自鳴琴・2




 どうしてこんな事になったのか、わからなかった。
 アッシュは苛立たしげに草を踏んで歩きながら、自分の後ろをついて来るルークの姿を横目で見やり、小さく舌打ちした。
 ようやく泣きやんだルークを連れて歩き出したのはいいが、ルークの手は相変わらずアッシュの服の裾を握りしめたままだった。無理矢理放させようとするとまた泣きそうな顔をするので、すでにアッシュは諦めてそのままにさせている。
 見ればルークの服も自分の服とおなじものに変わっており、そのことについても問いただしたいというのに、どうにもそういうことの出来そうにない雰囲気であることも、アッシュの苛立ちをさらに強めていた。


 渋々ながらに連れ立って歩きはじめたのはいいが、しばらく一緒に行くうちに、アッシュはやはりルークの様子がいつもと違うことに気付いた。
 最初に感じた違和感は、ルークが自分から一言もしゃべらないことだった。
 はじめに顔をあわせたときは、苛々するほど間の抜けた答えではあったがなんとか受け答えは出来ていたのに、連れだって歩きはじめてからのルークは、ただ黙ってアッシュの後ろについて来るだけだった。
 アッシュの知るルークは、黙っていろと言ってもなにかを思いついたらすぐに口に出すような、鬱陶しくて騒がしい存在だった。
 どれだけ突き放しても自分にまとわりついてきて、顔をあわせれば無視しようとしても必死に自分に話しかけてくる。それがいつものルークの行動パターンだったのに、なぜか今はこの状況をアッシュに煩く問いただすこともしない。
 初めのうちは大人しくていいなどと思っていたアッシュだったが、あまりに静かな様子に逆に落ち着かなくなってきた。
 あまりにもルークが何も言わないので、仕方なくこちらから声をかければ、答えは返る。だがその答えもぼんやりとした要領を得ないものがほとんどで、それがまたアッシュの神経を逆なでする。
 だが怒鳴りつけるには、さきほど泣かれたことが思ったよりもアッシュ自身を戸惑わせているらしく、どうしても出来ない。
 結果、大人しいことは大人しいのでそのまま放っておくことに決めたのだが、それはそれでなんとも居心地の悪い気持ちを抱え込むはめになっている。
 今さらのように思い知らされるが、いつでもルークの方から自分の方に歩み寄ってきてそれに対応するのが普通だったので、こういう状況に置かれるとどう対応すればいいのか分からなくなる。
 ずっとルークに対して嫌っているのだという態度を取ってきたこともあったし、実際はじめの頃は、八つ当たりだと分かっていても憎まずにはいられなかったので相手の気持ちをくもうなどと考えたこともなかった。
 正直言えば、いまでは自分がこのレプリカのことをどう思っているのか、アッシュ自身にもわからなくなっている。
 はじめの頃の、自分でも押さえられないほどの憎しみや恨みはさすがに薄れている。
 だが好意を持っているのかと問われれば、首を横に振るだろう。
 しかし、だからと言って見捨てることも出来なければ無視することも出来ない。
 ルークの存在は、アッシュの心の中に刺さった小さな棘のようなものだった。
 痛みに苛々させられたりその存在自体が鬱陶しいくせに、いざ抜けてしまうと不思議に違和感を覚えさせる。
 小さな欠片が自分の中から抜け出していってしまった後、その傷口が小さくても喪失を主張するみたいな感覚にそれは似ていた。
「おい……」
 ふり返って声をかければ、自分と同じ色をした瞳がきょとんと見かえしてくる。だが、言葉は何も返ってこない。
 この状況であの好奇心の塊のようなルークが何も訊ねてこないのも、違和感の一つだ。
 しかしそのことについて問い詰めるべきだと思いながらも、なぜかその為の言葉が出てこない。
 結局何も言えずに前を向くと、服の裾を掴むルークの手にそっと力が込められるのが分かる。それが自分の言葉を待っている合図なのだと分かっているが、どうすることもできない。
 早足で歩きはじめれば、必死に後を追ってくるのが足音で分かる。
 時々転びそうになるのか裾が強く引かれるのに、だったら放せばいいのにと苛立ちを覚える。
 それでもなぜか絶対に放そうとしないルークの様子は、アッシュの心に小さな波風を立てた。
 やはりなにかがおかしい。
 そう分かっているのだが、それを確かめるのが怖かった。
 なだらかな丘を登り切ると、視界が開けた。
 そう遠くない距離に、暗い海が見える。
 そしてそこに浮かぶ巨大な影。大きく崩れてはいたが、それがなんなのかすぐにアッシュには分かった。
「……エルドラント」
 空を見上げ方角を確かめると、アッシュはすぐにこの辺りの地理を頭の中に思い描いた。
「ここは、タタル渓谷か……」
 どうりで景色に見覚えがあったはずだ。
 とりあえずいま自分のいる場所が特定できて安心出来たこともあり、ふと思い出してルークの方をふり返ると、いつの間にかすぐ後ろに来ていたルークもじっと彼方にあるエルドラントの残骸へと目を向けていた。
 不思議な感慨が、胸をよぎる。
 すべての終着点であり最後の決着をつけた場所を、こうやって刃を交えた相手とならんで見ることがあるとは思わなかった。
 自分は死ぬはずだったし、実際にあそこで一度は命が潰えたはずだ。
 いったいなにが自分たちの間に起こったのか分からないが、とりあえずこうやって互いに生きているのは確かだ。
 ふと、なぜか唐突にすぐ近くにいるルークに手を伸ばしたくなったが、すぐに我に返ると、アッシュは心の中で小さく舌打ちした。
 そんな自分の衝動を否定するようにアッシュは早足で丘を下ろうとしたが、ふと風に乗って聞こえてきた不思議な音色に足をとめた。
「歌……?」
 それは、不思議な旋律の歌だった。風に運ばれてくる音はとぎれとぎれだったが、それでも、アッシュにはその旋律に聞き覚えがあった。
「おい!」
 ルークの方をふり返ると、ルークもその歌声に気がついたのか、声の聞こえる方向に顔を向けていた。
 まるで、導きのようなその歌声。
「行くぞ」
 自分の予想に間違いがなければ、おそらくこの歌声の主がいる場所にルークの仲間がいるはずだ。なにもなければさっさと一人で行かせるのだが、今の状態ではここで放り出すわけにも行かない。
 服の裾を掴んでいたルークの手を取ると、アッシュは微かに聞こえる歌声を頼りに歩きはじめた。



 思っていたとおり、歌声をたよりにたどり着いた草原には、見覚えのある姿があった。
 予想外だったのは、そこにルークの仲間達がほぼ全員がそろっていたことだった。アッシュはその中にナタリアの姿もあることに気付くと、諦めてルークを連れたまま彼らの方に近づいていった。
「ルーク……、アッシュ…」
 他の者達よりも一歩前に踏み出していたティアが、呆然としたまま二人の名を呼ぶ。
 全員の視線が自分たちの上に注がれることに居心地の悪さを感じながらも、アッシュはなぜか自分の後ろで立ちつくしたまま動こうとしないルークを、前に押し出そうとした。
「──っ!」
 その途端、先ほどまでのぼんやりとした様子が嘘のように、ルークは素早くアッシュの腕を掴んだ。
「てめえっ! なんのつもりだ!」
 いきなり遠慮のない力で腕を掴まれたアッシュは、声を荒げてルークの方をふり返ったが、その顔を見て思わず目を瞠った。
 ルークの顔には、ようやく仲間に会えたという歓喜もなければ安堵もなかった。
 それどころか、まるで見知らぬ相手に怯える子供のように表情を強ばらせている。
 アッシュの腕を掴んでいる手も、まるでこれだけが縋れるものだとでもいうように、必死に掴みながらも微かに震えている。
 そんなルークの様子に気付いた仲間達も、動きを止めて呆然と二人を見つめていた。
「レプリカ……?」
 あきらかに様子のおかしいルークに、呆然としたままアッシュが声をかける。
「……れ…」
 震える唇から、小さな声が漏れる。
 それをもっとよく聞き取ろうと顔を寄せたアッシュの耳に、信じられない言葉が飛びこんできた。
「あいつら…誰……?」


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ベタの王道、記憶喪失ネタです。