から後からこみ上げてくる涙にしゃくり上げてしまって、まともに話すことも出来ない。
色々な感情がごちゃまぜになって渦巻いて、弾ける。なにがどうして悲しいのかも、どうして泣きやめないのかもわからない。ただひたすら喉の奥の方からこみ上げてくる嗚咽をこらえるのに精一杯で、それ以上のことが考えられない。

「泣くな」

アッシュが困り切ったような声でそう呟く度に、余計に涙があふれてくる。
そうやってルークは、ただただ泣き続けていた。




「ルーク! アッシュっ!」

アッシュに連れられて中層階まで戻ってくると、必死な顔をしたガイがすぐに駆け寄ってきた。世話係の顔を見て思わず駆け出したルークは、そのまままっすぐ大きく広げられたガイの腕の中に飛びこんだ。ぐりぐりと何度も頭を撫でられ片腕で抱き上げられると、慣れ親しんだガイの匂いがした。それにようやく落ち着いた気になったルークは、ガイの腕に抱き上げられたままアッシュの方をふり返った。
ルークを見上げているアッシュの目は複雑な色を宿していて、彼が何を思っているのかルークにはわからない。やがてその目がそらされたと同時に、ルークはガイの腕をそっと叩いて自分を降ろさせると、アッシュの傍らへと急いだ。

「アッシュ……」

何かを言いたいのに、言葉が出てこない。
仕方がないのでルークはそっと手を伸ばすと、先程までアッシュがそうしていてくれていたようにアッシュの手を握った。
ずっとここに来るまでの間、アッシュは泣き通しだったルークの手を握ったままでいてくれた。歩き出してからは一言も口を聞かなかったが、握ってくれる手からはアッシュの優しさが伝わってきてルークを落ち着かせてくれた。
いまのアッシュからは、なぜか先程自分を助けてくれたときのような頼もしさよりも、何かに戸惑っているような弱さが感じられる。
それに、いまここでこの手を離してしまったら二度と会えなくなってしまう。そんな気がした。

「アッシュ。ルークを助けてくれたんだな。ありがとう」

ゆっくりとこちらに歩いてきたガイがルークの後ろで足をとめ、アッシュに声をかける。それにびくりと小さくアッシュが震えたのが、手を握っていたルークにはわかった。

「……知ってる顔を見捨てるのも寝覚めが悪いからな」
「そうだな。でも、ありがとう」

ルークにもそれが照れ隠しだとわかる、ぶっきらぼうな口のききかた。その真意が他にあることを、ガイがわからないはずがない。

「だったらもういいだろう。俺は帰る」
「まてよ。俺は逃げるなと言ったはずだが?」

逃げるという言葉に、弾かれたようにふり返ったアッシュがガイの顔を睨みつけた。しかし睨まれた方のガイはそれを平然とした顔で受け止めると、ルークと話をするときにするようにしゃがみ込んでアッシュと視線を合わせた。

「……なんで帰ってこなかった? 奥様はもの凄く心配なさっていたんだぞ」
「帰れるわけねえだろう」

低く呟かれたその言葉に、ルークはぎゅっと左胸のあたりが痛くなるような気がした。そうだった。忘れていたけれど、自分はアッシュに対してひどいことをしていたのだった。
途端にしょんぼりと耳を垂らしたルークの頭を、ガイの大きな手が撫でる。それに勇気づけられたようにルークは、放してしまった手のかわりにそっとアッシュの袖を掴んだ。

「もしかして、お前が言っているのその理由はルークのことか?」
「他になにがある」

ようやくたどり着いた懐かしい自分の居場所に、まるで取って代わったように居座っていた同じ顔をした同族の子供。代わりがいるのだから、もう自分はいらない。そう言われているような衝撃を受けたあの日のことを、アッシュは忘れたことはない。

「代わりがいるから、前のモノはいらないんだろう? 今更俺にどうしろって言うんだ!」
「それはお前の誤解だ。ルークはお前の代わりなんかじゃない。お前がいなくなるよりも前に、ルークは屋敷に来ることが決まっていたんだ」
「なんだと……?」

思いがけない事実に目を瞠ったアッシュの隣で、ルークも同じように目を丸くする。
そう言えばどうして自分があの屋敷にもらわれてきたのか、聞いたことはなかったかもしれない。だからこそアッシュの言葉を素直に信じたのだが、それが本当なら、自分はアッシュの居場所を奪ったわけではないのだろうか。

「ルーク、おまえ、自分が何時屋敷に来たのか覚えているか?」

突然ガイがこちらに話を振ってくる。ルークはそれにどぎまぎしながら慌てて記憶を探り、答えを口にする。

「ローレライデーカン・48の日だ」
「それが何の日なのか、お前ならわかるよな。アッシュ」
「俺の……誕生日だ」

震える声で答えたアッシュに、ルークは耳を動かしながら小さく首を傾げる。いったいそれが何を意味しているのか、この場でルークだけが理解していなかった。

「奥様は、よくお前のことを理解していらしたよ。耳族は一人だけで飼うことも珍しくないが、それではお前が可哀想だとおっしゃっていた。だからお前に内緒でおまえの血統に近い耳族、出来たら兄弟をとさがしていて、ルークを見つけたんだ」

ガイはもう一度ルークの頭をそっと撫でると、優しく笑った。

「ルークは奥様からおまえへの誕生日プレゼントだったんだ。可愛い自分の子供に弟を、ってな」

突然強い力で手を握り締められて、ルークは思わず声をあげた。しかし、痛いと言う言葉はそのまま喉の奥に消えてしまった。
ルークの手を思いきり掴みながら、アッシュは下を向いていた。いつでもピンと張っていた耳が微かに震えている。涙も見えないし泣き声も聞こえないけれど、彼が泣いているのがルークにはわかった。
だから今度はルークの方から手を伸ばして、片手でアッシュの頭を抱きしめた。
そんな二人を、ガイは黙ったまま優しい目で何時までも見つめていた。





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