自鳴琴・16
一瞬、それは自分の悲鳴なのだと思った。
ハッと見開いた目に、鋭い白光が瞬くのが見える。そしてそれを追うように、地を揺るがす轟音が続く。
アッシュは見開いた目を天井に向けたまま震える息をなんとか吐き出すと、手足のこわばりを解いた。
全身の毛穴から汗が噴き出したような不快な感覚に眉をひそめ、大きく瞬きをひとつする。しかし嫌な音を立てて激しく打つ鼓動は押さえきれず、アッシュは自分のふがいなさに歯がみしたい気持ちだった。
「……ったく」
まだ、心が夢の混乱の中から抜け出せていない。その動揺が全身に影響しているのか、手が震えているのが自分でもわかる。それでもなんとかアッシュは体を起こすと、震える手で乱れた前髪を掻き上げ深いため気をつく。
窓の外の嵐は眠る前よりも激しさを増しているらしく、凄まじい風雨の音と雷鳴が轟いている。嫌な音だ、とアッシュが顔をしかめるより前に、今度ははっきりとした悲鳴がすぐ間近で上がった。
突然耳朶を打った悲鳴に、アッシュは弾かれたように自分の隣に目をやると大きく目を見開いた。
悲鳴は、ルークのものだった。彼はアッシュからすこし離れた場所で体を二つに折り曲げるようにしてうずくまり、両手で頭を抱えるようにして震えていた。
「レプリカ?」
咄嗟に反応できずに声だけをかけると、雷鳴に被さるようにして悲鳴があがる。ルークは悲鳴をあげながら、さらに小さく体を丸めた。
「おいっ、しっかりしろ!」
ようやく我に返ったアッシュはルークを引き起こそうと手を伸ばしたが、触れた途端ルークの体がまるで電流でも走ったかのように大きく震え、さらに高い悲鳴があがった。
「どうした、レプリカ!?」
ようやく尋常ではないルークの反応に、彼が雷に怯えているのではないと気付く。アッシュは思わずひるんで引っ込めかけた手をあらためてのばすと、ルークの腕を掴んだ。
「いやあああっ──っ!」
腕を掴んだ途端、すさまじい勢いで振り払われる。
突然のことに呆然と見つめるアッシュの目の前で、ルークはさらに何かから身を隠そうとでもするように体を丸める。
「いやだ、いやだ、いやだ……っ!」
ルークは怯えきった悲鳴を上げて両手で頭を抱えるようにして耳を塞ぐと、何かを必死に否定するかのように激しく頭を左右に振りはじめた。
「レプリカっ!」
再度アッシュが叫ぶが、恐慌状態に陥ったルークには聞こえないらしく、狂ったように打ち振られる頭の動きはとまらない。
「ルークっ!」
咄嗟に呼んだその名に、びくりと大きくルークの体が震える。アッシュはもう一度ルークの腕を強く掴むと、自分の方へ引き寄せるようにして起きあがらせようとした。
「いやだぁっ!」
腕を掴んだ途端、激しい拒絶の声がルークからあがる。
悲痛なその声にひるみながらもなんとかルークの体を押さえこもうとするが、錯乱しているせいなのか、なんの加減もされていない力で抵抗されてなかなか上手くいかない。
だが、所詮はなんの考えもなく暴れているだけにすぎない。騎士団で実戦訓練を積んでいたアッシュに、かなうはずがなかった。
がむしゃらに振り回される両腕を捕らえてねじあげると、そのまま引きずりあげるようにして無理矢理一度体を起こさせる。そしてアッシュの手を振り払おうと必死に暴れまわるルークの体をベッドの上にたたき付けて衝撃を与え、動きを止めたところをシーツの上に組み敷く。
「レプリカっ! いいかげんにしろっ!」
「ああああっ──ッ!!」
上からのしかかられて思うように動けないのがもどかしいのか、泣き声混じりの悲鳴があがる。まるで手負いの獣のように暴れる体を押さえこみながら、アッシュはルークの上げる悲鳴に、体の奥底でなにかがじりじりと焦げてゆくような苛立ちと不快感がこみ上げてくるのを感じていた。
今まで、このルークがアッシュを拒んだことは一度もなかった。
いつだって邪険に扱ってきたのはアッシュの方で、ルークは一方的にアッシュを追いかけ求めてきた。それなのに、どうしていまルークは自分を拒んでいるのだろうか。
それは酷く驕った考えだったが、突然のルークの異変と自身の混乱に巻きこまれているアッシュには、その時冷静な判断は出来なかった。
思いのままにならないルークに焦れ、アッシュは勢いよくその頬を張った。痛みに怯えたように、一瞬ルークの抵抗が弱まる。その隙を逃さずに体全体を使ってアッシュはルークを押さえこむと、アッシュは突然何かに気が付いたのかハッとした顔で間近にあるルークの顔を覗きこんだ。
「まさかおまえ、記憶が戻っているのか……?」
どろりとした不快な夢の記憶が、一気にアッシュの中によみがえる。それがまるで毒酒を呷ったような、狂った酩酊を呼び覚ます。
「いやああっ!」
「答えろ、レプリカっ!!」
目の前を流れてゆく、紫の瘴気と泥の海。
沈んでゆく子供の、小さな手。
フラッシュバックするように夢で見た場面が、次々と激流のように押し寄せてくる。嵐のような感情と記憶の奔流に息が止まるような衝撃を受けて、アッシュはルークを押さえつける手にさらに力をこめた。
「答えろっ!!」
自分でもコントロールできない熱く暗い感情が、体の奥底でのたうつ。ぎりぎりまでこみ上げてくる激流をなんとか押しとどめながら、アッシュは苦痛に歪むルークの顔を凝視した。
轟音と共に窓の外で白光がひらめき、真下にあるルークの顔を照らす。激しく泣きじゃくり苦痛に歪んだ顔が、まるで焼き付くような激しさで視界に焼きつく。
その瞬間、アッシュが感じたのは、突きあげるような破壊衝動とそれを抑えこもうとする理性の存在だった。
喉元までこみ上げてきた熱い塊を何とかのみくだすように唾を飲みこむと、アッシュはルークの顔から一瞬だけ視線をそらした。それが、隙になった。
乾いた高い音が耳元で鳴った。
何事かと思考が追いつく前に、アッシュは逃げようとするルークの体を容赦のない力で押さえこんでいた。
じわりと熱く痺れたような痛みが頬にひろがる。がむしゃらに振り回されるルークの腕がアッシュの手を離れ、強く彼の頬を撲ったのだと気が付いたと瞬間、体の奥で膨れあがった何かがはじけたのがわかった。
衝動に突き動かされるように、アッシュは悲鳴を上げ続けているルークの唇を噛みつくような勢いで塞いだ。
強引にあわせられた唇に、びくりとルークの薄い唇が震えるのがわかった。怯えの感情がそこから伝わってきて、甘い痺れが理性を麻痺させる。
無理矢理唇を開かせ、柔らかく熱い口内を蹂躙する。逃げようとする舌を噛みつくようにして引き戻し、ルークの意思などまったく意に介することなく好き放題に弄ぶ。
「……んっ、…ふ、んっ……」
鼻にかかったような苦しげなうめき声があがり、組み敷いたからだが苦しげに悶える。段々と弱まってゆく抵抗と熱くとろけそうな口内のやわらかな感触に、理性が削られてゆくのが自分でもわかった。
貪るような口づけに抵抗の力が弱まったのを感じて唇を離すと、苦しげな息がわずかに離されただけのアッシュの唇を擽った。
指が震えるのももどかしく夜着のボタンを外し、鎖骨から胸を露わにさせると、アッシュは薄い翳りを落とす鎖骨に噛みつくようにキスをした。
いけないと、誰かが頭の隅で囁いてる。
だがそれを上回る衝動が、アッシュを突き動かす。
そうしなければ、自分の元からルークが逃げ出してしまうのではないかという強迫観念がアッシュを追い立てる。
置いて行かれたくない。失いたくない。
どうか、拒まないで──。
それが自分の感情なのか、それともあの夢の中のルークの感情なのかわからなくなってくる。
「なにも思い出さなければいい……」
ずっと思いながらも、口にしたことのなかった言葉。
「記憶なんてなくなればいい」
自分の中にある理性が封印していた、あまりに身勝手な思い。
忘れられたことよりも、思い出される方がずっと辛い。なかったことにしてしまえば、以前の自分を思い煩うことも気まずい思いをすることもない。
「消えてしまえばいい!!」
そうすれば、今の関係が壊れることはない。
ひたすらまっすぐと慕ってくるその想いを、失うことを怖がる必要もない。
今を失うなら、過去はいらない。
それが間違った考えであることは痛いほど良くわかっているけれど、願わずにはいられない。
『以前のルークが戻ってこなければいいのに』
それがあまりにも身勝手で都合の良い願いであることは、アッシュ自身が一番良く知っていた。
そして、まるでその願いが聞き届けられたかのように。翌朝目覚めたときには、ルークの姿は離れからだけでなく屋敷からも消えてしまっていた。
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ハッと見開いた目に、鋭い白光が瞬くのが見える。そしてそれを追うように、地を揺るがす轟音が続く。
アッシュは見開いた目を天井に向けたまま震える息をなんとか吐き出すと、手足のこわばりを解いた。
全身の毛穴から汗が噴き出したような不快な感覚に眉をひそめ、大きく瞬きをひとつする。しかし嫌な音を立てて激しく打つ鼓動は押さえきれず、アッシュは自分のふがいなさに歯がみしたい気持ちだった。
「……ったく」
まだ、心が夢の混乱の中から抜け出せていない。その動揺が全身に影響しているのか、手が震えているのが自分でもわかる。それでもなんとかアッシュは体を起こすと、震える手で乱れた前髪を掻き上げ深いため気をつく。
窓の外の嵐は眠る前よりも激しさを増しているらしく、凄まじい風雨の音と雷鳴が轟いている。嫌な音だ、とアッシュが顔をしかめるより前に、今度ははっきりとした悲鳴がすぐ間近で上がった。
突然耳朶を打った悲鳴に、アッシュは弾かれたように自分の隣に目をやると大きく目を見開いた。
悲鳴は、ルークのものだった。彼はアッシュからすこし離れた場所で体を二つに折り曲げるようにしてうずくまり、両手で頭を抱えるようにして震えていた。
「レプリカ?」
咄嗟に反応できずに声だけをかけると、雷鳴に被さるようにして悲鳴があがる。ルークは悲鳴をあげながら、さらに小さく体を丸めた。
「おいっ、しっかりしろ!」
ようやく我に返ったアッシュはルークを引き起こそうと手を伸ばしたが、触れた途端ルークの体がまるで電流でも走ったかのように大きく震え、さらに高い悲鳴があがった。
「どうした、レプリカ!?」
ようやく尋常ではないルークの反応に、彼が雷に怯えているのではないと気付く。アッシュは思わずひるんで引っ込めかけた手をあらためてのばすと、ルークの腕を掴んだ。
「いやあああっ──っ!」
腕を掴んだ途端、すさまじい勢いで振り払われる。
突然のことに呆然と見つめるアッシュの目の前で、ルークはさらに何かから身を隠そうとでもするように体を丸める。
「いやだ、いやだ、いやだ……っ!」
ルークは怯えきった悲鳴を上げて両手で頭を抱えるようにして耳を塞ぐと、何かを必死に否定するかのように激しく頭を左右に振りはじめた。
「レプリカっ!」
再度アッシュが叫ぶが、恐慌状態に陥ったルークには聞こえないらしく、狂ったように打ち振られる頭の動きはとまらない。
「ルークっ!」
咄嗟に呼んだその名に、びくりと大きくルークの体が震える。アッシュはもう一度ルークの腕を強く掴むと、自分の方へ引き寄せるようにして起きあがらせようとした。
「いやだぁっ!」
腕を掴んだ途端、激しい拒絶の声がルークからあがる。
悲痛なその声にひるみながらもなんとかルークの体を押さえこもうとするが、錯乱しているせいなのか、なんの加減もされていない力で抵抗されてなかなか上手くいかない。
だが、所詮はなんの考えもなく暴れているだけにすぎない。騎士団で実戦訓練を積んでいたアッシュに、かなうはずがなかった。
がむしゃらに振り回される両腕を捕らえてねじあげると、そのまま引きずりあげるようにして無理矢理一度体を起こさせる。そしてアッシュの手を振り払おうと必死に暴れまわるルークの体をベッドの上にたたき付けて衝撃を与え、動きを止めたところをシーツの上に組み敷く。
「レプリカっ! いいかげんにしろっ!」
「ああああっ──ッ!!」
上からのしかかられて思うように動けないのがもどかしいのか、泣き声混じりの悲鳴があがる。まるで手負いの獣のように暴れる体を押さえこみながら、アッシュはルークの上げる悲鳴に、体の奥底でなにかがじりじりと焦げてゆくような苛立ちと不快感がこみ上げてくるのを感じていた。
今まで、このルークがアッシュを拒んだことは一度もなかった。
いつだって邪険に扱ってきたのはアッシュの方で、ルークは一方的にアッシュを追いかけ求めてきた。それなのに、どうしていまルークは自分を拒んでいるのだろうか。
それは酷く驕った考えだったが、突然のルークの異変と自身の混乱に巻きこまれているアッシュには、その時冷静な判断は出来なかった。
思いのままにならないルークに焦れ、アッシュは勢いよくその頬を張った。痛みに怯えたように、一瞬ルークの抵抗が弱まる。その隙を逃さずに体全体を使ってアッシュはルークを押さえこむと、アッシュは突然何かに気が付いたのかハッとした顔で間近にあるルークの顔を覗きこんだ。
「まさかおまえ、記憶が戻っているのか……?」
どろりとした不快な夢の記憶が、一気にアッシュの中によみがえる。それがまるで毒酒を呷ったような、狂った酩酊を呼び覚ます。
「いやああっ!」
「答えろ、レプリカっ!!」
目の前を流れてゆく、紫の瘴気と泥の海。
沈んでゆく子供の、小さな手。
フラッシュバックするように夢で見た場面が、次々と激流のように押し寄せてくる。嵐のような感情と記憶の奔流に息が止まるような衝撃を受けて、アッシュはルークを押さえつける手にさらに力をこめた。
「答えろっ!!」
自分でもコントロールできない熱く暗い感情が、体の奥底でのたうつ。ぎりぎりまでこみ上げてくる激流をなんとか押しとどめながら、アッシュは苦痛に歪むルークの顔を凝視した。
轟音と共に窓の外で白光がひらめき、真下にあるルークの顔を照らす。激しく泣きじゃくり苦痛に歪んだ顔が、まるで焼き付くような激しさで視界に焼きつく。
その瞬間、アッシュが感じたのは、突きあげるような破壊衝動とそれを抑えこもうとする理性の存在だった。
喉元までこみ上げてきた熱い塊を何とかのみくだすように唾を飲みこむと、アッシュはルークの顔から一瞬だけ視線をそらした。それが、隙になった。
乾いた高い音が耳元で鳴った。
何事かと思考が追いつく前に、アッシュは逃げようとするルークの体を容赦のない力で押さえこんでいた。
じわりと熱く痺れたような痛みが頬にひろがる。がむしゃらに振り回されるルークの腕がアッシュの手を離れ、強く彼の頬を撲ったのだと気が付いたと瞬間、体の奥で膨れあがった何かがはじけたのがわかった。
衝動に突き動かされるように、アッシュは悲鳴を上げ続けているルークの唇を噛みつくような勢いで塞いだ。
強引にあわせられた唇に、びくりとルークの薄い唇が震えるのがわかった。怯えの感情がそこから伝わってきて、甘い痺れが理性を麻痺させる。
無理矢理唇を開かせ、柔らかく熱い口内を蹂躙する。逃げようとする舌を噛みつくようにして引き戻し、ルークの意思などまったく意に介することなく好き放題に弄ぶ。
「……んっ、…ふ、んっ……」
鼻にかかったような苦しげなうめき声があがり、組み敷いたからだが苦しげに悶える。段々と弱まってゆく抵抗と熱くとろけそうな口内のやわらかな感触に、理性が削られてゆくのが自分でもわかった。
貪るような口づけに抵抗の力が弱まったのを感じて唇を離すと、苦しげな息がわずかに離されただけのアッシュの唇を擽った。
指が震えるのももどかしく夜着のボタンを外し、鎖骨から胸を露わにさせると、アッシュは薄い翳りを落とす鎖骨に噛みつくようにキスをした。
いけないと、誰かが頭の隅で囁いてる。
だがそれを上回る衝動が、アッシュを突き動かす。
そうしなければ、自分の元からルークが逃げ出してしまうのではないかという強迫観念がアッシュを追い立てる。
置いて行かれたくない。失いたくない。
どうか、拒まないで──。
それが自分の感情なのか、それともあの夢の中のルークの感情なのかわからなくなってくる。
「なにも思い出さなければいい……」
ずっと思いながらも、口にしたことのなかった言葉。
「記憶なんてなくなればいい」
自分の中にある理性が封印していた、あまりに身勝手な思い。
忘れられたことよりも、思い出される方がずっと辛い。なかったことにしてしまえば、以前の自分を思い煩うことも気まずい思いをすることもない。
「消えてしまえばいい!!」
そうすれば、今の関係が壊れることはない。
ひたすらまっすぐと慕ってくるその想いを、失うことを怖がる必要もない。
今を失うなら、過去はいらない。
それが間違った考えであることは痛いほど良くわかっているけれど、願わずにはいられない。
『以前のルークが戻ってこなければいいのに』
それがあまりにも身勝手で都合の良い願いであることは、アッシュ自身が一番良く知っていた。
そして、まるでその願いが聞き届けられたかのように。翌朝目覚めたときには、ルークの姿は離れからだけでなく屋敷からも消えてしまっていた。
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