自鳴琴・14




 ガイのマルクト行きには、予想していた通り一悶着あった。
 アッシュからマルクト帰還への話を聞かされたガイは、最初のうちは気乗りしないようだったが、結局はジェイドの説得もあって一時帰還を受け入れることにした。
 問題は、当然ルークだった。
 ルークはアッシュの次にガイに懐いている。それに、ルークはアッシュにはわりと従順だが、ガイに対しては以前の記憶がないにもかかわらず、かなり我が儘にふるまう傾向があった。
 それを見越してルークには告げずに朝早く出発したガイに、予想通りルークは機嫌を損ねて騒いだ。しかしそれも三日も過ぎた頃にはやや落ち着きを見せたが、今度はアッシュから離れようとしなくなった。
 さすがに鬱陶しくて追い払おうとすると、すぐに泣きそうな顔をする。それに根負けしてまとわりつくままにさせていると、今度は自分がなにも出来なくなる。
 苛立ちは増すばかりだが、どうしてここまで必死に自分を追いかけてくるのかそれとなくシュザンヌに教えられてからは、さらに邪険には出来なくなってしまった。
 なにも言わずにガイがいなくなってしまったから、もしかしたらルークはアッシュも同じようにいなくなってしまうと不安なのではないか。シュザンヌは必死にアッシュに置いて行かれまいとくっついているルークを見て、そう言った。
 結果、ガイが引き受けていたルークの世話の大半がアッシュの元にまわされることとなり、今まで以上にルークに振り回される生活がはじまった。
 一番困ったのは、寝るときだった。
 今までは同じ部屋の中にいれば先に一人で寝ていたのに、ガイがいなくなってからは添い寝をしないと眠らない。
 アッシュが起きている間は自分も起きていようと必死に努力しているようなのだが、耐えきれずに隣で船をこぎ始められては気になって仕方がない。結局は同じ時間にベッドに入ることになり、枕元の明かりでアッシュが本を読んでいる間にルークが眠るというのがここ最近の習慣になりつつあった。
 どこまでも手がかかると呆れる一方で、自分の隣で安心しきって眠るルークの姿を見るたびに、アッシュは何か温かな物が自分の胸の中を満たすのを感じた。
 ただ無心に慕われる優越感と喜び。
 それは何物にも代え難いほどに甘美な満足感を、アッシュにもたらしてくれていた。



 季節はずれの嵐がバチカルの街を襲ったのは、ガイがマルクトに帰ってから二週間ほどたってからのことだった。
 この屋敷に来てから初めての本格的な嵐のせいか、ルークは窓を叩く激しい雨風にすっかり怯えきっていた。
 二人が寝起きしているこの部屋は中庭を挟んで母屋の向かいにある、それだけで完全に独立した建物である。しっかりとした白い石造りの建物は嵐にゆらぐことはないが、その分嵐などの時には孤立感が深まる。
 そのせいもあるのか、早々にアッシュを引き込んでベッドにもぐり込んだルークは、いつも以上にアッシュから離れようとしなかった。
 さすがにまだ日付が変わるよりもずっと早い時間では眠ることも出来ず、アッシュは腰のあたりにルークをしがみつかせたままベッドの上で本を広げていた。
 途中、読書にもあきてふとルークの方へ視線をむければ、あれだけ怯えていたくせに、今では平和な顔で静かに寝息をたてて眠っている。それに呆れながら、アッシュは本を閉じると、まじまじと眠るルークの顔を覗きこんだ。
 自分とおなじ顔のはずなのに、ルークの顔はなぜか自分よりも幼く見える。もっとも、今のルークはいわゆる幼児返りをしているようなものなのだから、当然なのかもしれない。
 あどけなくも見えるその顔を見つめながら、アッシュはこの前ジェイドに言われたことを思い出していた。
 こちらに戻ってきてから、アッシュは一度もルークとフォンスロットを繋げていない。それは必要がないからということもあったが、今のルークと意識を繋げるのがすこし怖かったからというのもある。
 ルークとの間にある繋がりは、アッシュが優勢に立っていることもあり、簡単な表層意識なら読み取ることが可能だ。以前はそれを便利なものとして使っていたが、いまはそれが怖い。
 まだ核となる自我が出来上がっていない心を覗きこむのは、深淵を覗き込むような怖さがある。下手をすれば引き込まれてしまうのではないか。そんな本能的な恐怖がある。
 それに、互いのフォンスロットをつなぐこの行為は、ルーク側にかなりの身体的負担を強いる。それも、アッシュが今までルークとフォンスロットを繋げてみようと思わなかった理由のひとつだった。
『ルークが眠っているときにでも、一度試してみてはいただけませんか?』
 ジェイドの声が、耳によみがえる。
 アッシュは眠るルークの顔をみつめながら、以前のように自分の中のフォンスロットをルークにむけて繋ぐために意識を集中した。
 意識から伸びる細い糸をたどるようにして、自分へと繋がるもう一つの糸を探す。しかし、以前は簡単に見つかったはずの繋がりがなかなか見つからない。
 アッシュは目を閉じると、さらに意識を集中させた。
 迷う気持ちが、感覚を鈍らせているのかもしれない。以前は先へと手を伸ばせば手を握りかえされるような、そんな確かな感覚で簡単に意識が繋がったのだ。それなのに、なぜか伸ばした指先に触れるはずの同じ形の指が見つからない。
 だが、ルークとのあいだにある繋がりが途切れているわけではないことは、確かなのだ。
 まさか、拒まれているのだろうか。
 ふとそんならちもない思考が頭の隅を掠めた瞬間、鈍く重い痛みが胸の奥に走ったような気がした。だがすぐにそんな馬鹿なことがあるはずがないと、否定する。
 便宜上回線とよんでいるこの繋がりは、被験者であるアッシュが圧倒的に優位な立場にたっている。
 この繋がりを介してアッシュはルークと意識を共有することもできれば、その体の支配権を握ることも出来る。実際、アッシュがまだルークを自分の付属品か操り人形としかみなしていなかった頃は、なんの躊躇いもなくその支配権を行使していたくらいだ。この強制力をルークがはね除けるのには、相当強い意志が必要となる。
 しかし、今のルークにそれだけの強い意思があるとは、とても思えなかった。
「……ダメか」
 アッシュは息を吐くと、乱暴におろした前髪を掻きあげた。
 なんとなく心の隅でそんな予感はしていたのだが、いざ本当にそうなってみるとなかなか複雑な気持ちだった。
「仕方ねえか……」
 今のルークは以前の彼とは違う。同じ事を求めてはいけないのだと、わかっている。だが繋がっている感覚は残っているのに捕らえることの出来ないこの感覚は、ガラス越しに互いを見つめているようなもどかしさがあった。
「ん……っ」
 不意にルークが小さな声をあげて、身動ぐ。起こしたかと一瞬固まるが、すぐにまた規則正しい寝息が聞こえてくる。
 あまりに平和そうなその音に拍子抜けすると、アッシュは苦笑するように唇の端をあげた。
 本をサイドテーブルに投げ出し、しがみついてくるルークの体を抱きしめ直すと、アッシュはルークごと寝具にくるまりなおした。
 寝る位置が変わったからか、ルークはしばらくの間おさまりのいい場所を探すように動いていたが、すぐにまた静かな寝息をたてはじめた。その幼い寝顔を見つめながら、アッシュは自然と自分の表情がやわらかな物になるのを感じずにはいられなかった。
 温かな体温と、甘い果実のような匂い。
 認めるのはしゃくだが、こうして懐いてくるルークを抱きしめていると、とても安心できるのだ。
 無条件にむけられる愛情が、こんなにも心地よい物だなんて知らなかった。
 だからそれを失いたくないと、心の隅でひそかに願っていた。



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