自鳴琴・11




「……なにを見ている」
 そんなことを考えながらルークを見ていたアッシュは、ガイの視線に気が付いて不機嫌そうな声を出した。
「いや、なんのかのいいながらもお前も慣れたなあって思って」
「これだけ始終くっつかれていたら、いいかげん慣れる。それに、いまのこいつじゃ、いちいち怒鳴るのも馬鹿らしいしな」
「まあ、なんのかの言いながらも、もともと面倒見はいいみたいだったからな。おまえ」
「はあ?」
 言われていることの意味が一瞬理解できず、アッシュは眉根を寄せた。
「旅をしていた頃だって、おまえ、なんのかの言いながらもルークの様子をちょくちょく見に来ていただろ」
「あれは、こいつが役にたたねえから……」
「レムの塔でも、結局はルークを手伝ってくれたしな」
 ニヤリと人の悪い笑みを浮かべたガイに、からかわれたのだとようやく気が付く。
「てめえ……っ!」
「おっと、怒るなよ。ルークが驚く」
 ガイの言葉にちらりとルークの方を見ると、アッシュの怒気を敏感に感じ取ったのか不安そうに見あげている。その目を見たらもう怒ることも出来ず、アッシュは諦めたようにため息をついた。
「……こいつが勝手に懐いてくるだけだ。それに、母上にも頼まれているからな」
 自分でも、言い訳めいた理由だとわかっている。
 ルークに優しい態度を取ったとしても、誰もなにも言わないだろう。だがいままで頑なにルークを拒んできたせいなのか、誰かに言い訳をしなくてはならないような後ろめたさを感じてしまうのだ。
「お前がどういう理由をつけていても別に良いさ」
 ガイが、他愛のない意地を張る子供を見るような柔らかなまなざしをむけてくる。
「俺はこいつが辛い思いをしないんだったら、それでいい。もちろん複雑な気持ちがないわけじゃないが、もしルークがこのままでもやり直せるならそれでもいいと思っている」
「随分と簡単に言うな……」
「言うほど簡単じゃないってことは、わかっているさ。ルークが背負っていた物や責任はただでさえ大きかったんだから、そのすべてから逃げることが出来ないってことくらいわかっている」
 世界を救った英雄という立場、レプリカであるという事実。そして、ルークが行動してことによって救われた人々と犠牲になった人々。
 それは、忘れてしまったからといって、なかったことには出来ないことばかりだ。
「それでも、もう一度やり直せることが俺は悪いとは思わない」
 青い瞳が、ルークではなくアッシュを見つめる。その目をまともに見返せず、アッシュはそっと目線をずらす。その言葉はルークに向けられているはずなのに、なぜか自分に対しても向けられているような気がした。
「アッシュ」
 唐突にルークが声をあげ、アッシュの腕を強くひいた。
 慌ててそちらを見れば、全開の笑顔でルークが抱きついてくる。
 そんなルークの姿にガイは目を細めると、笑いながらひらひらとアッシュに手を振りながら母屋の方へ歩いていってしまった。
 まるで犬か猫のようにすりよってくるルークに新たにため息をひとつ漏らすと、アッシュは何の疑いもない顔で自分を見あげてくるルークの顔をまじまじと見つめた。
 いくら邪険に扱っても、ルークはまっすぐな信頼を寄せてくる。それがなにか思惑をふくんだ不純な物ではないことは、今のルークの状態を見ればすぐにわかる。
 思えばこれまでにここまで必死に、そして純粋に人に思われたことがあっただろうか。
 もちろん幼い頃に母親から受けた愛情や、ナタリアとの間にあった淡い恋心は何の含みもない純粋な好意だったと思っている。だがこんなふうに一途に自分自身を必要とされたことは、今まで一度もなかったかも知れない。
 何の疑いもなく寄せられる、絶対的な信頼。しかも今のルークは身体的には青年といえなくもないが、中身は記憶の欠落のせいで精神的には幼い子供に等しい。だから彼が示す好意が作り物ではないことは、疑う余地がない。
 色々と複雑な気持ちを感じながらも、アッシュは自分がいまのこのルークの存在によって色々とすくわれていることを、感じないわけにはいかなかった。
 ともすれば暗い方へ傾きがちにある思考にとらわれないのは、間違いなくルークの存在があるからだ。
 最初は慕われることにもやたらとくっついて来たがることにも苛立ちを感じていたが、実際には暗い想いにとらわれそうになったときに、そっと身を寄せてくるルークの温かさに何度こちら側に引き戻されたかわからない。
 以前のままの彼だったら、きっとこんな気持ちにはならなかっただろう。
 いまの彼だから、アッシュは自分がここにいて良いのだと素直に思える。今のルークには自分が必要で、そしてルークも強く自分を必要としてくるから。だからここがいま自分がいるべき場所なのだと、やっと思える。
 誰も見ていないことを確認してから、アッシュはそっと自分に懐いてくるルークの朱色の髪を優しく撫でた。そしてそれに応えるように、天真爛漫な笑みが返される。
 こんなふうになってしまうまで、アッシュは一度もルークのこんな笑顔を見たことがなかった。
 だからなのだろうか。
 自分が本当にもとの彼に戻って欲しいと願っているのかどうか、アッシュにはわからなくなっていた。


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