Little flower waltz・7




「何をしているんですか?」

おっとりとしたイオンの声に、アッシュは不機嫌な顔のまま背後をふり返った。

「おまえこそ何の用だ、こんな時間に。礼拝じゃないのか?」
「先程終わりましたよ。鐘が鳴ったでしょう」

イオンの飼い主は、ローレライ教団最高指導者の導師である。
その容姿が導師に酷似しているという理由で引き取られたのだが、聡明でカリスマがあり、おまけに譜術も導師なみに使えるということから、イオンはここバチカルの大教会を任されている。
もちろん名目上は代理だが、朝の礼拝等の対外的なことはすべてイオンが取り仕切っている。この教会裏の敷地も、イオンが行き場のないはぐれ耳族達にとっての教会のようなものになればいいと解放しているのだ。

「それで、何をしていたのですか?」

あらためて問いかけてきたイオンの声は、おっとりとしているが有無を言わせないなにかがある。

「……別に、なんでもねえよ」
「ルークの事が気になりますか?」

アッシュが苦虫を噛みつぶしたような顔で答えると、イオンは小さく首を傾げながら意味ありげに笑った。

「はっ、誰があんな奴のことなんか気にするか」
「そうですか? 僕には、あなたがずっと彼のことを気にしているようにしか見えませんが」
「くだらねえ」

アッシュはくるりと踵をかえすと、苛立ったように長い尻尾で地面を一つ叩いてからその場から立ち去ろうとした。

「アッシュ。あなたはどうしたいんですか?」
「質問の意味がわからねえ」
「じゃあ単刀直入に言わせていただきます。どうして屋敷に帰らないんですか?」
「……てめえには関係ねえ」
「いらない、とはっきり言われるのが怖いからですか?」

その言葉に弾かれたように、勢いよくアッシュが振り向いた。その目が、殺気に近い怒りを込めてイオンを捕らえる。しかしイオンはその目をまっすぐ受け止めると、気負う様子も見せずにいつもの淡々とした口調で続けた。

「本当に戻る気がないのなら、どうしてあなたはこのバチカルの街を出て行かないのですか? それどころか、時々こっそり屋敷の近くまで潜んで行っていますね。ルークのことをよく知っていたのもそのためでしょう?」
「何が言いたい」
「それは、あなたが一番良くわかっているのではないですか」

食えない返事を返すイオンに、アッシュは顔をしかめた。
優しげな顔をしているが、イオンは意外とはっきりと核心を突くような物言いをする。思慮深いというよりも切れ者で、自然と相手よりも優位に立つことができるだけでなく、場合によっては相手に威圧感を与えることも出来る。
意外な食わせ者、というのがアッシュのイオンに対する評価だ。
普段はそれを好ましいと思っているのだが、こうやっていざ攻撃の矛先が自分に向けられてみると、実に厄介な相手だと言うことがわかる。

「じゃあ聞くが、なんでいまさらそんなことを言い出したんだ? お前のことだから前から気がついていたんだろ」
「ルークが気に入ったからです」
イオンの答えに、アッシュはピクリと耳をふるわせた。
「……てめえもあの馬鹿猫がお気に入りかよ。はっ」
「ええ、気に入りました。ですから、一度あなたに屋敷に戻ることを勧めます」
「ざけんなっ!」

ざっと間合いを詰めてきたアッシュに、イオンはその場を動かなかった。そして襟を掴んだアッシュの手にそっと触れると、ふわりとやわらかな笑みを浮かべた。

「僕はあなたのことも好きですよ、アッシュ。だからこそあなたに、きちんとけじめをつけて欲しいと思っています。それにあなたはもう帰れないとずっと言っていますが、本当は違うとわかっているんじゃないですか? 帰れないのはあなたの心の問題だということを」
「うるせえっ!」

アッシュは小さな牙をむき出しにして叫ばんばかりに唸ると、イオンを突き放してそのまま逃げ出そうとした。しかし逆にイオンに手を掴まれて、引き戻される。

「そして、あなたはいま揺れていますね。何も知らなかったルークに八つ当たりして、一方的に傷つけたことに」
「何勝手なことを言ってやがる……」

忌々しげに舌打ちしながらも、アッシュはその言葉を否定しきれないものが自分の中にあることを知っている。
突発的な邂逅だっただけに、昨日の自分の態度は、一気にいままでの思いが吹き出してしまったのだとも言えなくない。あんな恨み言のようなことを口にするつもりはなかったはずなのに、いざ顔をあわせてみたら押さえきれなかったのだ。
去り際に少しだけ見えたルークは、酷く傷ついた顔をしていた。その顔を見てアッシュは、何か綺麗なものを粉々に砕いてしまったときのような、やりきれない気持ちを感じずにはいられなかった。本当は、酷く傷つけてやれば常にこの胸の中にあるもやもやとした気持ちが晴れるような気がしていたのに、逆に苛立ちはつのるばかり。だからそんなことは、イオンに指摘されなくてもわかっている。わかっているのだけれど…。

「そのくらいにしておいたら」

不意に後ろからあがった声に、二人は一緒に振り向いた。そこには、いつもなら昼にならないと戻ってこないシンクがいた。

「ちょっと上で気になる動きがあったから、知らせてやろうと思ってきたんだけど」
「気になる動き?」
「街中をファブレ家の騎士団が走り回っている。さすがに理由まではわからなかったけど、昨日の今日だからね。ちょっと気になると思わない?」

途端に二人の表情が険しくなる。シンクはそんな二人の反応を楽しんでいるかのように、笑みを浮かべた。

「昨日送っていったとき相当まいっていたみたいだから、もしかしたらね……」

その言葉が終わるか終わらないかのうちに、アッシュが駆け出す。その後ろ姿を見送ってから、シンクはイオンの方をもう一度ふり返った。

「で、あんたはどうするの?」
「僕は港の方へ行くから、君は大橋の方を頼むね」
「なんで僕が」
「行ってくれますよね」

そこで、にこりと微笑みを一つ。その笑みにシンクは顔を引きつらせると、長い尻尾をふりながら慌ててその場を離れたのだった。



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