自鳴琴・3




「ルーク……?」
 一番初めに我に返ったのは、ガイだった。
 だが何が起こっているのかは彼も理解できず、無意識のうちに間合いを詰めてルークの方へ手を伸ばそうとした。
 しかしそれを見て怯えたように身をすくませたルークに、ガイはそのまま宙で手をとめると大きく目を見開いた。
 ルークはそんなガイから逃げるようにアッシュの腕を掴んだままさらに後退ると、アッシュの背中に隠れるようにしがみついて小さく震えはじめた。
「てめえっ! どういうことだっ!」
 アッシュは自分の背中に張り付いているルークを強引に引きはがすと、胸ぐらを掴みあげた。
「やっあ……!」
 ルークは怯えたようになんども大きく頭をふると、そのままアッシュに抱きついてこようとした。咄嗟のことに驚いて強く振り払うと、セレニアの花の中に倒れこんだルークは、その場にへたり込んだまま大声を上げて泣き始めた。
「ルーク?」
 驚いて駆けよろうとしたティアに、またもやルークはガイの時と同じように怯えた顔を見せると、泣きながらアッシュの服の裾を掴んだ。
 どう見ても自分たちに怯えているようにしか見えないルークに、ティアたちはそろって戸惑いの表情を浮かべた。そしてその目は当然のことながら、この場で唯一ルークが縋っているアッシュへと向いた。
「どういうことだ……?」
 心なしか、ガイの声が険を含んだものになる。
「知るかっ! おいっ、シャンとしやがれ。この屑ッ!」
 まだへたりこんだまま小さく震えているルークの腕を掴んで立ちあがらせると、ルークはまたアッシュにしがみついてこようとする。
 さすがに苛立って怒鳴りつけようとしたが、縋るように見上げてくる目に涙がにじんでいるのを見て、アッシュは怒声を飲みこんだ。
 結局ルークを振り払うことはかなわず、アッシュは苦虫を噛みつぶしたような顔のまま、ルークを腕にしがみつかせたままガイたちの方をふり返った。
「ルークってば、どうしちゃったの……?」
 丸い瞳をさらに丸くしたまま、ぽつりと困惑げにアニスが呟く。
「なんだか、子供に返っちゃったみたい」
 そのアニスの言葉に、ガイがハッと我に返った顔になってジェイドをふり返った。
 先ほどから皆の輪から外れたところに立って静観していたジェイドは、ガイの視線を受けて珍しく複雑な顔をした。そして、こちらを睨みつけているアッシュの方へと顔を向けた。
「アッシュ、先ほどルークはなんと言ったのですか?」
「……お前らは誰だ、だとよ」
「なんだって?」
 思わずと言った感じで声を荒げたガイに反応するように、アッシュの腕にしがみついたルークがびくりと小さく体を震わせる。
 そんな主人であり親友でもあるルークの反応に、ガイは一瞬傷ついたような顔をしたが、すぐに真剣な顔に戻った。
「もしかして、記憶がないのか……?」
「おそらく」
 眼鏡のブリッジを指で軽く押し上げながら、ジェイドはただ一人冷静な顔のままアッシュにしがみついているルークの方へ目を向けた。
「この様子ですと、記憶だけではなく精神も退行しているのかもしれませんね。なぜか、アッシュのことだけはわかっているようですが……」
 そこではじめてジェイドは冷静な表情を崩して、苦笑を浮かべた。
「とりあえず、何時までもここにいても仕方がありません。一度戻りましょう」
「……ええ、そうね」
 さきほどルークに拒まれて呆然としていたティアは小さく頷くと、アッシュの腕にしがみついたままこちらを見ようともしないルークの後ろ頭を見て、悲しげに目を伏せた。
 その様子を何気なく見ていたアッシュは、ふと軽い違和感を覚えて眉をひそめた。
(なんだ……?)
 だがそのことを考えるよりも前に、ルークがそこからアッシュを引き戻すかのように強く腕をひいた。
 ルークの方へ視線を戻すと、不安げに見あげてくる澄んだ瞳とぶつかる。
 その、あまりに無邪気に自分を信じ切って縋るような瞳の色に、アッシュは自分でもよくわからない何かがこみ上げてくるのをなんとか押さえこんだ。
 だがこれでようやく、ルークの様子がずっとおかしかった理由が理解できた。なまじアッシュのことは覚えているようだったので、まさか記憶がないとは思いもしなかった。
「アッシュ、あなたも一緒に来ますね?」
「ああ」
 別に一緒に行く義理はないが、こちらを心配そうに見ているナタリアの期待を裏切るのは本意ではない。それに、死んだはずの自分がなぜ生きているのかという疑問の答えを得るには、ジェイドから情報を引き出すのが一番妥当だろう。
「では、ルークのことを頼みます」
「ああ? 何で俺がこいつの面倒を見なくちゃなんねえんだ。てめえらで面倒見やがれ」 「そうしたいのは山々なんですが、どうやらあなた以外には面倒が見られそうにないようですから」
 ジェイドはわざとらしく肩をすくめると、アッシュの腕にしがみついたまま離れようとしないルークを見て、複雑な笑みを浮かべた。
「また泣かれても、あなたも困るでしょう?」
 アッシュは、不安そうに自分を見上げているルークへ目を向けた。
 その手を振り払うのは難しいことではないが、どうにも最初に泣かれた衝撃が抜けきらないせいか、何となくためらってしまう。それに、あきらかに様子のおかしいルークにきつく当たるほど、大人げないつもりもない。
「……しかたねえな」
 あからさまに面倒げなため息をつくと、ルークの手がびくりと怯えたように震える。だがそれでもアッシュの腕を離そうとしない彼に、アッシュは諦めたような顔になった。
「それではいきましょうか」
 そんな二人の様子を黙って見つめていたジェイドは、本心をうかがわせない笑みをかすかに浮かべた。
 アッシュは先に歩きはじめたジェイドたちからすこし距離を取って、歩きはじめた。そうしないとルークが怯えて歩こうとしなかったせいもあるが、アッシュ自身もまだ混乱していて、彼らに混じって歩く気になれなかったこともある。
 一体自分たちの身に何が起こったのか、今はそれを知ることが先決だった。


 渓谷を抜けると、懐かしいアルビオールの機体が見えてきた。
 彼らが近づいてゆくとハッチから一人の女性が降りてきて、アッシュたちの方を見て驚いたようにその場に立ち止まった。
「ルークさん……っ?」
 彼女ははじめアッシュの方を見てそう叫んだがすぐに不思議そうな顔になると、彼の腕にしがみついているルークの方を見てハッとした顔になった。
「ノエル、すぐに出発できますか?」
 ジェイドの言葉にノエルは何も聞かずに頷くと、あらためてアッシュの方を向いて微笑んだ。
「アッシュさんですね、兄がお世話になりました」
 そう言って軽く頭を下げてからにこりと柔らかく笑ったその顔に、かつて自分が連れ回した青年の面影を見つける。ギンジの妹でもう一人のアルビオールの操縦者。たしか、何回か会ったこともあるはずだ。
「行き先は、どちらですか?」
 ノエルはジェイドの方へ顔を戻すと、訊ねた。
「ベルケンドにお願いします。できるだけ早く」
 わかりました、とノエルは澄んだ声で応えてアルビオールの方へ戻りかけてから、突然くるりとアッシュたちの方をふり返った。
「すみません、言い忘れていました」
 ノエルはそう言ってにこりと笑うと、両手を後ろで組んで小さく首を傾げた。
「おかえりなさい。お二人とも」

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ちょっとすすみが悪い。