Little flower waltz・6




正直それからどうやって屋敷に戻ったのか、ルークは覚えていなかった。
ただ、ブツブツと文句を言いつつも、シンクが呆けたようになったルークの手を引いて屋敷の側まで連れてきたことだけは、うっすらと覚えている。
表に回るわけにはいかないからと言って、シンクはさっさとルークが抜け出した穴を見つけてくると、なんだか怒ったような顔をしながらもルークのお尻を押して穴の中を通り抜けるのを手伝ってくれた。だが、それにちゃんと礼を言えたのかどうかも、じつは覚えていなかった。

「どこに行っていたんだ、ルーク」

とぼとぼと裏庭から出て行くと、植え込みの向こう側で腕を組んだガイが仁王立ちになって待ち受けていた。
しかし尻尾を垂らしながらうつむいて歩いていたルークが顔をあげた途端、怒っていたはずの顔が一変して驚いた顔に変わった。

「ど、どうしたんだ? ルーク」

ガイは慌てた様子で膝をつくと、ルークに目線をあわせるようにして顔を覗き込んできた。
優しい空色の瞳が、心配げな色を宿す。
大きくて温かな手があやすように優しく頭や耳を撫で、両手で頬が包み込まれる。その時になってはじめてルークは、自分の頬が冷たくなっていたことに気がついた。

「顔色が悪いぞ。具合でも悪いのか? 熱は? 怪我は?」

そういって額や体中に手が当てられ、心配そうに眉がひそめられる。そんなガイを見ているうちに、ルークは自分でも良くわからない熱くて苦しい物が胸のあたりを塞ぐのを感じた。

「ルーク?」

鼻の奥がつんと痛くなってきて、まぶたがじわじわと熱くなる。
混乱しながらもぎゅっとガイにしがみつけば、大きな手が優しく背中を撫でてくれる。
気がつけば、胸のあたりにあった熱が大きな石のようにかたまって喉を塞いでいる。だからさっきから苦しいだのと、ルークは思った。
そうでなければ、こんなにちゃんと息が出来ないはずがない。喉が震えて、しゃくり上げるときのような変な音が出るはずがない。
だから、この石を吐き出してしまうまでガイにしがみついていよう。
ルークはそう思っていた。




「それで、なにがあったんだ?」

用意された、大好きな蜂蜜のパイとあたたかな湯気を上げているいれたてのミルクティを前にして、ルークは泣きすぎて痛くなった顔をぎゅっとしかめた。

「黙っていちゃわからないだろ……」

泣いてぐちゃぐちゃになった長い髪は、ガイが綺麗に編んでまとめてくれた。さっきまで腫れたみたいに熱くなっていた顔も、綺麗に拭いて冷やしてくれた。
ガイは優しい。
もちろん悪いことをすれば叱られるけれど、いつだってルークが落ち込んでいたり元気がなかったりすると頭を撫でてくれる。だからルークはガイのことが大好きだった。だけど、いま自分がいるこの場所がアッシュから奪ってしまった物だと知ってしまったから、優しくされるほど辛くなる。

「ルーク」

叱る声ではないけれど、答えを強く求める声がかけられる。それに少し迷うようにルークは目をあげると、思い切って口を開いた。

「……なあ、俺の前にこの屋敷に誰かいたのか?」
「おまえ、どこで聞いてきたんだ……?」

ガイの空色の瞳が驚きに見開かれるのを見て、ルークはやはりアッシュの言ったことは本当だったのだと確信した。

「別に隠していたわけじゃないんだけどな。お屋敷の中では、その話はタブーになってるんだ」
「なんで?」

困ったように苦笑いしたガイに、ルークは小さく首を傾げた。

「奥様がアッシュ……お前の前にいた耳族の子供だけれど、そのアッシュが突然いなくなったことをとても気に病まれてな。それ以来屋敷内ではその名前はタブーになったんだ。当時、ずいぶんと下層の方まで騎士団も捜索に出てたんだけどな……」
「そっか……」
「でもどこで聞いたんだ? アッシュのこと」
「なあ、ガイはアッシュが戻ってきたら嬉しいか?」

唐突なルークの問いにガイは目を瞬かせたが、すこし考えこむような顔になってから口を開いた。

「嬉しいって言うか、ホッとするかな。やっぱりいなくなったままってのは気になるしな。それに、一応俺のご主人様だったし? でも、なんでそんなことを聞くんだ?」

ふと訝しげに細められたガイの瞳に、ルークは慌てて蜂蜜のパイに手を伸ばす。焼き色の上に塗られた金色の蜂蜜がしっとりと甘く、それに続いて口の中でほろほろと崩れ落ちるパイ生地の欠片が香ばしいバターの味が追いかけてくる。
だけど焼き加減が硬いのか、どうしてか今日はその破片が口の中に突き刺さってくるような気がする。
慌ててミルクティに手を伸ばし、口の中にあるパイの欠片を飲み下す。だけどまだ口の中にはざりざりとした感触が残っているようで、気持ちが悪い。

「ルーク、おまえ何か知っているのか?」

それを目で追っていたガイは、ふと真剣な目になった。ルークは一瞬ためらうように目を伏せてから、ぱたりと長い尻尾で軽く床を叩いた。

「……街で、俺とそっくりな奴がいるって言われた」

ガイの目がさらに真剣な色を宿すのを見て、ルークは先程感じた口の中の違和感が急に増したような気がした。今度は甘い蜂蜜の味はなく、なぜか酷く苦い。嘘をついたからだろうか。

「そいつの名前がアッシュっていうんだな?」

さらに問われて、ルークはそれに頷くだけでせいいっぱいだった。そんなルークの頭の上に、ぽんとガイの大きな手が置かれる。

「突然のことで、びっくりしただろ。でも、ルークが心配するような事は何にもないんだからな」
「ん……」

こくりと小さく頷くと、ガイはやっと安心したような顔を見せた。

「じゃ、ちょっと俺は奥様の所に行ってくるからな」

最後にくしゃりと強くルークの頭を撫でると、ガイは慌ただしく部屋を出て行った。ルークは残りのパイをミルクティで流しこむと、尻尾と耳を垂らしたままベッドへ向かった。
そして夕食まで眠った後、多少元気はなかったもののルークはいつものように夕食をとりベッドに潜り込んだ。


だがその翌朝。いつものように寝坊しているルークを起こしに来たガイが見たものは、主のいない冷えたベッドだけだった。




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